父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年4月21日

2005-04-20 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
21日 晴れ 暑し

七時起床。朝の中に連絡事項の連絡をすます。朝
食のうまい事。Rstはやはり何でもうまい。内地米で、汁
も粉ミソなんかでないほんもののみそだ。
Rstから帰り際に手紙が来る。妹より三通、
叔父より一通。2月から三月の便り。東京の便りを聞く
と猛烈に帰心をそゝられる。妹は、僕のレコードを鑑
賞してゐると。久しく音楽を聞かないので内地が恋しくなる。
同じに召集された将校でもRstや大隊段列でのんびり
服務してゐるものもあれば、本部で苦労してゐるものもあ
るし、要領の悪いものは全く損をすると考へてしまふ。
まあ、お国のためだ。もう少しと思って我慢する。
十一時頃R本へ帰る。Δは2/3休養とか言ってΔへ
は将校一と下士官兵が1/3残って他は本部の位置
に下がって休養する事になってゐると。昼食后Δへ行って
みる。情報会報に各将校交替で行って貰ふと指揮
班長が言ふので僕も少しは情況を知っておかねばならぬ
し、困ったものだ。指揮班長が自ら情報会報に行
くのが当然なのに、他の将校に行けなんとは以ての外だ。
コレヒドールを眼鏡で眺めてから本部へ帰る。
今日は本部は病人は続出、指揮班長の機嫌悪
く西川准尉はデュデュに叱られ気分悪い。兵隊が
数名発熱、田中曹長マラリア、西川准尉も発熱
で全く処置ない。益々患者続出の模様。これでは
とても戦闘が出来ない。各隊共発熱患者続出
で困ってゐるやうだ。石井大尉入院、上島 崎山
市川中尉等も発熱。これではコレヒドールの攻撃
に差支へがありはしないかと心配される。
今夜は十時頃迄海辺で夕涼み、九時からヱ兵を
たてる。要員がゐないので不寝番指揮に一名宛二時
間交代の勤務。十時頃通信主の所に田中少尉と
一緒に寝る。

  人気blogランキング 元祖blogランキング


最新の画像もっと見る