歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

本能寺将星録秘話第4回―細川ガラシャ1―

2011-04-30 23:34:19 | 本能寺将星録
さて、「本能寺将星録秘話」第4回にしてようやく2人目。
今回は本作のヒロイン、細川ガラシャこと珠子さんです。


いや~ガラシャ書いて見たかった。これ、嘘偽りない作者の本心ですね。
『関ヶ原群雄伝』でほんの少し出番あったのですが。
本作の主人公が忠興に決まった時から、完全に頭の中ではワンセットでした。
というか、このブログでも散々書いていますが、
「細川忠興はガラシャのダンナ」としか認識されていないというか・・・


さて、これも前に書いたかもですが、本作の珠子のコンセプトとしては、
「細川家(忠興)の側に立つガラシャ」というのがありました。
本能寺の変を扱った作品の場合、必ず細川家が混乱する場面が登場します。
その場合、「父をお助け下さい」と舅、夫に懇願するケースが多いかと(今、放送中の江姫は違いましたけど)
本作は徹頭徹尾、珠子を忠興の側に立たせて見ました。
父親の信念を認めつつ、主君への忠節を貫く忠興を支える、そういった人物像にしています。
実際、珠子が光秀に助力してくれと忠興や藤孝に懇願した史料はないわけですしね。
(無論、実の親であるのだから、助けられるのであるのなら、助けて欲しいとは思ったでしょうが)
「武家の女性」の強さ、美しさを表現しようと思いました。これは光秀の正室・煕子さんも同様です。


さて、珠子のキャラクター設定ですが、これは蒲生氏郷も言っていました「聖母マリアの若い頃」です。
作者はキリスト教の知識、ほとんどないので、マリア様の若き日がどんなのかはまったく知りません。
完全にイメージです。ええ、それはもうイメージオンリーで。
ただ、多作品のガラシャを見かける場合、妙に神々しすぎて人間味ないとか、
浮世離れしすぎて周りを見下し気味とか目立つ気も。
某作品に「私って美しい♪」って自意識過剰なのもありました。
特に何か忠興を見下しているような描写の作品目立つ気も。


そんなわけで、忠興とは幼馴染(とまで幼児期、密接ではないか)で、
夫婦になった2人という点で書きました。
何か書いてる本人が「いい加減にしろよ、このバカップル!」と突っ込みたくなるような描写ありましたけど。
担当A田氏にも「このままだと2人はこれからも幸せに暮らしました・・・で終わってしまいますよ」
と言われたなあ・・・まあ、氏郷も呆れるわな。実際、忠興と珠子のシーン案、もっとあった訳だし。
それと一応、モデルというかモチーフが他にもうひとりいます。
キリスト教の関係って言えば、関係の作品から。
作者は墓の下まで持って行くつもりなので、ここで明かすつもりはありませんが。


ただ、珠子は予想以上に書いていて楽しいキャラでした。
伊也と接するシーンとか、作者も結構気にいっています。
それと忠興があんまりしゃべらず、周囲に回しの出来る家臣のいない細川家で、
ボケもツッコミも出来る万能な奥方に!
さすがは、宣教師が「日本で一番聡明な女性」と書き残しただけのことはあるというか。
作者の中でイメージ固まっていた為か、珠子がらみのシーンはほとんど草稿そのままで直してないですね。
(逆に直しまくったのは高山右近と黒田官兵衛)


余談をひとつ。忠興が高山右近と山崎で対決したシーン。
あの時、忠興が放った白羽の矢。あれを岩清水八幡宮から貰って来て、忠興に渡したの珠子さんです。
(忠興が鍔渡した後に矢渡す場面、入れる案ありました。流れ悪くなるのでカットしましたけど)
何時、貰いに行ったのか?は実は上巻に一言だけヒントあったりします。
忠興がブツブツ言ってる間に、実は終局見据えて動いていた、珠子!!
でも、その白羽の矢を忠興が誰に放つかは問わない。そんな女性なんだと思います。


一応、本書は戦記というジャンルですので評判も若干気掛かりでしたが、
かなり好評を頂きました。某サイト様で「いいなぁ、ここのガラシャ」と書いて頂き嬉しい限りでした。
イラストが一ヶ所もありませんが、そこの所は皆様、頭の中でそれぞれの珠子さんを思い描いて下さい。


て・・・珠子も2回になりそうだな。それでは、次回!



