乳ガンを患ってからの私

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コロナワクチン1回目

2021-07-29 18:55:05 | 乳ガン患ってからの日々
妹の職場の職域接種で、同居家族以外でも、血縁関係あると一緒に接種出来ると連絡くれて、私と旦那も接種出来ることになった。
接種券は、6月下旬に届いたけど、我が市では集団接種会場もなく(当時)母親は、かかりつけ医で予約したものの接種日は、折り返し連絡すると言われたけど、待ちの状態が2ヶ月続いてた。
私も同じかかりつけ医なので、いつ接種出来るか心配だったから、すごく助かった。
私は、喘息があり旦那は、高血圧だし糖尿気味だし、長男が試合で公共交通機関で行かないといけないときは、休ませた事もあるし、感染怖くてイオンにすらでかけてなくて、映画、遊園地、商業施設には長らく行ってない状況が継続中。
少しでも、自由に動きたいから、副反応怖いけど接種は賛成だった。
モデルナによワクチンだった。
注射される時は、インフルより痛くなくてあっという間だった。
15分待機したけど、異変はなく会場から帰った。
旦那と車で行ったけど、旦那は車のハンドル切る時に
「ん?痛いかな?」って言うので
「早すぎじゃない?(笑)」って(笑)
でも、旦那は接種当日の夕方から、37.2とかの微熱が出た。
私は、夕方ごろから腕が痛くなってきたかなぁ。
右胸全摘したので、左に接種するようにって、検診の時に言われたけど、左利きなので結構辛かった。
腕が上がらない(笑)
手首痛めてるのも左…もう何も出来ない。情けないぐらいに。
次女にペットボトルのフタを、開けてと言われても無理(笑)
でも、幸い1日だけ辛いで済んで良かった。
また、2回目があるので、副反応心配だけど、頑張って受けよう!

最近悲しかった事

2021-07-24 13:15:31 | 乳ガン患ってからの日々
長女の習い事は、検定があって、年間受講料を払うんだけど、あの罹患された時は、余命1年もないと言われて、先生も「次年度は、半年分いただこうかな?」と弱気だった。
抗がん剤始まってしばらくしたら、突然真っ黒な髪の毛になった。先生は60代後半で、白髪交じりだったのに(笑)でも、髪型は先生だったので生徒さんたちには
「もうおばあさんだから、白髪染めたの」って、冗談言えるようになってた。
髪の毛ないってのは、夏はウィッグ暑くて辛いし、冬は寝る時もニット帽被らないと寒いし、そんな話は生徒さんいなくなってからしたりしたのと、医療用キャップを、何枚かあげたり、抜毛ネットとかも、私の残り渡したり、爪の変色の話とか、本当に色んな質問がきて、
「経験者の話は、先生から聞くより心強いです」って、言ってくれて、今まで周りには隠して、普通を装ってたけど、色々話せるのが、私も嬉しかった。でも、ガンの話じゃなきゃいいのにとは、思ってたけど…。
そうこうしてるうちに、コロナが流行り始めて、治療中の先生は、免疫力低下してるだろうし、行かせていいのか、複雑だったけど、先生は自宅で教室開いてたし、色んな仕事や、ボランティアや、趣味の会やってたけど、この習い事以外は、全て辞めて、教室を続けてくれてた。
アルコールジェルを、差し入れしたり、子供たちが、密にならないように、長女を行かせたりした。
新年度の受講料払う時がきて、私は先生に
「1年分払います。一緒に頑張りましょう。でもけして無理はしないで下さいね」
普段通りに、明るくなった先生。コロナだけど、旅行に行ったり会いたい人に会ったり、家族の時間も大事にして、でもそれが先生を元気にさせてるようで、少しだけ安心した。
告知から1年経っても、少し痩せたけど、比較的元気に過ごされてて、今年度も、1年分の受講料お支払いしたんだけど…。
長女4年生になって、学童がなくなったので、学校帰ってすぐに教室行けるので、一人で行って帰ってくるようになったから、今年の4月からは、あんまり先生に会わなくなってて。
でも、長女には「先生元気にしてる?」って聞いたりして、たまにラインしたりしてた。
6月に入ってから「少し痛むようになってね、検査で入院するの。今週は教室休みますね」って電話くれて。ちょっと心配になってきた。
退院しましたのラインが、3日後ぐらいにきて、ホッとして、たいしたことなくてよかったって思った。
翌週の教室の日の朝、先生のご主人から連絡があり
「また体調崩して、昨夜入院しました。連絡遅くなって申し訳ありませんが、今日はお休みです」
先生じゃなく、ご主人からっていうことに、すごい不安を感じたし、怖かった。
それから、退院したの連絡ないまま、今週は教室あるのかな。どうしょうって思ってた、教室の日の朝に、これまたご主人から電話で、今朝方息を引き取りました」と連絡もらい、朝から泣いてしまい、子供たちに心配されて、仕事行けるかなって、思ったけど、自分はしっかりしなきゃと思い直して、1日を過ごした。
同じ教室に通う生徒さんの、お母さんから連絡があり、葬儀の時間と場所を、教えてもらって、葬儀に参列させてもらった。
長女は、長男の送迎についてきてたので、赤ちゃんの頃から行ってたし、保育園で幼児クラスになって、通い始めたけど、可愛がってもらってたし、期待されてて、厳しく言われる事もあったけど、検定で、どんどん進級していき、楽しく通わせてもらってた。
私のが、先に罹患したのに、私まだ生きてていいのかなとか、最期のお顔見ながら、涙が止まらなかった。
先生に、恥じないように、ちゃんとしていかなきゃって、思うまでに少し時間がいりました。


