予定通り、予定外。

ペット達と読書の記録。

歯車。

2016-01-19 17:10:27 | 本 2016
読了。芥川龍之介氏の歯車。
青空文庫で読みました。
人間には共感と言う能力がありますが、それを発揮するには、共通の体験が必要だと思います。
この歯車は、芥川の晩年の生活をそのまま記したような作品です。


僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――と云ふのは絶えずまはつてゐる半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合せてゐた。歯車は次第に数を殖ふやし、半ば僕の視野を塞ふさいでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失うせる代りに今度は頭痛を感じはじめる、――それはいつも同じことだつた。


歯車とは、何でしょうか?幻視でしょうか?天才の想像力の産物でしょうか?何かの比喩でしょうか?
私は、片頭痛の前兆現象である閃輝暗点だと思います。しかもそれを客観的に、正確に、記しています。
おそらく、晩年の芥川は群発頭痛に悩まされていたのではないでしょうか?
そして、私も群発頭痛の症状を持っています。
歯車をもう何回も見ました。
まず、群発頭痛、もしくは慢性的な片頭痛を理解する。
その事によって、この作品の見え方が変わると思います。

痛みは精神を疲弊させます。
精神の疲弊は、ある種の執着的思考を産みます。
執着的思考は、妄想と現実を結びつけます。
レインコート、復讐の神、黄色いタクシー、もぐらもち・・・。

睡眠に逃げ込むしかなかった芥川のぼんやりした不安が何やら、
特別なものではないと思いました。


~付け足し~
私が群発頭痛になったのは去年の6月で、このブログをもうやってました。
それから、当時は芥川龍之介の歯車の内容を知りませんでした。
閃輝暗点から、頭痛の様子を私もブログに書いてます。

凡人、愚か人の表現↓
検査結果が出るのに、すごく時間がかかって、待っていると、閉じた右瞼におかしなものが見えだす。
太陽を専用のレンズで見たような、あるいは、アメーバの様な単細胞生物を顕微鏡で見たような、縁取りが緑色中心の虹色でふわーっと拡がりだして、ガキーンと頭痛がきました。右だけ。こめかみ、眼、奥歯どこが痛いか、わからんかった。

フム、フム。お粗末。

芥川は何故、歯車と例えたか?ですが、見えるものの縁が、みんなギザギザだからと思います。
私の言うところの、アメーバ(ゾウリムシをイメージしていましたが。)も縁が、ギザギザでした。

とにかく、思うに、当時の芥川は眼科や精神科を受診していても、閃輝暗点の説明は受けてないと思います。
彼にとって歯車はやはり、幻視、幻覚であったでしょうね。
群発頭痛は、自殺頭痛と言われるそうです。
とにかく痛い。
この作品を読んで、破滅的なとか、病的なと言うような感想を持つ人がいるけど、私はむしろ、現実的、健全的だと思います。
客観性がある。そして、その様にするには、すごい執念とか、決意がいったと思います。
ありのままやん、すごいやん。

「僕」の周りに起こる、妙な関連性は、誰にでも感じる可能性のあるモノだと思います。
私は、そう思います。