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流れる川のごとく

日々の小さな出来事・思いをつれづれに書いていきます。

博多住吉神社

2009-01-03 22:46:47 | まち歩き

今日、博多郵便局(集配の本局)に郵便を出しに行くといったら、

「ついでに住吉神社に古札を納めてきて」と頼まれました。

で、住吉神社に行くことになりました。

郵便局によってから住吉神社についたのは、10時30分。

まだ、お正月ですから、いつもよりも参拝の人が多いというのもあるのですが、

何となく賑やかしい。


どこかから聞こえてくる賑やかな音。

「ドンド~ン!めでたいが出ました~!」

(ん?めでたい?なに?)



と、境内に巫女さんの声で

「本日はようこそお参りくださいました。

また、本日は三日恵比寿神社の大祭の日でもございます。

そちらのほうにもお寄りくださいませ」とのアナウンス。

そうでした、この向こう側に三日恵比寿神社があるのでした。

さっきの景気のいい声は、三日恵比寿神社から聞こえてきたのに違いありません。

というわけで、まず古札を納め所に入れてから、三日恵比寿神社のほうに向かいました。



三日恵比寿神社の前には長い列ができています。

どうやらこれは、三日恵比寿恒例の福引をする人たちの列のようです。



この列を押し分けて本殿のほうへ行くのは大変そうなので、わき道から見ることに。



こうしている間にも、

「ドンド~ン!招き猫、出ました~!」「福寄せの熊手、出ました~!」

「ドンドンド~ン!〇〇ホテル、ペア宿泊券でました~。おめでとうございます~。はい、みなさ~ん、祝福の拍手をお願いします~」

並んでいる人たちの間からも盛大な拍手の音が。

なんだか、聞いているのも見ているのも楽し息分になってきます。


と、再びアナウンスが。

「11時より、能楽堂にて能楽師による能の奉納が行われます」

お、これは見なくては・・・・

時計を見ると5分前。能楽堂のほうに戻ります。

すでに、見物の人たちが集まっています。

人ごみを縫って、ちょっと見やすいところへ・・・


11時過ぎに能が始まりました。

演目は「安宅」「高砂」など数種目。



本物の能を目の前でみる観る機会なんてほとんどないから、ほんとにラッキー!

今年は新春からとても、得をした気分でした。



ガイドさんと回る博多街あるき 2

2008-10-27 19:58:00 | まち歩き

ガイドさんと回る博多の街めぐり第2弾。

今回は、ベロタクシーに乗っての街めぐりです。

ベロタクシーとは、もともとはドイツで開発された自転車タクシーです。

↓(別の日に撮影した写真)


今回の街めぐりのテーマは、古代から交易の街として栄えてきた博多を大陸と

かかわりのあったポイントをめぐって古代から現代を通して見つめてみようというものです。

コースは【櫛田神社】→【住吉神社】→【楽水園】→【東長寺】→【博多ポートタワー】

しかし、私の本当の目的はベロタクシーに乗ること!(動機が不純だ)



参加者は10名。うち7人が前原市とか筑前町とか、近隣の市町村の人でした。

以外にPRが効いていますね。

ベロタクシーは二人乗りなので、全部で5台。そのほかに1台ガイドさん用のものが1台、

予約してありました。

さあ、出発です。

この日は、出発前から小雨が降り始め、気温もいきなり低くなるという

あいにくの天気でしたが、ベロタクシーですからあまり関係はありません。

私達の運転手さんはなんと女性でした。なかなか観光に詳しい人で、

ちょっと観光案内もしてもらっている気分。



ベロタクシーから見た風景。

普通のタクシーとも自転車とも高さが違います。

6台も連なって走ると、さすがにかなり人目を惹きます。

珍しそうに眺める人が大勢いました。


【住吉神社】

拝殿が修復中で白い布に覆われていたので写真は撮れませんでした。

(ここは我が家から近いし、バードウォッチングによく行くので、

機会をみて写真をUPしようと思います)

ここは日本で最も古い住吉神社であるといわれています。

(個人的にも歴史的に見ても、多分かここか壱岐の住吉神社あたりが

最古ではないかと思っています)

