前回副砲ケースメードと表記しましたが、「ケースメート」ですね。失礼しました。
さて、その「八雲」の謎の部分に悩んでいたころ、ネットで「八雲」元乗員の岡野幸郎氏のホームページを見つけました(現在は閉鎖)。
岡野氏は、最後の帝国海軍士官となる海兵74期。昭和20年3月に海軍兵学校を卒業し、空母「葛城」に配属。終戦後は「八雲」に乗り組み復員業務に従事。「八雲」退艦後も、機雷除去作業などにもあたられた方です。自身のホームページでその頃のことを紹介されていたのを見た時、当時、私がご近所に住んでいたこともあり、お話をうかがいたくて、思いきって連絡を取りましたところ、快くお会いするお時間をいただきました。
結果からいうと、なにぶん時間が経っていることでもあり、謎の部分や艦橋細部など、ほとんどの部分について、ご記憶がなくなっておられました。
ただ、前マスト後ろの構造物を、作戦室と艦長休憩室などと覚えていらっしゃいました。
また、「内火艇で近づいた時、竿で八雲の舷側を突いた時に、穴があくこともあった」など、元乗員でないとわからないエピソードもいろいろ紹介していただきました。引き揚げ船時代の「八雲」はそれほど、老朽化していたとのことです。
その後、何通か手紙やメールを交わしましたが、お会いして半年後の2009年8月、病気のため他界されてしまいました。
お会いした時はすでに、病気がだいぶ進行していたようですが、丁寧に応対していただきました。
待ち合わせた喫茶店で、胸にチーフを覗かせ、姿勢良くスーツを着こなされていた姿が印象的でした。
80歳を超えてからパソコンの勉強をはじめて、自身のホームぺージを立ち上げ、74期のクラスのHP製作にも尽力されたそうです。
そのほか、読書、水泳、旅などを精力的にこなされ、最後は、身辺整理を完璧にすませ、家族に対し死後の指示をきちっと示し、医者に「今生きているのが不思議だ」と言われる病状の中、外国暮らしのお嬢さんが帰国したのを見届けるように亡くなられたようです。
まさに、日本海軍士官の生き様をみせていただいたような、人生でした。
話がそれましたが、私にとっていろいろなことを教えてもらった出来事なので、紹介しました。
その後、謎の部分については、思わぬところで回答を得るのですが、それは次回に。
さて、その「八雲」の謎の部分に悩んでいたころ、ネットで「八雲」元乗員の岡野幸郎氏のホームページを見つけました(現在は閉鎖)。
岡野氏は、最後の帝国海軍士官となる海兵74期。昭和20年3月に海軍兵学校を卒業し、空母「葛城」に配属。終戦後は「八雲」に乗り組み復員業務に従事。「八雲」退艦後も、機雷除去作業などにもあたられた方です。自身のホームページでその頃のことを紹介されていたのを見た時、当時、私がご近所に住んでいたこともあり、お話をうかがいたくて、思いきって連絡を取りましたところ、快くお会いするお時間をいただきました。
結果からいうと、なにぶん時間が経っていることでもあり、謎の部分や艦橋細部など、ほとんどの部分について、ご記憶がなくなっておられました。
ただ、前マスト後ろの構造物を、作戦室と艦長休憩室などと覚えていらっしゃいました。
また、「内火艇で近づいた時、竿で八雲の舷側を突いた時に、穴があくこともあった」など、元乗員でないとわからないエピソードもいろいろ紹介していただきました。引き揚げ船時代の「八雲」はそれほど、老朽化していたとのことです。
その後、何通か手紙やメールを交わしましたが、お会いして半年後の2009年8月、病気のため他界されてしまいました。
お会いした時はすでに、病気がだいぶ進行していたようですが、丁寧に応対していただきました。
待ち合わせた喫茶店で、胸にチーフを覗かせ、姿勢良くスーツを着こなされていた姿が印象的でした。
80歳を超えてからパソコンの勉強をはじめて、自身のホームぺージを立ち上げ、74期のクラスのHP製作にも尽力されたそうです。
そのほか、読書、水泳、旅などを精力的にこなされ、最後は、身辺整理を完璧にすませ、家族に対し死後の指示をきちっと示し、医者に「今生きているのが不思議だ」と言われる病状の中、外国暮らしのお嬢さんが帰国したのを見届けるように亡くなられたようです。
まさに、日本海軍士官の生き様をみせていただいたような、人生でした。
話がそれましたが、私にとっていろいろなことを教えてもらった出来事なので、紹介しました。
その後、謎の部分については、思わぬところで回答を得るのですが、それは次回に。

ネットから拾った「八雲」の写真です。後艦橋の形状から昭和12年以降の練習艦の時代と考えていいでしょう。艦の左舷プロフィールが良く分かる写真です。
前マストの後ろの四角い構造物について、元「八雲」乗組員の方から話を聞いたことがありますが、「作戦室」などがあったらしいです。

写りが不鮮明で恐縮ですが、今度は右舷後方からみた「八雲」の写真です。「昭和13年度第2次練習艦隊巡航記念」写真帖掲載の写真です。
ここで注目していただきたいのは、後部艦橋前の副砲ケースメードの部分です。先ほどの左舷側とは明かに違い、まるで、ケースメードがもう一段上にも増設されているかのようです。実際、砲はありません。ほかの写真を見てもそれは明かで、12年度と13年度の経年変化ではありません。
画面があまりに不鮮明なので、もう一枚。「昭和12年度練習艦隊巡航記念」写真帖より。

「左右でバランスが崩れるようなことをするだろうか?」「一体、この部分はどうなっているのか?」。7年ほど前に「昭和12年度練習艦隊巡航記念」写真帖を入手して、このことに気がついて以来、「八雲」のこの部分のことは、私を悩まし続けた課題となっていました。