閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

「八百屋お七の日」

2024-03-29 05:45:23 | 今日は何の日

            

今日は「八百屋お七の日」でしたね。火事と喧嘩は江戸の華と言ったそうですが、好きな
人に会いたいための放火は許されません。
お七で思い出したのは、先日のカラオケ会でご披露した「夜桜お七」、皆さん、私は演歌を
歌わないと信じていたらしく、びっくりの方もいましたね。
夜桜お七: 坂本冬美
解説を読んで歌川国輝の「好色五人女」に八百屋お七もありますね。作品候補にしました。
 
きのうは朝から妻に言われたベランダ掃き出しの敷居のペンキ剥がれの修理をしました。
       
が、ラッカースプレーでは薄くてダメでした。それでホームセンターのある菖蒲沢公園を
廻ることにしました。ホームセンターで出会ったのが Pen Cure (hake de pain) でした。
刷毛を内蔵しているので作業性がよかったです。お勧めです。
          
ところで、前日の皮膚科で塗り薬の処方箋を貰い忘れていて、次週に予約を入れました。
私の脳も劣化が激しいです。
きのうは、往復、4,610歩でした。
              
今朝は15℃もあり、今日は20℃まで上がるようです。外は昨夜来の雨、午後からは
回復の予報です。春の嵐でした。
 
今日の日のちょっと長い解説です。

前年12月28日に江戸で発生した「天和の大火」の際、お七の家は燃えてしまい、親とともに寺に避難した。お七はその寺で寺小姓・生田庄之介と出会い、恋仲になった。やがて店が建て直され、お七一家は寺を引き払ったが、お七は庄之介のことが忘れられなかった。

もう一度火事になれば庄之介にまた会えると考えて、3月2日の夜に家の近くで放火に及んだ。近所の人がすぐに気が付き、ぼやで消し止められたが、その場にいたお七は放火の罪で御用となった。

当時は放火の罪は火あぶりの極刑に処せられていたが、17歳以下ならば極刑は免れることになっていた。そこで奉行は、お七の刑を軽くするために「おぬしは17だろう」と問うが、その意味が分からなかったお七は正直に18歳だと答えてしまい、極刑に処せられることとなった。

お七が干支の丙午(ひのえうま)の年の生まれであったことから、丙午生まれの女子が疎まれるようになった。また、丙午生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮めるという迷信に変化して広まったとされる。

八百屋お七(二代目 歌川国輝画 1867年)
八百屋お七

八百屋お七は、井原西鶴の浮世草子『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになり、文学や歌舞伎、文楽など芸能において多様な趣向の凝らされた諸作品の主人公になっている。

リンクWikipedia


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