父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和16年12月7日

2004-12-07 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
明日は12月8日 といっても何の日か考える人は少ないかもしれない
私自身特に感慨はないけど ここに今は亡き父の日記がある
以下 日米開戦前夜の日記



7日 (日) 晴れ・風あり

今日も膨鼓島に隠遁生活。
今日は午后舟艇乗降訓練を実施する。独工*が
舟艇を下ろし、乗船部隊全員縄梯子を傳って
舟艇への乗り降り、午后一時半から四時頃迄に
終る。大仕事はなし。歩兵や山砲は訓練
の必要があるが我々重砲は訓練の必要はある
まい。
夜中隊長から情況を聞かされる。上陸地点はフィ
リッピンの西北部海岸何とか言ふ河の入り口で
我々の師団は其処へ上陸だと。右翼隊、左翼
隊の編組も、もう出来てゐる。歩兵は47i
と台湾の1iで、砲兵は台湾の山砲と、砲兵隊
として22A、ISA8SA。砲兵団長がうちの
入江大佐。8SAがやはり参加してゐると言ふ
ので驚いた。83Aは早から台湾に来てゐたらしい。
殆ど機械化部隊許りらしく、戦車も相当使
用するやうだ。フィリピンの作戦は一ヶ月で終了
し、続いてシンガポールへ向ふ予定だとか。
現在地を出発するのは上陸予定日の五日前だとか。
あと数日の後には出発するらしい。
フィリッピン軍の兵力は約30万で中2万位が
米人、あとは土民軍ださうだ。殆ど訓練は出来
て居らず、只小銃の狙撃だけがうまいと。突撃
なんかは全くやって居ないと。上陸しさへすれば
殆ど無人の境を行くやうにマニラまで攻○出
来るんだらう。面白い事だ。
こんな船の中の退屈な日は早く過ぎて、どんどん
戦斗をやってみたい。
十一時頃寝る。

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父は当時28歳
フィリピンへ向かう輸送船に乗っていました
台湾高雄出港してどこかの島で待機中らしい

文中*や○は漢字が読めない 不鮮明などです

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