現実逃避団の逃避しきれない現実

現実逃避団ごんちゃんの徒然日記

合戦場跡ウォーキングその2

2014年11月23日 08時00分00秒 | 徒然日記

さて、七ツ塚を後にして、またてくてく歩きました。

 

到着したのは、今川義元終焉の地と言われる桶狭間古戦場公園。

 

今は本当にただの公園。
400年以上も前にこの地で激しい戦いが繰り広げられていたとはとうてい思えない公園ですよ。

 

歴史に残る戦いをしたこのお二人、信長はわずか27歳、義元は41歳の若さだったようです。
27歳の若者が「天下を取ろう」と、たくさんの部下を従えて、死を賭した戦いに挑んだですね。
・・・うちの会社の27歳、頼りなくて仕方ありませんが・・・。

 

 今川義元のお墓。
 これは昭和に建てられた
 新しいお墓です。

 

 

 

今川軍がのどを潤した、討ち取った義元の首を洗ったとされる『義元首洗いの泉』も
この公園の中にあります。

 

 こちらは義元が馬を繋いでいたとされる
 馬つなぎの松『ねずの木』。

 触れると高熱にうなされるとか
 この付近で義元の亡霊を見たとか
 
 さすが古戦場
 恐ろしい噂があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こちらは今川義元の身内でもある
 家臣瀬名氏俊が、先発隊として
 おけはざま山に本陣を設営するため
 着陣した所。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてこちらの松は
 その瀬名氏が軍議を開いたとされる
 戦評の松。

 樹齢400年を超え、直径1m以上ある
 松でしたが、昭和の伊勢湾台風で枯れ、
 この松は3代目だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、桶狭間の合戦跡は
実はこの名古屋の有松説と、お隣の街、豊明市説のふたつがあります。
どちらも、「自分の街こそ本当の合戦場」 と今でも戦いを繰り広げているんですよ。

 お隣の街・豊明市の古戦場跡までも歩いてみます。

 

名鉄中京競馬場駅前にひっそりとある公園。
こちらが豊明側の古戦場跡です。

豊明側の義元公のお墓。

 

 

古戦場址前にある高徳院と言うお寺が、今川軍の本陣跡とされています。

 

ここから電車に乗り移動。
今度は砦めぐりに向かいます。

 

 



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