十月は一年で一番嫌いな月です。神無月が過ぎると私はなんだかほっとするのです。その思いは昨年母を亡くしたことで益々強くなってしまいました。
茶の世界では侘び、名残の月となり、風炉の最後を迎え、味わいのある時でもありますが、寂しさも募ります。そして十一月は茶のお正月、炉開きとなり、温かな炉がほっこりした気持ちにさせてくれます。
先日、母の一周忌と、弟の三十三回忌を済ませた。悲しいかな、二人の回忌が重なり、でも、幸せなことに二人を一緒に、親戚一同と弟の担任の先生と偲ぶことができた。
和尚さんによれば、三十三回忌を迎えるとその人は人間とは全く縁がなくなり、お釈迦さまと同じ位の本当の仏になるそうです。この後、五十回忌もありますが、それはいつ行ってもよい回忌、思うに通常三十三回忌が残された人が年齢的に行える一番最後の法要となるということなのでしょう。ある意味、家族とは本当のお別れの時だと。
お墓参りの後、皆で会食。その場で、弟の担任の先生が、思い出文集を印刷して皆に配ってくれました。そこには、弟の日記と、亡くなった時の校長先生や担任の先生や母の思いが綴られていて、心から二人を思うことができました。弟の夢は昆虫博士でした。絵がとても上手で、私とは違って観察力にとんでいた。普段振り返ることもなくなっていたようなことを、その文集が思い出させてくれました。担任の先生の長く深い愛、出会いとは不思議なものです。
話は変わりますが、少し前に、大竹しのぶさんが書いた母についてのエッセイがとても印象に残りました。
同じように働く友人の息子が一人暮らしを始めた。御祝を兼ねて、アパートを訪ね、夕食を作り、洗濯をし、真新しいカーテンをつけ終え、帰る母親にその息子は「じゃあね」。友人はそれに頭にきた、何故、「お母さんありがとう」と言えないのだ、寂しくなったという。
それを聞いたしのぶさんは、「それでいいんだよ」と答えながら、自分が7歳の時の光景が蘇ったという。
ある日、初めて友人が家に遊びに来ることになり、前の晩一緒にお風呂に入りながら、母に話した。「明日ね、○○チャンと○○チャンと・・・」黙って聞くだけだった母。翌日帰宅すると、テーブルの上の紙皿に、人数分の数種類のお菓子が綺麗に並べられていた。高価なお菓子でも手作りでもないけれど、自慢げに皆に「さあ、おやつですよ!」と言った。愛情は突然蘇り、胸一杯に広がり、生き続けるものなのだ、と。
何気ない話ながら、私には両方のエピソードが思いあたって、つい涙がでてしまった。母の愛情は他の誰よりも深く、私の一番の理解者であり、味方だったと亡くなって益々思うのだ。娘と向かい合う時も、よく母を思う。母がどんな気持ちで私を見ていたのか、追体験している感じだ。母が私の心に遺してくれたものは、何物にも代えがたい。
もうすぐ十一月がやってくる。炉開きと共に、気持ちも新たに過ぎゆく秋を楽しみつつ、やってくる冬を迎えたいと思う。
茶の世界では侘び、名残の月となり、風炉の最後を迎え、味わいのある時でもありますが、寂しさも募ります。そして十一月は茶のお正月、炉開きとなり、温かな炉がほっこりした気持ちにさせてくれます。
先日、母の一周忌と、弟の三十三回忌を済ませた。悲しいかな、二人の回忌が重なり、でも、幸せなことに二人を一緒に、親戚一同と弟の担任の先生と偲ぶことができた。
和尚さんによれば、三十三回忌を迎えるとその人は人間とは全く縁がなくなり、お釈迦さまと同じ位の本当の仏になるそうです。この後、五十回忌もありますが、それはいつ行ってもよい回忌、思うに通常三十三回忌が残された人が年齢的に行える一番最後の法要となるということなのでしょう。ある意味、家族とは本当のお別れの時だと。
お墓参りの後、皆で会食。その場で、弟の担任の先生が、思い出文集を印刷して皆に配ってくれました。そこには、弟の日記と、亡くなった時の校長先生や担任の先生や母の思いが綴られていて、心から二人を思うことができました。弟の夢は昆虫博士でした。絵がとても上手で、私とは違って観察力にとんでいた。普段振り返ることもなくなっていたようなことを、その文集が思い出させてくれました。担任の先生の長く深い愛、出会いとは不思議なものです。
話は変わりますが、少し前に、大竹しのぶさんが書いた母についてのエッセイがとても印象に残りました。
同じように働く友人の息子が一人暮らしを始めた。御祝を兼ねて、アパートを訪ね、夕食を作り、洗濯をし、真新しいカーテンをつけ終え、帰る母親にその息子は「じゃあね」。友人はそれに頭にきた、何故、「お母さんありがとう」と言えないのだ、寂しくなったという。
それを聞いたしのぶさんは、「それでいいんだよ」と答えながら、自分が7歳の時の光景が蘇ったという。
ある日、初めて友人が家に遊びに来ることになり、前の晩一緒にお風呂に入りながら、母に話した。「明日ね、○○チャンと○○チャンと・・・」黙って聞くだけだった母。翌日帰宅すると、テーブルの上の紙皿に、人数分の数種類のお菓子が綺麗に並べられていた。高価なお菓子でも手作りでもないけれど、自慢げに皆に「さあ、おやつですよ!」と言った。愛情は突然蘇り、胸一杯に広がり、生き続けるものなのだ、と。
何気ない話ながら、私には両方のエピソードが思いあたって、つい涙がでてしまった。母の愛情は他の誰よりも深く、私の一番の理解者であり、味方だったと亡くなって益々思うのだ。娘と向かい合う時も、よく母を思う。母がどんな気持ちで私を見ていたのか、追体験している感じだ。母が私の心に遺してくれたものは、何物にも代えがたい。
もうすぐ十一月がやってくる。炉開きと共に、気持ちも新たに過ぎゆく秋を楽しみつつ、やってくる冬を迎えたいと思う。
約1ヶ月毎に内容が変わりまが、数か月前・・・
その掲示板に「私の誕生日は母が一番苦しんでくれた日である」と書いてありました。
携帯でシャメを撮りわが子たち・・・そして友人にメ~ルをおくりました。
そのシャメ・・・ズ~ッと携帯の中に残っています!
掲示板にそんな言葉がありましたか。
苦しんでくれたのもそうですが、多分、母が一番幸せを感じた日でもあるかもしれません。それは毎年毎年誕生日がくる度に重ねられていくものなのかも。
私も、ある時から、私の誕生日=母に感謝する日と思うようになりました。誕生日はなるべく母と過ごしてあげればよかったと今更ながら思います。