goo blog サービス終了のお知らせ 

歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

豊臣蒼天録紀行5―不開門は開くか?―

2011-12-25 12:53:34 | 豊臣蒼天録
さて、『豊臣蒼天録』第2巻も無事、発売となったようで。
この蒼天録紀行も2巻に沿って進行!!
まず、最初の舞台は・・・





南大門を左右から。


洛南に鎮座する救王護国寺こと、東寺でございます。
嵯峨天皇が弘法大師空海に下賜、日本初の密教寺院となりました。
以来、王城鎮護の役割を担い、今日に至っています(同時期建立の西寺は室町期に衰退とされます)




金堂は創建年次不明。ですが、現在のものは慶長年間に再建されました。
実は大檀那は豊臣秀頼。




続いて食堂へ。
作中、秀頼が本陣を置いています。3巻にも登場予定。


さて、そして次は東大門へ。
2巻第1章に登場するのですが、この東大門は南北朝時代的にも有名で。
延元元年(1336)の京都合戦において、坂本からこの門に押し寄せた新田義貞の軍勢に対し、
足利尊氏は門を閉じ、辛くも難を逃れたと伝わります。
『太平記』ではその際、義貞は尊氏の本陣である食堂に矢を射掛け、
一騎討ちを望んだとあります。
(尊氏は家臣に留められてこれを受けず。でも、大河ドラマでは一騎討ちやってました)
以来、不開門と呼ばれています。
(普通、「あかずのもん」ですが、東寺の場合は「あけずのもん」と読む)


で・・・いよいよ、その東大門へ。






正真正銘、不開門に!!

修復作業中でしたねー(昔一度、見たことはあるのですが)
なお、東寺の伽藍の大半は室町時代の文明の土一揆で焼失してますが、
東大門はそれを免れた、貴重な存在です。
(前述のことから、足利将軍家が「記念碑」的存在としたよう)


なお、慶長10年(1605)に、この門を大々的に改修したのは豊臣秀頼。
なにか、縁を感じる。
シート被って見えないが(w


あとは、境内の様子でも。。。











なんでか、自販機がキリンコンプリート!!