韓国モータースポーツニュース

韓国国内外のモータースポーツ情報などを、韓国語の記事を翻訳して紹介

[注目のF1ドライバー]小林、アジア人初の優勝を夢見る

2011年06月02日 04時16分53秒 | F1ドライバー
2011F1が開幕以来、6レースを経た。みんながセバスチャン・ベッテル、フェルナンド・アロンソ、ルイス・ハミルトンに注目する中、黙々と自分の位置で最善を尽くすのドライバーもいる。F1の24人のドライバーのうち唯一のアジア人の小林可夢偉は(*)、今後F1でポディウムに登る可能性があるドライバーとして、韓国人ドライバーの誕生を夢見る私たちにも助けとなる選手だ。小林可夢偉、果たして彼はどんな人か。

*訳註:インド人のナレイン・カーティケヤン(ヒスパニア・レーシング)もいる。

小林可夢偉
レースが好きだった普通の少年

小林は1986年に大阪付近の兵庫県で生まれた。寿司屋を営む父のおかげでさまざまなスポーツを経験しながら育った。彼がやってみたスポーツは野球、サッカー、陸上、そしてカートだった。特に日本のプロ野球阪神タイガースのファンである小林は、ランディ・バース(80~90年代の阪神の4番打者)を夢見てバットを振り回す野球少年だった。

日本のスポーツで人気があり、運動神経が優れている学生は、野球、サッカーの順に進出したがるが、小林は違った。小林が子供の頃、日本はアジア人初のドライバー中嶋悟を輩出し(**)、34歳でホンダからデビューした中島はF1で最高4位を記録し、日本のモータースポーツに火を点けた。

**訳註:アジア人初のF1ドライバーはプリンス・ビラ。中嶋は日本人初のフルタイムドライバー。以下、同様の間違いが何ヶ所かあります。

そんな中嶋を見て成長した小林は、9歳のころカートでモータースポーツの世界に足を踏み込んだ。父は中嶋のレースのビデオを見せたし、父子はF1にチャレンジしてみようと硬い気持ちを持つようになった。小林の家族たちは小林のために、すべてのことを全面的に支援した。小林のレースは、そのように始まった。

Fトヨタ、Fルノー、F3およびF1まで
小林の才能はすぐに明らかになった。そして、小林は、時代の良い時に生まれたラッキーな人でもあった。小林がレースに接するときは、『先駆者』中嶋がいて、90年代には鈴木亜久里、2000年代には佐藤琢磨がそれぞれ3位入賞に成功し、アジア人ドライバーの競争力をアピールするのに成功した。
このような認識の変化や小林自らの努力が合わさり、2003年から2007年までに計5年間で、小林は段階的に直線的に上昇する急成長を示した。FトヨタとFルノーを相次いで2年間優勝を果たし、急成長し、ヨーロッパのレースの世界に進出することになる。
Japan' s next F1 superstar?
<写真:小林の印象的なデビューを報じる記事(F1公式ホームページのキャプチャ)>

イタリアの選手権とFルノーで優勝してダブルチャンピオンを記録した彼は、F3さえ席巻し、F1進出を目前にした。このような彼に手を出したのは、当時F1に参戦していたトヨタモーターズだった。

トヨタは2008年、小林をチームのサードドライバーとして起用し、いつでも参加することができるように猛練習させた。チームのサードドライバーと呼ばれる位置はバックアップのメンバーだが、いつでも出場が可能でなければならなかったし、テストドライバーの役割まで含めて練習量は実戦に投入されているものに劣らなかった。しかし、2009年のデビューを目前に控えて親会社のトヨタは、リコール問題、技術力の不足、資金衆寡不敵としてF1撤退を決定した。