そして、今しがた終わった世界フィギュア。
まずは男子の小塚崇彦選手、銀メダルおめでとう~
そして、安藤美姫選手、2度目の世界制覇!!
安藤ファンのうちの妹も喜んでおります。
というか、それでも話題が真央ちゃんと金なんで荒れてます。
なんにせよ、おめでとう!!
しかし「曲が先か安藤が先か!」ってなんだよ、塩原アナ・・・

本能寺将星録秘話第3回―細川忠興3―

2011-04-29 18:45:17 | 本能寺将星録
本日は昭和の日。
天皇誕生日だった日々が、年々遠くなります。
さて、一体何時以来何だか分かりませんが「本能寺将星録秘話」です。
珠子の回上がっているのですが、忠興に多少の書き残しあったのでまずはそちらからです。


結局、細川忠興の生涯を辿ると・・・
『本能寺将星録』の作中、光秀が忠興に「忠興に天下を譲る」と言った場面がありました。
作中でも史実でも、忠興はこれに応じてはいません。天下へと野心はない人物、そう言えるかと思います。
野心的な行動を起こしていれば、今の評価も別物になっていたでしょうし。
逆に無残な最期、悪名を世に残す結果だったかも知れません。
天下・・・ずっと後世に子孫の細川護煕さんが、内閣総理大臣になりますが。
まあ、それはそれとして(w


史実の忠興は山崎の合戦後、秀吉の天下取りに貢献して豊臣政権の一翼を担います。
ただ、師事した千利休が切腹させられた際の堂々としたエピソードなどから、
「信長直系」の自覚は強かったようです。
結果、それが豊臣秀次失脚事件に巻き込まれ、家こそ守りましたが政権への影響力は減少したようです。


その頃になると秀吉には信長系大名は邪魔な存在で、改易の対象になっています。
豊臣政権終盤は厚遇されたとは言い難く、秀吉の死後は徳川陣営に与したのは当然と言えます。
別に「豊臣恩顧」の大名という訳ではないですしね、細川は。


関ヶ原の合戦の結果、忠興は最愛の妻を失います。
そこから立ち上がって、結果的には肥後熊本の初代実質当主となりました。
あまり知られていないかもしれませんが、大坂夏の陣では寡兵で非凡な采配も見せています。
布陣場所をみたら家康本陣の真前で藤堂高虎と井伊直孝の間。
如何に家康が警戒していたか・・・ということではないでしょう?
新田流を名乗る家康にとって細川は同族大名になりますし、系図上は格上にもあたります。
扱いに頭を悩ます存在ではあったようです。
旧明智人脈の春日局(斎藤福)などを通じて、常に幕府の動きには機敏に対処したようです。
将星録のラストシーン近くにも、ちょっとだけ出して見ました、お福ちゃん。


細川忠興の生涯。それは織田信長に将来を嘱望された若武者が、
本能寺の変という挫折を経て豊臣秀吉、徳川家康という最高権力者に従い、抗い、
合戦で最愛の妻を亡くしても戦うことは止めず、最後は肥後の賢主となった・・・
そう言えるものなのかなと思います。


正直、細川忠興にここまで愛着出るとは執筆前には想像してもいませんでした。
まだ、少しだけ未練もありますね、正直。
信長に対する敬慕、光秀への複雑な感情、伊也、光慶への優しさ、そして珠子への愛情・・・
書いていて楽しかったです。
でも、無駄口叩かない主人公って書いていてやっぱ疲れる(w

プロ野球が開幕している

2011-04-25 20:03:07 | 日記
風邪気味らしくノドが痛い・・・
生来、ノド弱いのか、風邪ってなると真っ先にやられます。
何時だったか、2ヶ月くらい声出なくなったことも。
薬も満足にない被災地のことを考えると、病の内にも入らんのだろうけど。


さて、色々もめていたプロ野球が何時の間にやら開幕しています。
まあ、唯一の落とし所に落ちたかな・・・とは。


ちなみに、智本光隆の最新作『本能寺将星録』には「星」の字が入っていますが、
私は在京セリーグで球団名に星を冠した、あのチームを応援させていただいております。
横浜あたりにあります。1998年ごろは日本中に歓喜の輪を広げました。
大魔神とか、マシンガン打線とか、中継ぎローテーションとかありました。
この件を語れば、歴群新書5冊分くらい軽く書けるかも知れません。
担当様、どないなものでございましょうか?