かつては入り江がかなり内陸まで入り込んでいたので、

この住吉神社(祭神は海の神様)は海に面した場所にあったものと考えられます。

この付近に港があり、交易を行っていたものと考えられます。


住吉神社の隣にある日本庭園の【楽水園】もコースに入っていたので行きました。

ここは日本庭園のほかにお茶室もあります。

お茶室からの眺め・・・



外に回ります。普段はお茶室の前の庭は立ち入り禁止ですが、今回は特別に、

お庭に入れてもらえました。




以前にも来たことがありますが、風情のある庭園です。

紅葉の頃にもう一度来てみようと思います。


次は【東長寺】

ここは前日、ライトアップできたところです。

東長寺は弘法大師空海が唐から帰国してきたときに、現在の場所よりも

もう少し北のほうに小さなお寺を建立したのがこの東長寺の始まりとか。

お寺は、古代・中世においては交易をする際の宿泊所になったり、

お坊さんが通訳をしたり、情報を交換・収集する場としても機能していました。

ここだけでなく、海の近くにあったお寺のほとんどがそういう機能を持っていました。

六角堂の内部を写させていただきました。

この台座の下の部分が回転するようになっています。


ここからは港のほうに向かいます。

博多駅から博多港をほぼ一直線につないでいる大博(たいはく)通りを北上します。

東長寺からですから、約900mくらいです。


【博多港・ベイサイドプレイス】

ここからは、志賀島・玄海島・壱岐・対馬への船が出ます。

この対岸の中央埠頭からは韓国行きの船が出ています。



(↑ちょっと坂東英二似のガイドさん)

この後ろのほうに頭を出しているのがポートタワー。

誰かが「ちょっと通天閣に似ている」と。

後でわかったことですがなんと設計者は「東京タワー」「通天閣」を設計した

内藤多仲という人でした。だから同じようなデザインなんだ・・・


実を言うと、私このタワーに上るのははじめて。

タワーからの眺め。ちょっと金網越しなのが残念ですが。

西に伸びる道路。

北側。韓国行きの船も停泊中。

東方向に伸びる道路。

南側の市街地(奥のほうが太宰府)


改めてみるとなるほど海に向かった商業都市だわ・・・

こういう観点から眺めたことがないので、う~ん、勉強になりました。


さて、最後に問屋街を。

しかし、日曜日ですので問屋さんはしまっています。

が、一軒だけ、この街めぐりの企画に賛同している昔懐かしいおもちゃを扱っている

おもちゃやさんが、お店を開けていてくれました。




ところ狭しと並んだおもちゃに、みんな童心に帰って夢中。

おもちゃって、幾つになってもやっぱり楽しいわ・・・


このあと、休憩所でお茶をいただいて解散です。

途中からは雨もやみ、なかなかよい街めぐりでした。


あ、ベロタクシーの乗り心地はなかなかよかったですよ~。

ただ、段差やでこぼこのあるところはやはり、ガンッ!と衝撃が・・・

で、運転手さんの息がえらくあがってるなぁ、と思うと目に見えないような坂道だったり。

運転手さん、本当にご苦労さんでした。


来年は全コース制覇しようかなぁ!


御供所ライトアップウォーク

2008-10-25 23:52:00 | まち歩き

御供所ライトアップウォークに行ってきました。

午後5時半に友達と博多駅で待ち合わせ、ゆっくりと歩いても、東長寺まで10分くらい、

ライトアップ開始にはまだ間があるから・・・とたかをくくっていたら、

東長寺についたらビックリ。

まだ、開始前なのにチケット売り場に長蛇の列が・・・あちゃ~~~。

何とか開場(?)前までにチケットを手に入れて、

無事、開始5分後には東長寺の中へ入ることができました。


(ちなみに写真は夜景として写すのは3脚がないと難しいのでより光の入るモードで

撮影しています。そのためかなり明るい感じになってしまっています。)



縁日以外にはめったに中を見ることのできない六角堂。

天保13年(1842年)に建立、寄進されたもので、六角重層の宝形造りで、

本瓦葺という建築です。各柱の間の扉は開けることができるようになっていて、

内部には6体の仏像が安置されています。また、その台座は回転できる設計に

なっています。(現在は文化財保護のために動かさないようにしています。)



