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韓国モータースポーツニュース

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レースクイーン、辛卯年は賢明さを備えた者に。

2011年01月05日 03時22分23秒 | 韓国国内チーム・スポンサー・関係者
レースクイーンへの視線が熱い。ファンクラブがあるのはもちろん、レース以外にも様々な分野で名前が出るようになり、今では立派な芸能人としての地位を築いているというのが業界の見方だ。

[写真]
レースクイーン

(訳註:日本の「レースクイーン」に相当する言葉は、韓国では「レーシングガール」。英語だとGrid girls)

事実、国内でのレースクイーンの歴史は、モータースポーツの試合が公式化された1995年までさかのぼることができる。当時のレースクイーンは、男たちのロマンである「車」「スピード」と一緒に大きな注目を集めた。男性たちの世界で唯一の女性たちだったから、カメラのフラッシュが殺到するのは、見方によっては当然だった。

(訳註:以下文中の名前に、ハングル名での画像検索がリンクされています)

しかし、1995年頃のレース初期では、レースクイーンに興味はあっても、遠くから眺めるだけの消極的なファンが多かった。そうするうちに2000年に入って、デジタルカメラの普及拡大と、インターネットを基盤としたコミュニティの活性化がレースクイーンをスターに押し上げる土台になった。最新のカメラがサーキットの美女たちの一挙手一投足を捉えるのに忙しくなり、撮影された写真や情報は、インターネットカフェや個人ミニホームページで爆発的なコンテンツを作り始めた。それに支えられ、オ・ユナチェ・ヘヨンホン・ヨンシルソ・ダニなど第1世代のスターが誕生することができ、キム・ミヒキム・ユリムがその後に続いた。レースクイーンの「テゼ(大勢)」(*1)「ベクチミ(百一美)」「チャカムグラマー(グッドなグラマー)」(*2)という新造語と、未だに様々な人気の記録が破られていないイ・ソニョンに至るまで、レースクイーンの人気は黄金期を迎えた。

訳註*1:「圧倒的な美人」「これこそが主流」という意味合い
訳註*2:あえて日本語で言うとすれば「美人すぎる○×」「○○ちゃんマジ天使」のような感じ

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ク・ジソン

2005年以降、第1世代に代わって、ソン・ボヨンジョン・イェフイなどがトップの座に上がり、その後、キム・シヒャンク・ジソンまで続く人気の系譜が形成される。上手くいった人々が個人事業や放送界へ移籍したことで後輩に席を譲ったおかげで、新人たちの活躍も目立った。ファン・ミフイユク・ジヒェジュ・ダハイ・ソンファなど、陰に隠れていた宝石が顔を出したのもこの時が初めてだ。

しかし、人気が高いだけに物議も後を絶たない。レース以外に活動範囲が広がると人気に伴う懸念の声が少なくない。何人かは芸能界に進出する目的で認知度を上げることに汲々とし、ヌードやスキャンダルで全体のイメージを損なったり、一刻の人気や関心に自惚れて業界全体のイメージをつぶすこともある。このような理由で個人的な被害を被るレースクイーンも増えている。また、放送番組デビューや出演を理由にノーギャラを要求されたり、あるいは1年以上も準備したアルバムがキャンセルされたり、練習生として数年の間オーディションしかなく経済的に困難な状況に陥るレースクイーンもいる。

[写真]
イ・ソニョン

現在のレースクイーンは、多くの人々の関心と応援を受けて、侮れないほど浸透し支持を得ている。したがってこれからは、自分の分野で最善を尽くして力を育む姿が必要だ。目先の利益や人気に惑わされず、レースクイーンのイメージを変えるために力を注がなければならない。そのためには何よりもレースクイーンとして活動する人々の賢明さが必要な時だ。辛卯年の今年は、従来からは変わった彼女たちの姿を期待してみる。


ソース:AutoTimes
2011/01/01 12:00


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