昨日(21日)までの寒気も緩み、空も晴れ渡っています。
こうなったらもう走りたくて体がうずうずしてきます。
(ちょっとロングライドしてこようかな~~)と、手早く準備をしてビアンカ姫で飛び出しました。
(こういうことには相変わらず早い!)
が、日差しは柔らかく小春日和なのですが、風はまだ冷たい。
途中でウィンドブレーカーを着ることに・・・
とりあえず太宰府まで、と思っていたのですが、いざ第一休憩ポイントの水城について
時間を見ると、時間的な余裕があることもあり、
(こうなったら秋月まで行っちゃえ!)と関屋から朝倉街道へ方向転換。
一路、朝倉街道を秋月めざして走ります。
大体が交通量の多い朝倉街道、途中、片手に買い物袋をぶら下げて
歩道と車道をフラフラ走る浮遊機雷やら、サドルにどっしりと腰を下ろし
悠然と車道を練りゆく、いや走る大仏様などに悩まされながら、
筑紫野市から筑前町に入ります。
しかし、やはり・・・遠い。
これまでは一度走った道を次に走るときにはそれほど長いと感じないのですが、
ここはやはり距離が長い・・・(それでも、前回と違って気持ちに余裕があります)
しかし、なぜか乗用車の量がやたらに多い・・・
まさか、この車の群れが秋月に向かっているわけじゃないよね・・・一抹の不安。
やっと秋月への道に出たところで、「国指定:仙道古墳」の表示を見つけました。
(秋月まであと一息だし・・・・ほんとかぁ?)と休憩を兼ねて、寄り道をすることに。
これは直径49mの大型の円墳で、横穴式の石室があります。
石室内部は装飾されおり、赤や緑で〇や△などの絵が描かれています。
周囲には2重に濠(周溝)が掘られています。
ここからいろいろな円筒埴輪が出土したそうです。
ここからは九州では珍しい「盾持武人埴輪」がほぼ完全な形で、
また出土例の少ない「柵形円筒埴輪」出土しています。。
ちょっとここで、時間をとってしまいましたので先を急ぐことに。
実は途中にある「大己貴神社(おおなむちじんじゃ)」、「大国主の命」を祭った神社にも
寄りたかったんですが、ここから先が、まだ長いので、断念。
途中の風景。
やっと秋月につきましたが、もう入り口の段階で渋滞・・・駐車場待ちの車の群れです。
やっぱり・・・
秋月への入り口は2台の車がやっと離合できるほどの狭い道。うへぇ・・・
隙間をぬって入っていきましたが、当然のごとく目の前に見えるのは延々と続く車の列・・・
仕方がないので途中で、わき道に入り押して歩くことにしました。
めがね橋と紅葉。
黒門まで行ってみましたが、人が多くて写真どころではありません。
写真は断念して入り口まで戻り、かしわ飯と唐揚げをとりあえず買って、山の方へ。
傾斜の緩やかな坂が上に上にと続いています。
とりあえず、坂を上って行くことに・・・シッティングのままでも大丈夫みたい。
結構行けるじゃん・・・何とか1.5kmくらいは登ることができました。ここまでが限界・・・
途中の風景。
12時を過ぎ、かなりお腹がすいてきましたが、座れそうなところが見つかりません。
で、仕方がないので、先ほどの古墳まで戻ることにしました。
しかし、秋月から出るのも一苦労・・・とにかく車が多い多い。
何とか抜け出して、古墳公園までわき目もふらずに戻っていきました。
ニンジンをぶら下げられた馬状態・・・(爆)
今回はちょっと豪華です。ww
美味しい・・・幸せ・・・
さて、食べ終えて時間を見ると1時半。もう帰らなくてはいけません。
距離的にも私の疲れのピークを迎える距離、50kmちょいすぎまで走っていました。この調子だと大丈夫かな・・・
古墳に別れを告げて、走り出します。
相変わらず、トラックが多い・・・55kmを過ぎても、まだ疲れは見えません。
さっきの休憩が効いているみたい
山家道という交差点のところに出た時に、ふと
(あ、旧長崎街道の、「山家宿(やまえのしゅく)」がこのあたりだよな)
と思い、ちょっと回り道・・・飯塚方面に向かいました。
が、もともと地図でも確かめていない場所・・・迷い込んだりしたので、
再度チャレンジすることにしてもとに戻ります。
筑紫野市・太宰府市とあとは見慣れた風景。一安心です。
博多区に入り、家に近づいたところでなんか甘いものが食べたい、とたい焼をゲット。
これは野間とは違う「たい焼き屋」さんです。
今回は「小豆あん」と「リンゴとレーズンのあん」(名づけて「りんごっ鯛」)。
『りんごっ鯛』はちょっとアップルパイみたいな味です。
熱々だったんですが、何せ「りんごっ鯛」は水分が多いので、
帰ってきたときには少しベチャッとなってて。。。
で、帰ってきてから走行記録を調べてみると・・・
実はメーターを2個交互に使用していまして、一度メーターをなくしたので
メーターだけ購入したら、翌日それが出てきたという経緯があるのですが、
それを総合すると走行距離が2074.3km、なんと2000kmを越えていました。
\(^o^)/
走行時間 : 5時間9分29秒
走行距離 : 81.34km
Ave : 15.7km/h
あとの目標は、100km走行か・・・?