最近悲しかった事(回想)

2021-07-24 11:34:45 | 乳ガン患ってからの日々
嫌なことがあると、リアルタイムで更新出来ない。
書く意欲がない…。
今月初旬に、長女がお世話になってた習い事の先生が、お亡くなりになりなられた。
部位は違うけど、ガンだった。
罹患された時に「ちょっと背中が痛くて病院行ったら便秘じゃないかって言われて、でも毎日お通じあるし、お薬もらったけど、改善されないから、ちょっと大きな病院行くのやで、教室お休みしますね」と、次週の教室休むと、長女を迎えに行った時に聞いた。
翌々週に迎えに行った時に、少し元気なかったように思えて、ちょっと突っ込んできいてみた。
「病院どうでしたか?」
先生は「あぁ…ちょっと思わしくないことが、わかったんですよ」
いつも元気で明るい先生が、ずっと真顔のままだった。
先生との付き合いは、長男が年長さん頃からなので、10年近くになり、いつも色々子育ての悩みや、世間話をするので、お迎えに行っても少し話をするのは、毎週の日課のようなもので、だからすんなりさらっと聞いてみた。
「膵臓にね、ガンが見つかって、それもかなり進行してて…。たぶん手術出来ないだろうと。とりあえず週末一泊入院で、なんか治療の為に、埋め込む手術することになったの」
私は、その半年前まで、自分の左鎖骨下に埋め込まれてた傷を、少し服の襟元ずらして
「これですね」ってCVポートの跡を、見せた。
「私、乳がんなんです。長女が年長さんの3月に、告知されました。言われた次の週に埋め込んで、その週末から、半年抗がん剤治療しました。小1の運動会終わってから、右胸全摘したんです。それから、年末年始も抗がん剤して、そこからは、放射線治療に毎日平日5週間通院して、長男の卒業式も、式終わってダッシュで病院行ったんですよ」
先生は、来賓で卒業式に出席されてたので、当日も挨拶したし、長男はサッカー忙しくて習い事辞めてしまったけど、先生はいつも気にかけてくれてて、式の決意表明しっかり言えてたことを、すごく褒めて下さったので、その時の事も言ってみた。
「長男が中学入学したころから、ホルモン剤を服用してます。今現在も通院中です」
先生は、びっくりされてた。
「あなた、毎週お迎え来てたのに、いつも元気そうだっじゃない…まさかそんな辛い事になってたなんて…。今はしんどくないの?大丈夫なの?」途端に、私を心配してくれて、優しい方です。
「まぁ、波はありますけど、大丈夫です。先生抗がん剤されるんですよね?薬の種類は、色々あるみたいですけど、副作用色々聞きましたか?私は最初の抗がん剤では、これでもかって言う吐き気がありました。それと脱毛は、思ったよりすごいスピードできます。少しでも進行止めたいから、治療は迅速に進められると思います。ウィッグの用意は、なるべく早めになさって下さいね。とりあえず、無理しないで下さいね。栄養は、しっかり摂ってください。体力ないと戦えないですから」
「思い出したわ。長女ちゃんが、いつだったか『母さんガンやって』って言うてた事があったんだけど聞き間違えだと思って、『え?』って聞き直したけど、他の生徒さんが、質問してきたから、ちゃんと聞けなくて話は流れたし、その日もちゃんとお迎えに来られたから、すっかり忘れてました。長女ちゃんが言った事、今思い出しましたよ。私、長くないみたいなので、色々整理しなきゃいけないみたい。でも、元気でいられる時間あるなら、悲観しなくていいなのね。あなたは、私の先輩だから、これから色々教えて下さいね。辛い話をありがとう。ご主人も次女ちゃんも、長男くんもご飯待ってると思うので、今日はこの辺で。また、来週お話しましょう」
そう言ったのが、1年半ほど前の事でした。