本堂です。大きくてかなり威圧感があります。大陸的な感じですね。



東長寺から妙楽寺に回ります。

本堂へ通じる道はちょっとモダンな光のライトアップ・・・


本堂です。実はわが家はこのお寺の檀家ですが、今までこちらの庭から

眺めたことがありません。初めてです。



開山堂・・・このお寺を開いた開祖の方が祀られているお堂です。

お寺の中で本堂に次いで重要なところです。ここも普段は見ることができません。


妙楽寺から、承天寺へ移動します。


去年とかなりライトアップの仕方が変わっていました。

去年は、承天寺全体が灯明ウォークに組み込まれていたのですが、

今年は別個に、おとなしめのライトアップ・・・

しかし、人が多い・・・



このお寺は戦後に都市計画のあおりで、境内を道路によって二分されてしまっています。

やはり石庭を見なくては、と方丈のほうへ移動。

しかし、入場者の列が・・・う~む。どうするかなぁ・・・

と、境内の一角にあるブースの「承天うどん・そば」の文字が目を惹きました。

実は、このお寺の開祖「聖一国師」が宋からうどんやそばの製法をもちかえったと

されており、その製法に基づいてつくられたうどんが「承天うどん」300円。。

ちょうど小腹がすきはじめたころ・・・さっそくたべました。

美味しい!揚げを入れただけの少し平べったい、きしめんに近いうどんですが、

しかし、味のよい澄んだうどんつゆとマッチしてとても美味しい。

ちょっと得した気分。


さて、列に並びなおし。うどんを食べている間に人が増えてる~~。

10分位待って、やっと境内に入りました。

方丈の前にある石庭の枯山水です。

去年は青いライトだったのですが、今年は色が落ち着いた色に変わっていました。



方丈の奥にはこのときにしか見られない庭を見ることができます。

去年は、もう少し紅葉していたのですが、今年はまだでした。




さて、今度は地上絵。


聖福寺の敷地を通って会場に向かいます。不思議な空間に迷い込んだ気分です。



さて、地上絵。



何の絵でしょう?

巨大な招き猫です。


皆さまに、福を運んできますように・・・


今回のライトアップもなかなかに面白いものでした。

来年も足を運んでみるかなぁ・・・


ガイドさんと回る街歩き 1-2

2008-10-23 22:46:00 | まち歩き

川端通りをぬけると、通りをはさんで、商業ビル、

リバレイン(通称:イニ・ミニ・マニモ)と博多座があらわれます。

このあたりは、かつては川端通り商店街(実際は、上川端商店街と川端中央商店街が

まとまったもの)に続く下川端商店街・寿通り商店街がありましたが、

天神に商業の拠点が移るにつれて、だんだんと人通りが少なくなり、

この北側に位置する下川端商店街は、早い時期に再開発にかかってしました。

リバレインと博多座のビルは大きすぎて全景が入らないので、

博多座入り口を少し写してみました。

こういった大きな規模の劇場がなかった福岡市にとっては良かったかも知れません。



話は飛びますが、このあたりにかつては現在福岡にある銀行の本店が

ずらりと軒を並べていたそうです。

戦争末期のころ、福岡が大空襲にあったときに、某銀行の地下室が避難所になっており、

63人がここに避難して来たのですが、焼夷弾の火が飛び火し逃げ場を失った人たちが

焼死するという悲劇がおきています。

悲しいことです。この写真の地下あたりだったらしいです。



このときに演歌歌手の故・村田英夫も海兵隊員として遺体の運搬に当たったとか。

忘れてはいけない記憶ですね。



ここは、先日の灯明ウォッチングで訪れた【綱敷天満宮】

昼間見ると感じが全く違います。

菅原道真公が上陸されたときには「ボロボロの衣服をきて

やつれているけれども高貴な感じのする人だから」と、

地元の人が艫綱を丸めて座布団として差し出したとされますから、

菅原道真公がどれほどひどい扱いを受け、失意にみちた旅を送ってきたかが

よくわかります。(火雷天神になって祟ったのもよくわかるような気が)


