ただ、今回の新資料ですが、機銃装備位置についてははっきりを書かれてなく、まだまだ解明すべき点が残ってしまいました。
前回紹介した佐久間砲術長の証言では、機銃については「25粍3連装3、連装2、単装2」とは書かれてますが、位置が詳しく書かれておりません。
また、副砲5番砲砲員のち8糎高角砲1番砲砲員・河野義之氏の証言では
「水上砲から対空砲への変身が求められていた。遅きに失する憾みはあったが、磐手は誕生以来の整形手術をすることになり入渠、20糎主砲4門、副砲4門を撤去し、代わりに12・7糎2連装高角砲を前後部に、25粍3連装機銃3基を装備した」。
というのもあります。
結果、「Japanses~」の本の装備数はもちろん、これまで当ブログで紹介してきた私の推定とも合いません。むしろ、「八雲」の引き渡し目録の方に近いのが皮肉なものです。
あまりにも各論バラバラすぎて、今までの私の主張の信憑性が下がるのはもちろん、かえって謎が広がってしまったような気がします。たしかに、佐久間砲術長が一番詳しいはずなので、彼の主張が一番、信憑性が高いのかもしれませんが、もう少し何か決定打がほしいところです。
なので、この点については、まだまだ引き続き資料を探さないといけないと思っています。
併せて、前に当ブログで主張した私の終戦時の「磐手」の兵装についてはいったん取り下げさせていただきたいと思います。
前回紹介した佐久間砲術長の証言では、機銃については「25粍3連装3、連装2、単装2」とは書かれてますが、位置が詳しく書かれておりません。
また、副砲5番砲砲員のち8糎高角砲1番砲砲員・河野義之氏の証言では
「水上砲から対空砲への変身が求められていた。遅きに失する憾みはあったが、磐手は誕生以来の整形手術をすることになり入渠、20糎主砲4門、副砲4門を撤去し、代わりに12・7糎2連装高角砲を前後部に、25粍3連装機銃3基を装備した」。
というのもあります。
結果、「Japanses~」の本の装備数はもちろん、これまで当ブログで紹介してきた私の推定とも合いません。むしろ、「八雲」の引き渡し目録の方に近いのが皮肉なものです。
あまりにも各論バラバラすぎて、今までの私の主張の信憑性が下がるのはもちろん、かえって謎が広がってしまったような気がします。たしかに、佐久間砲術長が一番詳しいはずなので、彼の主張が一番、信憑性が高いのかもしれませんが、もう少し何か決定打がほしいところです。
なので、この点については、まだまだ引き続き資料を探さないといけないと思っています。
併せて、前に当ブログで主張した私の終戦時の「磐手」の兵装についてはいったん取り下げさせていただきたいと思います。