父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年7月31日

2005-07-31 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
31日 (金) 晴れ 暑し

今朝は五時前に非常呼集で起される。
毎朝非常呼集だ。自動車を出して分散配置する。
此の防ヱ演習は全く徹底してゐる。よく、空襲警報
がある。一日四回も5回も空襲に見舞はれる。
消防隊長で一々、消防兵を出して準備せねばならないの
で営内を馳足をして足が痛くなってしまった。
午前は兵器検査だが防ヱ演習で指揮班長は検査に出
られぬ。新井中尉と、野淵少尉と三人で分担してやる。
僕が車廠で自動車の検査をやってゐるときに空襲警
報があってΔ中隊の兵舎が火災の状況をやったのださう
だが、伝達されなかったので知らずにゐる中に終ってしま
った。新井中尉が兵舎の方で一人でやって呉れたと。
此れで防空演習も終ったらしい。もう今夜はないだらう。
今朝は巡察がある筈だったが時間割の見誤りで
やらなかった。もう週番も終り。明朝はいゝだらう。
今週は防ヱ演習のため二週間分位の勤ムをやって
しまった。もう週番も最后だらう。
七月に終り。来月中には召集解除になって貰ひたいも
のだが、聯隊副官の活躍が鈍いのでどうも分らぬ。

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