次は【豊国神社】

ここも灯明ウォッチングで回りました。



うまく撮れなかったので、別の日に撮った写真を・・・

鳥居の横に小さな碑が。



この神社は博多の豪商「神屋宗湛」の屋敷の一角に造られたものでした。

このあたり一帯、一区画全部が屋敷跡だそうです。

どんなに大きな屋敷だったんだ・・・



ここも灯明ウォッチングのポイントの一つ【大同庵・古渓水跡】

昼間見るとこんな感じです。


ところで「博多部」には、武士の屋敷は一軒もありません。

博多の町は一時期、博多商人たちを中心とした自治が行われていました。

太閤町割りを行うときに、秀吉と神屋宗湛・島井宗室など豪商達との間に

いくつかの決め事があり、その中に「博多の町に武士が家を持つことは禁じる」と

いう項目があるからだそうです。商人の力がどれだけ強かったかわかります。

黒田藩になってもこの決め事は守られ、博多=商人・町人の町、福岡=武士の町という、

構図が出来上がりました。これは明治の時代まで続きます。

昭和の佇まいを色濃く残した路地裏。



ちょいレトロな感じ・・・



山笠の用品なら何でも揃う、山笠用品専門店。



古いお店ですが・・・この手書きのコピー、味がありますね・・ww



このあたりはもう山笠の終点、廻り止めが近くなります。

今回の街めぐりもいよいよ終点です。


こうやって、ガイドさんと歩くと日頃見落としているものや、忘れ去られていたもの、

大切なものを再発見できますね。


次回は26日、ベロタクシーに乗っての街歩きです。

何が発見できるか、ちょっと楽しみ。


おっと、その前に、御供所(ごくしょ)地区のライトアップが待っています。


ガイドさんと回る街歩き 1

2008-10-23 15:37:00 | まち歩き

 昨年に引き続き、ガイドさんとめぐる博多の街めぐりに参加してきました。

今回は、主に商人の町「博多」を中心にめぐります。

出発点は櫛田神社です。

朝方までかなりの量の雨が降っていたのでどうなることかと思いましたが、

ここについたときには、すっかりあがって日もさしてきていました。

受け付けのテントです。

今年は、全部で9つのコースがあり、これから週末を利用して日替わりで行われます。

各コース、定員10名で、予約申し込み制です。(人数に空きがあれば当日参加もOK)

今日は初日。1~5までのコースの街めぐりが行われます。

平日にもかかわらず、各コースとも参加者はいっぱいでした。

まずは、櫛田神社の中から説明が始まります。

【博多塀】

戦国時代、九州全域の支配、特に貿易拠点としての博多をめぐって、

九州の群雄たちが幾度となく戦を繰り広げます。

天正15年(1587年)、自ら20万の大軍を率いて豊臣秀吉が九州に上陸し、

これによって島津氏は薩摩・大隈に退却、その後秀吉に降伏することによって、

九州での戦いは一段落を迎えます。

相次ぐ戦乱によりすっかり、荒廃した博多の町ですが、

秀吉は、この町の大掛かりな戦災復興を行います。これがいわゆる「太閤町割り」。

これによって町並みや道路が碁盤の目のように整然と並ぶ町「博多」が出来上がりました。

(これが現在の「山笠」の流れと呼ばれる地区割りの基盤となっています)

復興する際に、神社仏閣、豪商の屋敷を取り囲む土塀を造るために使われたのが、

戦火によって焼かれた石、瓦など。これらを粘土で固めて造ったわけです。

今で言うところのリサイクルですね。

写真は博多の豪商「島井宗室」の屋敷跡に回らされていたものを、

この境内に移築したものだそうです。

ちょっと時代が飛びますが、この建物は大正天皇行幸の時の宿舎だったものだそうです。

これも、県庁にあったものを移築したもの。いちいちこんなのを建てていたんですね・・・

今は裏門扱いされていますが、かつてはこちらが正門だった櫛田神社の南門。

かつては海に面していたので、このような階段になっているのでした。

かつての参道あと。昔はこんな道幅だったのですね。

川端通り入り口と、川端通り。25年位前までは天神よりもこちらの方が商業の中心で、

繁華街でした。

私は今でも天神よりもこちらの方が好きですけどね。


かつて、川端通りの入り口付近、橋のたもとにあった博多名物の

ものすごく甘いので有名なぜんざい屋さん。

昭和60年に、ご主人がなくなってからお店を閉めていたんですけど、

懐かしむ人が多くて、この川端商店街の中に当時の雰囲気を復元して作られています。

現在は「ぜんざい広場」として有名。

店内には、今年の上川端の飾り山が崩さずに飾ってありました。


飾り山も追い山も、櫛田神社に奉納したもの以外は山笠が終わると同時に

全部崩すものって思っていたので、ちょっとビックリ。

壁には山笠ゆかりの手ぬぐいや、各町内の水法被・長法被のデザインなどが

飾られていました。

まさに「山笠があるけん、博多たい!」です。

奥は博多川(那珂川の支流)にむかって開けています。オープンカフェっぽい。


博多座で行われる6月歌舞伎の船乗り込みのとき、船がこの店の前で止まり、

役者さんが挨拶をしたりするらしいです。

川端通りの出口のところに、川上音二郎の銅像がありました。

【川上音二郎】

破天荒な新派の演劇人といいましょうか・・・

川上音二郎といえば「オッペケペー節」


この風刺、現代にも通用しそうです・・・


(つづく)