父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年4月29日

2005-04-30 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
29日 (水) 晴れ 暑し

今朝は熱が少し下がる。が十時頃になるとやはり
再び上って39°を越える。毎日朝の二三時間
だけ38°台に下がってそれ以外は39°を下った
事がない。ブドウ糖注射を又やる。僕の静
脈は特に細いので一回で終らず、痛い思ひを
する。最初白神軍医が遣った時には五六回刺
されてしまった。身体に元気が出ないので今朝から
オモユを食べる。うまくなし。昼頃尻に注射をう
たれる。大して食べてゐるわけではないが便意
を催ほす。我慢して便所へは行かず。腹がグーグー
鳴る。
今日は天長節でコ島の大砲爆撃がある。今
朝八時を期して全砲兵一斉に破門を開き、砲声
は韻々と天地に轟く。嘸コ島は爆煙につゝ
まれて断末魔のあがきをみせてゐるだらうと思ふが
病床にある身は見る事が出来ない。約一時間に亙
る猛砲撃で台一次射撃が終る。十時から再び
開始し、砲声天地に*凄く。地震の如き発
射音を立てるのは24Hか。十一時半頃終了。
コレヒドール島全然沈黙し反撃し来らず。
夕方熱再び40°を越す。身体至ル所苦し。手足シビれ
言ふ事を利かず。頭と胸を冷し加藤曹長におさへて
貰ふ。焼く一時間で少しよくなる。全く此の世の身体と思
はれず。熱は相変らず下がらず。夜になって41°に上る。
今日も一日中苦しんだ。熱帯マラリアとかデング熱と
か。内地に帰還しても再発するのではかなはぬ。今内
地には硫規、塩規錠が殆ど手に入らぬ事、療
治も出来ない事になる。

   天長節

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