何気に今回からタイトルを微妙に凝ってみました。
この「本能寺将星録紀行」も第4回目でいよいよ、安土城へ。
セミナリヨから5分程度。
今更、何かしらの説明が必要とも思えませんが、
織田信長が「天下布武」の拠点として築いた当時、日本最大級の城郭が安土城です。
天正4年(1576)に着工、本能寺の変直後に焼失、僅か6年で消えた「幻の名城」です。
で・・・セミナリヨの時も痛感したのですが、確かに「幻」だけあって知名度の割に資料がない(泣)
そんな訳で、『本能寺将星録』では安土の街など、かなり推測で書いています。
当初の予定に比べて安土城の出番が減ったので、あまり目立たないかも知れませんが。
さて、そんな訳で安土城へ。今回は写真を何時もより多めに。天主・総見寺編と2回に分けてお送り致します。
大階段。結構、段差はあります。作中にも登場。そして、側面から。
安土城大手路の大階段。
多くの創作でこの場所は、安土城の表玄関的に描かれています。本作も思いっきり同様。
しかし、この「大手」なる言葉、当時は使用されてはおらず後世のもののようです。
「追手」という字を当てたともされ、必ずしも正面の意とは限らず。
もっとも、発掘調査ではこの大手路は本丸からそのまま下街道に直結しており、これは後の城でも見られない特徴。
現在の大手路は平成元年からの発掘調査により、江戸時代の石積みなどを取り払って、
築城当時を再現したものであります。
伝羽柴秀吉邸。大手路を挟んで伝前田利家邸が。
大手路の左右は羽柴秀吉、前田利家、徳川家康の邸地と推定されています。
これらは後世に当てはめられたもので、必ずしも正確とはいえないもの。
確かに安土城築城当時の秀吉、利家が向かい同士に邸を構えるというのはちょっと考えられないか。
分かりやすくプレートが(笑)
安土城といえば有名なのは城の建造物に石仏を使用したこと。
これは当時としては特に珍しくいことでもなく、信長の仏教に対するスタンスとは多分無縁。
作中では細川忠興がこの石仏、かなりぞんざいに扱っておりますが。
ブログ開設で使った紫陽花は、このあたりだったかな。
現在では完全に山の中という感じですが、築城当時はこれらの木々は取り払われていたと思われます。
さて、次回は安土城の中枢部、大天主へ。