って、やっぱり無理だよな・・・・
さて、残すところ2つの地上絵のみになりました。
奈良屋地区から大浜地区の大浜小学校跡地へと移動します。
大浜小学校跡地には体育館と運動場の一部だけが、まだ取り壊されずに
御笠川沿いにひっそりとたたずんでいます。
校舎のあったところには大きくて立派なマンションが建っています。
なんだかとても寂しい気持ちになりますね。
【大浜小学校】の地上絵
体育館の二階から写したものです。2匹のマイマイ、カタツムリです。
わかります?
大きすぎて、全体像が撮れませんでしたが、見事なものでした。
今度は櫛田神社に灯篭に導かれて進みます。
大浜から櫛田神社まではかなりの距離がありますが、こうやって灯明をたどったり、人と一緒に歩くと距離を感じないのは不思議です。
櫛田神社前、「博多ふるさと町家」館のあたりの灯明。
【櫛田神社の地上絵】
櫛田神社の境内に作られた地上絵です。
テーマは人魚。何となく人魚。
新聞や雑誌でもかなり取り上げられていたので、思っていたよりもたくさんの人がいました。
ここで、今回分のチェックポイントのスタンプは終わり。
あとは、来週開催の御供所(ごくしょ)地区を残すのみ。
来週が楽しみです。
さて、もうお腹がペコペコなので、先ほどから目をつけていたちょっと
小洒落たイタリアレストランに入って食事をすることに。
こうなったらなにが出ても美味しそう・・・
美味しく食べて、飲んで(私はソフトドリンク)。。。。気がついたら23時!
あ~明日は、那珂川町のサイクリングの日なのに~~~!!
大慌てで帰りました。
大丈夫かぁ~~~!?
すでに5つの神社を回りました。
次は6番め、黒田神社です。
地図が出せればいいのですが、このあたりまで来るとずいぶん歩いたなぁ・・・
って感じです。
⑥【黒田神社】
福岡城内にあったものをこちらに移したといわれていますが、昭和20年に空襲で焼失。
現在のものはこのあたり「対馬小路(つましょうじ)」の人たちが再建したものだそうです。
こんなところにって感じです。
⑦【秋四郎神社】
秋月藩の4番目の蔵屋敷の守護と繁栄を願って秋月藩祖長興公とお稲荷様を
合祀したもの。「秋」月藩の「4」番目の蔵だから「秋四郎」らしいです。
ここまた、周囲が開発されて、隣の敷地は駐車場に・・・なんかだかなぁ。
⑧【観音寺】
筑前西国霊場33ヶ所の一つ。
奈良時代の名僧・行基が刻んだ観音像がご神体らしいです。
ここのチェックポイントで「おっ!あと少しですな」と声をかけられました。
こういうふれあいも嬉しい。
⑨【大同庵跡・古渓水】
千利休が秀吉に切腹を命じられた事件に絡んで、古渓和尚が
京都大徳寺を追放になりました。その古渓和尚を迎え入れるために
博多の豪商たちが造った住居跡です。
後に古渓和尚が大徳寺に帰山するときに恩返しにと井戸を掘り、印をむすんだそうです。
その井戸の水は「古渓水」と呼ばれ、井戸は後に「火避けの井戸」として
評判になったそうです。
かなりブレていますね。
⑩【豊国神社】
戦国時代末期、博多の町はたびたび戦火に巻き込まれます。
そんな博多の町を復興したのが、豊臣秀吉です。
このときに「太閤町割り」という都市計画を行って、現在の博多の原型を造りました。
そのときに使われた間杖(測量のための杖?)が御神体です。
ここで、もう一人の職場の人と合流。
この時点ですでに1時間半以上歩いていますが、時間を感じさせませんでした。
⑪【魚腹地蔵】
鎌倉時代、関東の武士が大魚に食いつかれ大事な守り袋を
海中に落としてしまったため、厳島明神に祈願したところ、