・・・まあ、ここ数年は5冊どころか、1冊にもならないか。というか、書く気にもならん。
せめて、週1くらいはその話題このブログで出したい。
頼むよ、ホントに、切実に・・・
38年のご無沙汰にならないでね?(じゃあ、40年とかではなくて)


野球ついでに今、旬な人の話(ベイが旬じゃないみたいだけど)
わが郷土群馬の生んだ斎藤祐樹投手、開幕2連勝してますね。
色々評価お有りでしょうが、ゲーム作ってるのだからその点は素晴らしいのでは?
横浜にそんなピッチャー何人いるんだよ・・・ねえ、うち来ない?早稲田の先輩・細山田もいるよ?
真価問われるのはこれからでしょうが、期待して見させていただいております。


ちなみに4年程前になりますが、太田市(旧新田町)をウロウロしていたところ、
ある酒屋さん(現在は閉店してます)の前で当時・早稲田大学1年の斎藤投手のサインを発見。
思い切ってお伺いしたら、ご家族が良く来られるとのことでした(繰り返します、今は閉店してます)
「あの子は本当にいい子でねえ」とは、店の女性のお話。
「それがナントカ皇子だなんて変な名前付けられてかわいそうに。それも、あの時(甲子園優勝時)は、
それはもうマスコミがそこから、どこから、あそこから入り込んで来て、ホントにねえ!」
とも、店の女性のお話でした。


・・・マスコミさんつまみ出したんですか?新田のみなさん。
さすが、義貞公を輩出した地だけはあります。
というか、もう少し節度ある取材、お願いできないもんでしょうか。


以上、ノド痛くてボケっとしながらつらつらを綴ってみました。


智本光隆

仙台の復興3―蕎麦処 ふじ杜―

2011-04-23 23:54:18 | 日記
仙台では震災直後、多くの店舗が物資を被災者に供出したそうです。
それは大手チェーン店、個人経営店共に同じでした。


しかし、チェーン店の多くは在庫を吐き出した所で営業休止に追い込まれました。
理由は卸元から品物が来ない。全国的に展開しているコンビニエンスや、
誰もが知っているハンバーガーチェーンなども「地震3日で力尽きた」とは家族のコメントです。
私が最初に仙台入りした3月末の時点では、閉店のままのところが多かったですが、
4月には多くが再開しておりました。
余震で再び、閉店を余儀なくされてしまったところもあったようですが・・・


有名な「伊達の牛タン」も営業しておりました(写真撮るの忘れた。。。)
余震の中、テールスープを一滴たりとも溢さずに運ぶ女性店員に、プロの仕事ぶりを見ました。


さて、一方で個人経営店も在庫をすべて救援物資としたとのこと。
その後、個人ルートなどで仕入れたもので営業を再開しているところが多かったです。


今回、ご紹介するのは若林区荒井の「蕎麦処 ふじ杜」さん。
アパートに近く、仙台に行った際にはよく利用させて頂いております。
こちらも震災時には、物資を被災者に拠出したとのことでした。
ちなみに、この数百メートル先が仙台東部道路です・・・





天ぷらせいろ 1260円


個人的意見ですがそばは固めで歯ごたえがあり、とてもおいしいです。
そして天ぷらが上手い。エビもよいですが、シイタケも絶品でした。


家族は天丼セット(1050円)を食べていましたが、
こちらのミニ天丼もとてもおいしかったですね(食べたことあります)

このふじ杜さん、レジ上のホワイトボードにはそば粉の産地と、割合が書かれています。
田舎そばもありますが、地震直後はさすがに休止中。今は復活したでしょうか?


お店はあまり広くないですが、とても洒落た雰囲気でした。



店舗外観


確実に仙台の街は復興しております・・・
かまぼこの鐘崎さんの言葉を実感することが出来ます。
また仙台に行く時は、お邪魔させて頂きたいと思います。



智本光隆

仙台の復興2―桜の花に癒されて―

2011-04-21 20:17:55 | 日記
先日紹介した「かまぼこの鐘崎」の店長さんからメールを頂く機会がありまして、


「桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・。
 しかしながら確実に仙台の街は復興しております。
 1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております」



仙台まで桜を見には行けませんが地元の桜を。


旭日に咲く。明けない夜はない。




そして地元中学の河畔にて。新生活の時期ですね。



智本光隆