検診にて

2021-07-18 06:27:58 | 乳ガン患ってからの日々
6月末に、定期検診があった。
ここ数ヶ月は、右手首のくるぶし辺りに痛みがあり、整形外科受診したところ、ギブスシーネで、固定して安静と言われてる。でも、家事や仕事では、外してるから、なかなかよくならないけど、何もしてないときは、極力使わないようにと、固定してる。
なので、病院行く時に付けて行った。
診察室入った瞬間に、先生は透かさず私をみて
「どうしたの?その手…大丈夫?」と言ってくれた。
「薬辛い?副作用なのかなぁ?でもねぇ、服用は続けて欲しいんだけど、あなたが辛そうなのは、とても悲しいの。ずっと治療に文句言わないし、一生懸命前向きに取り組んでくれてるのに、なんで辛い目にあうんだろ。副作用辛くて、薬辞める人は、よくいるんだけどね、もし再発になった時に悔しいじゃない?もちろん服用してても、可能性あるんだけど、あなたの場合は、できれば続けて無事に一緒に10年走り抜けたいと考えての治療計画なんだけど、他の部分で生活に支障きたすってのも、困るでしょ?」
患者さん一人一人に、ちゃんと向き合ってくれてるんだろうなぁ、その言葉に嬉しかったけど、リスクが少しでも下がるなら、服用しようと思ってる。
でも、日々の痛みで辛い時に内心、
この痛み治しても、ガンがあったら、治療の意味ってあるのかな?って、ネガティブ思考になるけど、周りから言われると、頑張ろうって思う。
いつも先生の優しさに救われる。
一応、服用継続するけど、休薬してもいいって事になった。
でも、どのくらい休んだら楽になれるかわからないし、きっと飲むんだろうと思う

前の職場のパートさん

2021-06-23 21:19:36 | 乳ガン患ってからの日々
放射線治療で、5週間毎日通院してた時に、バスの中で偶然会った乳がん経験者のパートさん。あれっきり会えないままで、話聞きたいなぁって思ってたまま、2年経過(笑)
立ち寄るスーパーとか同じだろうけど、もう働いてなく年金生活してるようだから、買い物の時間帯が違うんだろうなぁ。
いつも、キョロキョロしてみるけど、そんな時は会えない。
コロナ禍で、マスク生活で人の顔はっきり見えないし、なかなか人に声をかけづらくなった。
つい最近、いつものスーパーの駐輪場に自転車を、止めてたら、ずっとこっちを見てる人に気付いた。私も、相手を見たけど、知らない人だと認識し、店内に入ろうとしたら
「やっぱりそうだ。元気してるの?」
周りには、他に誰もいないから、私に話してるんだけど、帽子にマスクで、目しか見えないその人にやっぱり見覚えなくて無視しようと思ったら、マスク少しずらして
「あたしよ〜」って(笑)
「あ〜あ、お久しぶりです。元気ですか?全然わからなかったです」
「その後どうなの?ずっと気になってたんだけど、会わなかったわねぇ。今は治療どうなってるの?」
「フルコース終わって、ホルモン剤2年経ちました。おかげさまで、元気ですよ」
「先輩さんは、どっちの胸だったんですか?全摘?温存?そんな話、詳しく聞いたことなかったし、周りに罹患した人いないし、聞きたかったんです。もう病院通ってないんですか?」
「あたしは、もう15年ぐらいなるけど、大丈夫よ。そっちの病院は、全然行ってないけど、年とると、色んな病院行ってるわよ。旦那も倒れたし、ずっと家にいるから、ストレスで太ったわよ」
もともと関東の人で、ご主人の仕事で大阪にきたので、関東弁のちゃきちゃきの人で、サバサバ話をしてくれた。
全摘して、抗がん剤して放射線もして、私と同じ。
手はむくんだり、だるかったりするとかちょっと話せたけど、
帰り間際に
「今日は、携帯持ってます?連絡先教えといて下さい」と言うと
「ちょっと待って。カバンに入ってるから、あたしのから、あなたに電話して着信残すわ」
カバンゴソゴソしてるけど、いっこうに出てこない(笑)
「あら、出かける時に玄関に置いたのかしら?メモとかも持ってないしさぁ、ごめんね〜」
まぁ、私もメモなかったし、また会えるでしょうって事で、別れました(笑)
でも、元気そうで、少し希望持てる。