父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年1月21日

2005-01-21 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
21日 (水) 晴れ 暑し

今日も明朝の攻撃を控へて○材の準備及兵員の
休養。一日のんびりと休む。昨日も今日も友軍砲兵
は殆ど射撃せず静かな戦線だ。敵もあっけに
とられてゐるだらう。敵の砲撃も日増しに減じて来る
やうだ。
昼間は兵隊が放列の後方の小川の方に行って怪し
い土民6名を撃ち殺して来たと。毎晩我々の近くで
怪しげな信号弾が上り、それが上ると必ず
出来砲弾が飛んで来る。どうも土民がやるのか敗
残兵がやるのか分らぬ。それで今日兵隊はあの土
民は怪しいと木に捕して撃ってしまったのだ。可哀想で
も止むを得ない。此の間○○小隊の金井一等
兵が可愛がってゐた土民の少年もあとでスパイ
と分って憲兵に連行されたと。我々の放列や段
列が敵に砲撃されたのもこんな土民の手引か
もしれぬ。
午后弾薬補充の車輌で宣伝班の人が二名来る。段列
で明朝から攻撃開始と聞いて来たらしい。今日は放
列で給与を受けて明日射撃の写真を撮り、帰るの
ださうだ。マニラのニュース等を聞く。二人供写真班で
一名はカメラ、一名は映画だ。
今日も一発も射撃せずゆっくり休養。
夜は徴発の蚊帳を中へ吊って寝る。気持
よい。


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1 コメント

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Unknown (t33-001)
2005-01-21 21:05:36
生々しい戦地の様子が良く分かります。

苦労された当事の方々に、頭が下がります。

 今の我々には、到底耐えられないご苦労が、

しのばれます。

 大変な作業だと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。
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