父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年1月20日

2005-01-20 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
20日 (火) 晴れ 暑し

昨夜一中隊はうちの右側方へ放列布置をする。
昨夜中に敵砲弾が放列附近に落下し眠りをさま
されたが損害なし。
今朝は七時起床。今日は未だ一発も撃たず。(今午后
三時)今日は戦線整理らしい。三中隊は右正面
直協*となり、今度は141iに直協するのださうだ。
一昨日の我々の陣地変換と同時にⅡ/1SAとⅡ/8SA及
15Kは某方面に転進とかでやはり陣地変換をした。
某方面と言ふのは南洋方面か又はバタン半島を後方から
衝くのかどうか分らぬが。此の正面の戦闘が遅々として
はかどらぬのに砲兵力の半数以上を減じてしまふのは
どうもおかしい。転進する部隊はS.Fernandoに一旦
集結だと。
午后大隊段列の小川少尉木許曹長等大隊本部への
連絡にうちの放列に依り第一線の状況を聞く。142i
は今迄三中隊が直協してゐたが中央翼隊でずっと前
進したが右翼隊の141iが少しも前進せぬために両翼
から敵の射撃を受け損害がひどいと。此のためⅠ/1SAは
今度141iの直協となり明后22日払暁より攻撃
再○ださうだ。141iは全くダラシがない。

 
  
弾丸は此の攻撃で大隊で2400発中隊で800
準備してあるさうだ。こんなに撃たねばまだ落ちない
やうな敵ではなかなか相当なものだ。
今日は一発も撃たずに休む。夜ラヂオを聞いたが
大したニュースもない。


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