乳ガンを患ってからの私

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

最近悲しかった事

2021-07-24 13:15:31 | 乳ガン患ってからの日々
長女の習い事は、検定があって、年間受講料を払うんだけど、あの罹患された時は、余命1年もないと言われて、先生も「次年度は、半年分いただこうかな?」と弱気だった。
抗がん剤始まってしばらくしたら、突然真っ黒な髪の毛になった。先生は60代後半で、白髪交じりだったのに(笑)でも、髪型は先生だったので生徒さんたちには
「もうおばあさんだから、白髪染めたの」って、冗談言えるようになってた。
髪の毛ないってのは、夏はウィッグ暑くて辛いし、冬は寝る時もニット帽被らないと寒いし、そんな話は生徒さんいなくなってからしたりしたのと、医療用キャップを、何枚かあげたり、抜毛ネットとかも、私の残り渡したり、爪の変色の話とか、本当に色んな質問がきて、
「経験者の話は、先生から聞くより心強いです」って、言ってくれて、今まで周りには隠して、普通を装ってたけど、色々話せるのが、私も嬉しかった。でも、ガンの話じゃなきゃいいのにとは、思ってたけど…。
そうこうしてるうちに、コロナが流行り始めて、治療中の先生は、免疫力低下してるだろうし、行かせていいのか、複雑だったけど、先生は自宅で教室開いてたし、色んな仕事や、ボランティアや、趣味の会やってたけど、この習い事以外は、全て辞めて、教室を続けてくれてた。
アルコールジェルを、差し入れしたり、子供たちが、密にならないように、長女を行かせたりした。
新年度の受講料払う時がきて、私は先生に
「1年分払います。一緒に頑張りましょう。でもけして無理はしないで下さいね」
普段通りに、明るくなった先生。コロナだけど、旅行に行ったり会いたい人に会ったり、家族の時間も大事にして、でもそれが先生を元気にさせてるようで、少しだけ安心した。
告知から1年経っても、少し痩せたけど、比較的元気に過ごされてて、今年度も、1年分の受講料お支払いしたんだけど…。
長女4年生になって、学童がなくなったので、学校帰ってすぐに教室行けるので、一人で行って帰ってくるようになったから、今年の4月からは、あんまり先生に会わなくなってて。
でも、長女には「先生元気にしてる?」って聞いたりして、たまにラインしたりしてた。
6月に入ってから「少し痛むようになってね、検査で入院するの。今週は教室休みますね」って電話くれて。ちょっと心配になってきた。
退院しましたのラインが、3日後ぐらいにきて、ホッとして、たいしたことなくてよかったって思った。
翌週の教室の日の朝、先生のご主人から連絡があり
「また体調崩して、昨夜入院しました。連絡遅くなって申し訳ありませんが、今日はお休みです」
先生じゃなく、ご主人からっていうことに、すごい不安を感じたし、怖かった。
それから、退院したの連絡ないまま、今週は教室あるのかな。どうしょうって思ってた、教室の日の朝に、これまたご主人から電話で、今朝方息を引き取りました」と連絡もらい、朝から泣いてしまい、子供たちに心配されて、仕事行けるかなって、思ったけど、自分はしっかりしなきゃと思い直して、1日を過ごした。
同じ教室に通う生徒さんの、お母さんから連絡があり、葬儀の時間と場所を、教えてもらって、葬儀に参列させてもらった。
長女は、長男の送迎についてきてたので、赤ちゃんの頃から行ってたし、保育園で幼児クラスになって、通い始めたけど、可愛がってもらってたし、期待されてて、厳しく言われる事もあったけど、検定で、どんどん進級していき、楽しく通わせてもらってた。
私のが、先に罹患したのに、私まだ生きてていいのかなとか、最期のお顔見ながら、涙が止まらなかった。
先生に、恥じないように、ちゃんとしていかなきゃって、思うまでに少し時間がいりました。


コメントを投稿