別離の宴のために買った魚のお腹の中から守り袋が出てきたとか。
横の灯明はアートになっています。モチーフは魚。
またまたブレてますね・・・
いよいよ、今回はあと二つ。
大作が残っています。
それにしてもお腹がすいてきました。
(つづく)
今年も行ってまいりました、灯明ウォッチング。
灯明ウォッチングとは、博多部一帯の通りや名所、旧跡などを
数万個の手作りの灯明を配置して、夜の街をライトアップするイベントです。
ローソクの炎が風に揺れて、幻想的な空間が生み出されます。
博多部にはかつての御供所(ごくしょ)・大浜・冷泉(れいぜん)・奈良屋の
4つの校区がありました。
現在は少子化に伴って、この校区は統廃合され旧奈良屋小学校の跡地が
「博多小学校」になっていますが、この4つの校区の範囲にあたる地域は、
それぞれ校区名がそのまま地域名となり、今に至っています。
昨年は、有名な3つの名刹のお寺のライトアップが行われた御供所地区のものだけ
見たのですが、今年は、18日が奈良屋・大浜・冷泉地区、25日が御供所地区と2回に
分けて開催されます。
今回は、小さな神社が点在している奈良屋地区を中心に、
それらの神社を灯明で照らして、点を線で結ぶウォークラリー、
スタンプラリーをするという企画が新たに加わって非常に面白いものになっています。
今回は、職場の友人を誘って、博多駅から川端通りをゆっくりぶらぶらしながらぬけて、
出発点の博多リバレイン、鏡天満宮まで歩きました。
受付で、地図とスタンプを押す紙をもらい、地図にそって15のチェックポイントを歩き、
スタンプをもらうことにします。
①【鏡天満宮】
菅原道真公が、博多に上陸された際にここで休息をとられ、
「海路の疲れにおやつれ給いし御相顔を鏡に映してごらんになった」という鏡を
ご神体とする神社です。
点燈前の様子。
点燈後の様子。同時イベントとして篠笛の演奏がありました。
幻想的でした。
ここから商業ビル博多リバレインをぬけて続く次のポイントへ。
灯明がところどころで案内してくれます。
②【綱敷天満宮】
道真公が上陸した時に住民達が綱で敷物を作って出迎えたという伝承があります。
ここがその場所だそうで始めは「綱輪天神」と呼ばれていたそうです。
現在は「綱敷(つなしき)天満宮」。で、ここの町名が綱場(つなば)。
このちかくに山笠の終点「廻り止め」があります。
夜間の撮影はかなり苦労します。
この辺りの人たちも家族で、スタンプラリーに参加したりしているようです。
近くの幼稚園・保育園の子供たちが作った灯明らしく、お父さんやお母さんたちがわが子の作品を探して写真にとっていました。ほほえましい・・・
弘法大師が唐から帰国した時にここで旅の疲れを癒していると、
夢の中に稲荷大明神が現われて「高野山に本拠を開くべし」とのお告げを
いただいた、とか。「オッペケペー」で有名な川上音二郎の生誕の地としても有名です。
ここではフルートの演奏があってました。
次のポイントに行くのに迷わないように、こんな工夫も・・・。
この4番目と5番目のポイントが前後しているので先に5番目の方に行ってしまいました。
だから先に5番目の紹介を・・・
⑤【須崎恵比寿神社】
糸島の方の人の屋敷からでてきた恵比寿さんの石体を、博多の人がもらって
祀っていたところ、夢のお告げがあり、この須崎浜に移したとか。
④【下鰮恵比寿神社】
多分「しもいわしえびす」神社と読むのだろうと思います。
いわしが大量だった時に、「この大量が続きますように」と
島根の美保神社に参詣にいってえびす様を受け、祀ったのが始まりだとか。
(つづく)