流れる川のごとく

日々の小さな出来事・思いをつれづれに書いていきます。

太宰府へ

2016-04-08 12:37:10 | ウォーキング
3月23日、出雲の興奮も冷めないうちに友達と春を求めてのウォーキング。
実は、これは出雲行きを決める前から計画していたウォーキング。
 以前、自転車で大宰府を回っていた時に、太宰府の政庁跡の桜がきれいだったので
友達を誘っての計画です。
 
 JRを使ってちょっと遠くへ。博多駅から乗車し、水城駅で下車です。
「水城」とは
 660年、朝鮮半島にあった三つの国のうち百済が新羅と唐の連合軍に滅ぼされます。
百済の遺臣達は百済復興の兵をあげます。そして、日本に滞在中の王子を擁立しようとします。
同時に、当時百済と友好関係にあり、百済の王子を受け入れていた倭国(日本)に対し、
救援の要請をします。
倭国側(斉明天皇・中大兄皇子)はこれを承諾、百済の難民を受け入れます。
このため唐・新羅と対立関係に入り、兵を出すことになります。
しかしさまざまな要因のため白村江の戦で、唐側の圧倒的な勝利に終わってしまいます。
この結果、唐・新羅による侵攻を危惧した天智天皇は、防衛網の強化を図ります。
北部九州、とりわけ博多湾からの侵攻を考え、664年太宰府防御のために堀と土塁で
防御壁を築くのです。これが、この水城です。
今は、国道やら鉄道やらで東西に分断されていますが、当時は1.2kmにわたるものだったようです。



駅のすぐ横にある水城の西側に上ってみました。
のどかな風景です。
桜が少し咲きはじめていました。






3歳くらいの女の子が蝶々を「まって~!」と言いながら、私たちの横を走りすぎていく。
なんとものんびりした風景。
ふと見ると、足元にも春の訪れを感じさせる花々が





春が来てるんだなぁ。

ここだけで、終わるわけにはいかないので、次の目的地、国分寺跡まで歩くことに。
幸いなことに、散策のための道のようなものができているようなのでそれを利用することにしました。
が、どうもその入り口から間違ってしまったようで、不安を抱えながら、とりあえず東に向かって
閑静な住宅地の間を縫って進んでいきました。
そうこうしているうちに国分寺の交差点にでて、やっと一安心。
ここからは国分寺跡までまっすぐ。

太宰府には聖武天皇の詔によって作られた国分寺跡と国分尼寺跡があります。
まずは国分尼寺跡



う~ん、整備もされていません。畑になっています。

 

ここからもう少し進んでいくと国分寺跡。



講堂の跡。



僧寺跡の寺域は約192メートル四方というからかなり広いです。
伽藍は、中門・金堂・講堂が直線上に配置されていたとか。
また、伽藍の配置が九州や奈良時代以前に見られる独特のものらしい。今では見る影もないけど。
ここで、ひとまず休憩。この時点で友達の歩数計が8000歩を示していました。
そんなに歩いたっけ?

次に向かうのは大宰府政庁跡の後ろ側を通って、太宰府天満宮。
ここは、自然歩道というか散策路ではあるのですが知る人ぞ知る穴場。
里山の風景を眺めながらと歩いていける、私のお気に入りのコース。
鳥の声を聴きながら、乃~んび利した気分で歩いていきます。
政庁跡の裏側。ここは桜の名所。ちらほら咲いていました。



政庁跡を過ぎ、しばらく行くと山上憶良の歌の碑が。



「子を思ふ歌」
思子等歌一首

宇利派米婆 胡藤母意母保由 (瓜食めば 子ども思おゆ )  
久利波米婆 麻斯堤斯農波由 (栗食めば ましてしぬはゆ)
伊豆久欲利 枳多利斯物能曾 (いずくより きとりしものそ)
麻奈迦比尓 母等奈可可利堤 夜周伊斯奈佐農 (まなかひに もとなかかりて 安眠しなさぬ)
                                  
反歌
  
銀母 金母玉母 奈尓世武尓 (銀も 金も玉も 何せむに)
麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母  (勝れる宝 子にしかめやも)              

(訳)                     
瓜を食べると子どもが思われる。
粟を食べるとそれにも増して偲ばれる
子どもらは、どこから来たのだろうか
目の前に、むやみにちらついて、私を安眠させない。

反歌
銀も金も玉、何になろう。
すぐれた宝とて、子に及ぶことなどありはしない。

山上憶良が筑前国主として巡行した時に詠んだ歌だとか。
子を思う気持ちは、今も昔も変わらないのですね。
しかし、こうやって現代語訳を見れば、わかるのですが、
「原文の万葉仮名だと、なんて書いてあるのかわからないよね~」
というのが私たちの感想。全くの俗人ですな。

観世音寺で見つけた僧正玄のお墓。



玄僧正といえば聖武天皇時代に権力をふるったお坊さんですね。



藤原広嗣の乱の原因になった人。その後政争に敗れて、観世音寺に左遷、財産も没収されたとか。
こんなところにお墓があったのね。

観世音寺。九州を代表する古寺。



もともとは天智天皇が母斉明天皇の追善のために発願したお寺。
発願から80年たってやっと完成したというから気の長い話。
しかし、さっきから歴史的人物の名前がいろいろ出てくるなぁ。

ここから太宰府天満宮まではそう遠くない。
裏道を抜けつつ、天満宮へ到着。
この時点で友人の歩数計が17473歩(!!)と。
そんなに歩いたっけか?

この後は諸事情があって、天満宮参詣はちょっとパス。
このまま電車を乗り継いで、西鉄福岡(天神)駅で解散と相成りました。
帰り着いた後、友人からメールで
「19000歩を越えたよ~!」と。どんだけの距離歩いたんだよ!




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