それにもかかわらず、運が続いた。BMWザウバーからすぐに出場を準備できるように入団契約が成立し、サードドライバーとして待機していた彼にチャンスが訪れた。18戦のブラジルGP直前の負傷で戦列から離脱したティモ・グロックに代わって出場することになった。無難なデビュー戦を行った小林は、次のラウンドアブダビグランプリで6位に上がる気炎を吐いてF1関係者を驚かせた。そして、訪れた2010年、小林はアジア人初のフルタイムを消化したドライバーとなった。そして2011年現在、彼は毎ラウンド毎にポイントを積み重ねていき、立派なドライバーになる可能性を高めている。(***)

***訳註:トヨタからブラジルGPでF1デビューしたのちシーズン終了後にトヨタが撤退、そののちザウバーとの契約を2009年12月に発表、2010年からザウバーでレギュラードライバーとなる。

日本が誇るスター4人に選ばれ、そして漫画の主人公に
上昇の勢いを重ねている小林は、NHKが選んだ日本が誇るスポーツスター4人に選ばれた。ゴルフの石川遼、野球のダルビッシュ有、サッカーの本田圭佑と共に選ばれた彼の国内の影響力は相当なものだ。

漫画家の曽田正人は、小林選手の挑戦記を描いた漫画『カペタ』を出版した。今でも連載中のこの漫画は日本と韓国でも人気を呼び、新世紀GPXサイバーフォーミュラ、頭文字Dと並んでレース漫画のお手本として挙げられる。
カペタ
<写真:アニメーションで製作された『カペタ』のオープニングシーン(キャプチャ)>

この漫画の制作過程には、作家の膨大な調査があった。曽田は2003年に小林がヨーロッパで盛んに有望株として名を馳せ始める時から見ていて多くの事項を収集し、漫画を出版するに至った。(現在も出版しており、小林のF3進出まで話が進行した)

小林は曽田に感謝の表現をして、しばしば自分のF1のレースに招待している。

アジア人初優勝の夢だけではない
私たちにはうらやましいですが、小林は優勝の可能性を常に示している。レッドブル、フェラーリ、マクラーレン、メルセデスの巨大なマシンに囲まれて大変だが、いつもポイントを稼ぐ誠実さで、その可能性を高めているからだ。

小林は、今年のシーズン開幕戦を除いた残りの5回のグランプリで、合計19点のポイントを得て奮戦している。さらに、F1の伝説のミハエル・シューマッハよりも高いポイントを得て、総ランキング10位から飛躍を夢見ている。今年のマシン開発に予算を削減した母体のザウバーとやや平均以下のピットストップを示すピットクルーのレベルを考慮すると、今後大きな成長力を示すものと見ている。

専門家たちの評価は厚い。ESPN F1は「小林がもっと良いマシンに乗ってピットクルーのサポートを受けるのであれば、今よりもいくつか階段の高いランク入りが予想される」とし、バックグラウンドでの改善が必要であることをアピールした。マスコミの予想では、小林は現在の技量を維持することで今後2シーズンに以内メルセデス、ルノーなどのサポートが良いチームに移籍が予想されるとBBCスポーツが表している。

自分の技量でマシンの貧弱さをカバーするドライバーは多くない。にもかかわらず、低い順位であっても小林は奮戦している。アジア人初の優勝は夢ではない。そして、小林によって、私たちも韓国人ドライバーの将来についてもう一度考えて見ることになる。

※F1の舞台に立ったアジア人ドライバーは計8人で、そのうち6人が日本人である(****)。残りの二人はインド国籍である。アジア人の最高記録は3位、1シーズンを消化したドライバーは、小林可夢偉の2010年シーズンが唯一だ。これは、1987年にアジア人初のF1進出以来23年ぶりに果たした記録である。

****訳註:wikipediaによれば日本人F1ドライバーとしては小林可夢偉が18人目。


ソース:XPORTS
2011/05/31 08:08

訳註:この記事全体において正確さが著しく欠けていますが、全てはフォローしていません(しきれません)。韓国モータースポーツ全体の知識量が低いというよりは、きちんと調べていない記者や編集者の問題。


最新の画像もっと見る