歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

2011-12-31 21:50:00 | 日記
大晦日でございます。
去年は『本能寺将星録』が12月、1月と連続刊行となり、
何時が暮れだか、正月だかでした。
それに比べたら、今年はゆったりしてます。
現在、『豊臣蒼天録』3巻の執筆中で。
その先のことも、ちょこちょこと(w


東北の大震災があった2011年。
『本能寺将星録』下巻、そして『豊臣蒼天録』1、2巻を刊行することが出来ました。
それも、読者のみなさまのおかげです。
ありがとうございました。
多謝、感謝です。


震災からの復興は、まだまだ先は見えませんが、


「桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・
しかしながら確実に仙台の街は復興しております。
1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております」


仙台から聞いた、この言葉を今もよく思い出します。
2012年こそが、みなさまに幸福をもたらす年であることを願いたいと思います。



師走。教会の光り。



智本光隆

豊臣蒼天録紀行6―瀬田の唐橋、唐金擬宝珠―

2011-12-31 01:05:57 | 豊臣蒼天録
さて、豊臣蒼天録紀行の今回は瀬田の唐橋へ。





先日発売の、第2巻をお読み頂けた方はご存知かと思いますが、
2章の最初らへんに登場しております。



橋の上。


もっとも、唐橋は前作『本能寺将星録』上巻のほうが、出番が多かったかな?
細川忠興と山岡景隆との、唐橋をめぐる攻防がありました。
未読の方は、是非!!


瀬田の架橋に関しては、古来より様々な記録あります。
景行天皇の時代、丸木舟に木のツタを絡めて作った橋が最初のよう。
近江朝廷当時にも架橋され、壬申の乱の最大激戦地となりました。
(そして、大友皇子の戦死地は関ヶ原ともされてます)
その後も藤原秀郷の百足退治、鎌倉軍と木曽義仲の合戦、承久の乱の舞台となりました。
無論、建武の乱でも何度も激戦地となりました。



地元がアピールするのは、ムカデ退治!!


さて、唐橋は正確には場所を微妙に変えつつ、、、
現在の位置に定めたのは織田信長です。
天正3年(1585)に瀬田城主の山岡景隆を造営奉行として架橋します。
中央の中州を挟んで大橋が九十七間(約175メートル)、小橋が二十七間(約50メートル)、
全長は百九十六間(約350メートル)に及んだ当時、日本一の大橋でした。



橋上から瀬田川を望む。


「瀬田の唐橋を制する者は天下を制する」「瀬田を守って勝った試しなし」など、
天下の帰趨を見守り続けて来た、と言えますね。


なお、現在の橋は昭和54年の完成。


さて、次回は「瀬田の唐橋唐金擬宝珠、水に映るは膳所の城」と呼ばれた膳所城へ!!

豊臣蒼天録紀行5―不開門は開くか?―

2011-12-25 12:53:34 | 豊臣蒼天録
さて、『豊臣蒼天録』第2巻も無事、発売となったようで。
この蒼天録紀行も2巻に沿って進行!!
まず、最初の舞台は・・・





南大門を左右から。


洛南に鎮座する救王護国寺こと、東寺でございます。
嵯峨天皇が弘法大師空海に下賜、日本初の密教寺院となりました。
以来、王城鎮護の役割を担い、今日に至っています(同時期建立の西寺は室町期に衰退とされます)




金堂は創建年次不明。ですが、現在のものは慶長年間に再建されました。
実は大檀那は豊臣秀頼。




続いて食堂へ。
作中、秀頼が本陣を置いています。3巻にも登場予定。


さて、そして次は東大門へ。
2巻第1章に登場するのですが、この東大門は南北朝時代的にも有名で。
延元元年(1336)の京都合戦において、坂本からこの門に押し寄せた新田義貞の軍勢に対し、
足利尊氏は門を閉じ、辛くも難を逃れたと伝わります。
『太平記』ではその際、義貞は尊氏の本陣である食堂に矢を射掛け、
一騎討ちを望んだとあります。
(尊氏は家臣に留められてこれを受けず。でも、大河ドラマでは一騎討ちやってました)
以来、不開門と呼ばれています。
(普通、「あかずのもん」ですが、東寺の場合は「あけずのもん」と読む)


で・・・いよいよ、その東大門へ。






正真正銘、不開門に!!

修復作業中でしたねー(昔一度、見たことはあるのですが)
なお、東寺の伽藍の大半は室町時代の文明の土一揆で焼失してますが、
東大門はそれを免れた、貴重な存在です。
(前述のことから、足利将軍家が「記念碑」的存在としたよう)


なお、慶長10年(1605)に、この門を大々的に改修したのは豊臣秀頼。
なにか、縁を感じる。
シート被って見えないが(w


あとは、境内の様子でも。。。











なんでか、自販機がキリンコンプリート!!

本日、発売!!

2011-12-23 09:17:01 | 豊臣蒼天録
さて、本日12月23日は天皇誕生日ですが・・・


『豊臣蒼天録2 恩讐の関ヶ原』の発売日でございます。


今回はどうやら配本が早いらしく、
うちの地元でも、もう店頭で見かけますねー
早くもお手に取っていただいた方、ありがとうございます


なお、感想、質問等はこのブログに書きこんでいただいて構いません。
それでは、よろしくお願いします!!


で・・・作者は3巻に向かおう(w



第2巻の舞台は関ヶ原。そして、人気者の彼が住まうあの地・・・



智本光隆

天天有

2011-12-21 00:53:07 | 日記
さて、発売日カウントダウンですが、
紀行!!の前にラーメン紹介しよう。
登場するのは、京都でもっとも有名な店
そう言いきって、良いと思う一乗寺「天天有」
1971年創業の老舗。





この日は、幸いにしてすいてますが、
20~30人並ぶことも珍しくはなく。
自分が京都離れた後でチェーン店出来たらしいので(よく知らないのですが)
最近は、そうでもないのかな?



チャーシューメン並 650円


「天天有」といえば、チャーシューが有名です。
これ、最初見た時は驚きましたね。
数年前から卵のせバージョン出てます。
スープは「甘め」という表現が適当でしょうかね。
口当たりはさらりとしています。
京都へお越しの際は是非!!
ですが、営業は夜だけですのでご注意を(昼は別店舗として営業)


ちなみに、店のマスターは昔、偶然交差点であっても挨拶してくれました!!!



智本光隆