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艦船、つれづれ雑記帖

艦船模型好きの筆者が、つれづれなるままにつづる考証とか批評とか

終戦時の「磐手」の武装について新資料(その3)

2014年01月04日 | 巡洋艦・海防艦「磐手」
ただ、今回の新資料ですが、機銃装備位置についてははっきりを書かれてなく、まだまだ解明すべき点が残ってしまいました。
前回紹介した佐久間砲術長の証言では、機銃については「25粍3連装3、連装2、単装2」とは書かれてますが、位置が詳しく書かれておりません。

また、副砲5番砲砲員のち8糎高角砲1番砲砲員・河野義之氏の証言では
「水上砲から対空砲への変身が求められていた。遅きに失する憾みはあったが、磐手は誕生以来の整形手術をすることになり入渠、20糎主砲4門、副砲4門を撤去し、代わりに12・7糎2連装高角砲を前後部に、25粍3連装機銃3基を装備した」。
というのもあります。

結果、「Japanses~」の本の装備数はもちろん、これまで当ブログで紹介してきた私の推定とも合いません。むしろ、「八雲」の引き渡し目録の方に近いのが皮肉なものです。

あまりにも各論バラバラすぎて、今までの私の主張の信憑性が下がるのはもちろん、かえって謎が広がってしまったような気がします。たしかに、佐久間砲術長が一番詳しいはずなので、彼の主張が一番、信憑性が高いのかもしれませんが、もう少し何か決定打がほしいところです。

なので、この点については、まだまだ引き続き資料を探さないといけないと思っています。
併せて、前に当ブログで主張した私の終戦時の「磐手」の兵装についてはいったん取り下げさせていただきたいと思います。

終戦時の「磐手」の武装について新資料(その2)

2013年12月31日 | 巡洋艦・海防艦「磐手」
「ああ軍艦磐手」の終戦時の兵装について、同艦の艦長附から砲術長になった佐久間正喜氏の証言が一番まとまっていますので一部抜粋したいと思います。

「昭和20年2月上旬に20・7糎連装主砲全部(2基)と、15糎単装副砲8門中砲廓装備の4門を撤去し、主砲撤去跡に装備予定の12・7糎連装高角砲用の台座が設置された」
「3月19日、敵機動艦隊艦載機300機の呉在泊艦艇攻撃があり、(中略)呉工廠はこれらの損傷艦の修理に追われていたはずだが、何故か老朽石炭艦磐手の改装は予定通り4月上旬に行われ、2月に設置した台座に12・7糎連装高角砲2基が取り付けられ、露天甲板に残っていた副砲4門は同月下旬から5月上旬の間に撤去された。」
「以前からあった8糎高角砲はそのままなので、これを加えれば高角砲は合計5基7門になり水上砲は皆無になったわけである。また機銃群も面目を一新、25粍3連装機銃3基、連装2、単装2を装備して、漸く対空戦闘時代の化粧直しが行われた」


終戦時の「磐手」の武装について新資料(その1)

2013年12月30日 | 巡洋艦・海防艦「磐手」
今まで1年以上更新を怠ってしまいましたが、終戦時の巡洋艦「磐手」について、最近、新しい資料が手に入りまして、今まで謎だった部分の一端が判明したので、ここにご報告したいと思います。

入手した資料は、神保町の古本屋で見つけた「ああ軍艦磐手」(平成4年、軍艦磐手戦友会発行)です。終戦時「磐手」乗り組みの人たちを中心に体験談をまとめた本で、国会図書館などにも無い、今まであまり知られていなかった資料だと思います。

この中で、15センチ副砲(平射砲)について、昭和20年に主砲を撤去して高角砲を装備した際に全砲撤去したとの証言が、砲術長や砲員だった人たちから随所に出てくるのです。
このことから15センチ副砲撤去は紛れもない事実と判断できると思います(15センチ砲の撤去で配置が副砲から高角砲に替わったという人が何人も登場)。対空戦闘が主になった戦争末期は平射砲は役に立たないため、撤去したとのことでした。

