父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年1月2日

2005-01-02 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
2日 (金)

AugatRを渡河して川沿いの道路を一路カル
ンピットに向ひ全速力で前進、牽引車が20粁近
い速度を出す。
28日からずーっと行軍続きで殆ど休みらしい休
養を取ってゐないので自動車手の疲労は激しく
うっかりすると眠ってしまって危なくて仕様ない。分隊
長以下砲手は全部眠ってしまってゐる。僕も眠
くて仕様ないが僕が寝てしまっては尚危険なので
無理にも我慢してゐる。
約10粁位の所で夜があける。Bangaの踏切
りで停止、中隊長先○する。帰って来ると敵はもう
逃げてしまって我々の射撃はもう不必要になったと。こん
なに勢こんで来たのにがっかりした。bangaの先の
Guinganの町はまだ昨夕我が戦車が進出して
占領し歩兵はゐないで其のあとにすぐ我々重砲が
来てゐるのださうだ。まだ敗残兵がゐて危険だと。
此処でゆっくり朝食して別命あるまで休止。疲れ
てゐるので昼寝する。
今日は此処に宿営だ。敵はManilaを捨てて半島
の方へ逃げたので我が軍は先づManilaを占領して
後に此の敗敵を衝くのだらうと言ってゐる。Manilaは
今非武装都市とか言って我が軍の爆撃攻撃を僻
けるために灯火管制なぞ全然やってゐないと。我が
空軍もそのために空爆が出来ないと言ってゐる。マニラ
占領も近い中だらう。敗敵は半島の要塞地帯
へ逃げ込んだとか。
夕方4時頃から中隊長が自動車徴発に行くから一
緒に行って呉れと言ふ。もっと早くいけばいいのにと思っ
たが一緒に行く。小型と指揮車で。踏切りを越し
てQuinguaの町を左へ曲り数粁走る。此処は
昨日戦車隊が此の道路を西北に逃げる敵を
迎へ撃った所で自動車がゴロゴロしてゐる。橋梁のある
所の三叉路迄来る。我が戦車砲に撃たれ各部をやられ
路外につっこんだりなぞしてゐる乗用車、トラック等が澤山
ある。中には操縦手が運転台に死んでゐたり、車の側
にのびてゐたりしてゐる。橋架の所は稍曲り角で戦車
が此方で待ってゐるのが敵に少しも分らなかったらしい。全
速力で逃げて来るのを僅か100米位の所から狙ひ撃
ちをやるんだから皆命中だ。
自動車は乗用車一輌と、貨車一輌牽引して持って
来る。機関の各部が他部隊に持ちさられてゐるので
他の車輌から必要な部分を外して持ち帰る。貨
車なぞはInternationalの新品でまだ60kmきり
走ってないNewCarだ。戦車砲に正面から運転台を
打ちぬかれて前部がグシャッとしてゐるがその他の部
分は完全なものだ。揮発器とBatteryが外されてゐ
るが別の所にあったのから揮化器を外す。此の車は
バスで操縦手が運転台にのびてゐる。色々やって
物色してゐる中に暗くなってしまひ、月が出始める。満月
だ。附近は人一人ゐず、間針には敵の死体がコロが
ってゐるし気持の悪い事。敗残兵が何処にゐるか分ら
ぬので七時半頃引き上げる。今晩一杯かゝっても此の
二車輌を動くやうにしてしまはうと自動車手を呼集して
修理させる。乗用車は広搬に、貨車は戦砲隊用として
小島上等兵に担当させる。乗用車は十二時頃かゝったが
timingが狂ってゐるらしく機関がかゝらぬので明日に
する。貨車はCarburatorを取り付け、運転台を少
しなほしてBatteryを取りつけ始動してみるとすぐかゝ
る。しめしめ。Gasolin tankが弾丸にやられてゐる
ので修理しなければならぬ。明日にでもRstにやって
貰はう。12時頃終ってやっと寝る。
段列が出かけて行ったが持って来たのは小型乗用車
一輌だけだった。明日は一日滞在らしい。

  
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1 コメント

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拝読 (マッカッカー元帥)
2005-01-06 13:21:14
読ませていただきました。当時の光景が浮かんでくる様でとても楽しんでおります。どんどん続けてください。よろしくお願いします。
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