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*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *源平墨俣川の合戦!

2021-02-13 | Weblog

*源平墨俣川の合戦!    

*住所=大垣市墨俣町下宿1

 

*義円公園!

 

*源義円供養塔!

 

*源平墨俣川古戦場跡碑

 

*源平墨俣川の合戦! 説明板!

*養和元年(1181)3月10日長良川を挟んで源平の大激戦がここで展開された。

世に言う源平墨俣川の合戦である。 同年2月4日「平清盛」が病死する。

*東国源氏は勢を得て京へ攻め上る。これを迎え討つため、平重衡(しげひら)を、

総大将として維盛・通盛・忠度・知度・盛綱・盛久等の武将7千余り騎、杭瀬川を渡り、

右岸の墨俣側(上下宿)に陣す。

*一方源氏の将、行家(新宮十郎蔵人)は千余騎を率いて左岸の羽島側(小熊)に着陣す。

源頼朝は行家の応援のため弟の「源義円」をつけ西上させたが、義円は行家に合流せず、

二町を隔てて軍を整えた。義円は行家に先陣されては兄頼朝に合す顔がないと考え唯一人馬に乗り、

敵陣側の西岸にひそみ夜明けとともに「義円は今日の大将軍なり」と名乗って先陣のさきがけをしょと、

白む夜明けを待っていたところ、見廻り夜警兵の見とがめられ、

「兵衛佐頼朝の弟で伯爵卿の公義円という者だ」というが早いか勇敢に戦ったが武運つたなく、

力つき「平盛綱」に討たれた。

*源氏戦利あらず、尾張源氏の泉太郎重光兄弟は討死し、行家の子太郎光家兄弟は、

平忠度に捕えられた。討死・溺死する者690余人に及んだ。

敗れた源氏は尾張に退き又、矢作川(三河国)の東岸まで退き、東国源氏の大兵来ると、

宣伝し勢いを盛り返して、再び平家と戦い義経公・弁慶などの活躍となる。

その後、壇ノ浦の戦いで遂に源氏に平家は亡ぼされる事となった。

*源義円は頼朝の異腹の弟で義朝の妾・常盤御前の子・義経と同腹の兄にあたる。

兄の挙兵を聞き、比叡山の僧兵のごとく坊主頭を頭巾に包み、墨染の衣を着て鎌倉へ、

駆けつけたと思われる。 墨俣川の合戦で悲運の生涯を閉じた、「25才」であった。 

里人義円地蔵を刻み堂を建て、毎年3月10日に供養を続けている。

*ここより150メートル西に義円の墓がある。

昭和56年3月10日に、800年祭が行われた。

*(源平盛衰記・平家物語・吾妻鑑より)  

*説明板より!

 

*源義円墓所

 

*義円墓所!