私は「八雲」について、終戦後米軍への引き渡し目録で15センチ副砲が記入されていないことや写真から「撤去した」と推定していましたが、「磐手」についてはわかりませんでした。この本によって「磐手」の15センチ砲撤去が明確になり、同趣旨で対空兵装を強化した「出雲」や、もちろん「八雲」についても撤去の可能性が極めて高いと言えるようになったと思います。

これにより当ブログで前にも紹介した「Japanese Naval Vessels At The End Of War」(第2復員局)の「磐手」「出雲」「八雲」の図面の中で、15センチ砲が残されたままなのは誤りということが言えると思います。やはり、前にも述べた通り「Japanese~」の本を盲信するのは禁物ということなのでしょう。


終戦時の「磐手」(その3)

2011年11月16日 | 巡洋艦・海防艦「磐手」
呉の大和ミュージアム訪問で、宿題となっていた、終戦時の「磐手」の写真の閲覧がかないました。同館所蔵写真の中で、大破着底した「磐手」で、まだ12・7センチ連装高角砲などの兵装が撤去される前の写真は2枚。一枚は正面から撮影したもの(写真番号050070)と、もう一枚は右舷側から写したもの(050127)です。

うち右舷から写した写真を詳細に分析したところ、前艦橋ウイング下の両舷につきだしたように設けられた機銃台に、盾つきの連装機銃のようなものが認められました。後甲板の後部中央部分にも、横向きなので何連装かは判別できませんが確かに、機銃がありました。

ところが、後艦橋ウイング両脇の機銃台には、どうも連装や3連装機銃のようなものは認められず、なんとなく単装機銃のようなものがうっすらと写っていました。(いささか、機銃台の中心部からややズレている感じもしますが。。。。)

よって、私は、終戦時の「磐手」の兵装に関しては、前に紹介した「JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR」の機銃の記述で合っているのかなとひとまず判断しました。

つまり、私の推定する武装は、
○前後の旧主砲塔後に、12・7センチ連装高角砲各1基
○前艦橋ウイング一段下の両脇の特設機銃台(これは「JAPANESE~」の本とは若干位置が違う)に25ミリ連装機銃各1基
○後甲板中央(長官公室などの二つの天窓の間ぐらい)に25ミリ3連装1基
○後艦橋ウイング両端の機銃台に25ミリ単装各1基
○前艦橋ウイングの中央よりに13ミリ単装機銃2基(「JAPANESE~」の本の通り)
○両舷の前艦橋直後の副砲ケースメート上甲板に8センチ高角砲各1門(同上)
○後艦橋ウイング中央に8センチ高角砲1門(同上)
です。

参考までに、「JAPANESE~」の図を再掲します(「磐手」は上です。取り扱い注意でお願いします)。


また、興味のある方は大和ミュージアムのHP(http://www.yamato-museum.com/)で小さい写真画像なら閲覧できますので、私がどの写真について話しているかごらんになってみてください。また、同ミュージアムで写真を閲覧できた方から、ご意見をいただけるとうれしいです。

※2014年1月追記
終戦時の「磐手」の武装について、新しい資料が見つかり、上記の記述の信ぴょう性が低くなってしまいました。よって、上の私の推定する武装という部分は、一時、取り下げさせていただきたいと思います。詳しくは当ブログ「終戦時の『磐手』の武装について新資料」をご参照ください。

「磐手」の測距儀

2011年08月01日 | 巡洋艦・海防艦「磐手」

「昭和14年練習艦隊巡航記念」写真帖より。「磐手」後甲板です。

前にも同じような写真を紹介しましたが、こちらは、測距儀が設置されています。たぶん、取り外し式なのでしょうが、「取り付ける時はこんな感じ」というのが分かります。

ちなみに、前艦橋は、羅針艦橋天井と思われますが、どんなタイプの測距儀で、固定式なのか、取り外し式なのか、どんな感じに取り付けられてかなど、私は、まだ、明確に言えません。