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艦船、つれづれ雑記帖

艦船模型好きの筆者が、つれづれなるままにつづる考証とか批評とか

丸別冊「武蔵」特集で気が付いたこと

2015年12月18日 | 噴進砲
艦船ファン2015年最大のニュース(と私は思っている)戦艦「武蔵」発見からしばらく経ちましたが、関連本の出版はまだ続いているようです。
このたび、潮書房光人社から雑誌「丸」1月別冊「『武蔵』と世界の戦艦」という書籍が発刊されまして、さっそく購入してみました。

その中で、「武蔵」元乗組員で噴進砲搭載を証言している塚田義明氏のインタビューが載っていました。「丸」7月号で載ったインタビューの再録ですが、1点気が付いたことがありましたので、問題提起しようと思います。



上にその「丸」1月別冊のうちから165ページの写真を引用させていただきました。
疑問に思った点は、塚田氏の配置位置です。

インタビューの中で氏は配置場所について「右舷側、煙突やや前方に置かれていた高射機」と言っております。
図にもそのように○が描かれています。
「球形に似た鉄製の高射機の真ん中に5メートル測距儀と方位盤があって(以下省略)」とも言っております。

ここで矛盾点があることに気が付きました。
氏が配置されたと言っている高射機は、今まで世に出ている多くの図面や写真などでは、艦橋基部のはずです。
同ページの図でも、測距儀のついた高射機が、○で囲まれた範囲より前方の艦橋基部にはっきり描かれています。
しかも、「武蔵」は、高射機を両舷に各1基の計2基しか装備していないはずです。
塚田氏が言った場所には、定説では、機銃の射撃装置があるとされているのではと思ったのです。

これはどういうことなのでしょうか
起こりうる可能性を列挙すると。

1、塚田氏の言う高射機の位置が実は正しい→今までには明らかになっていなかった新事実(では艦橋基部の高射機はどうなった?)。
2、実は高射機は艦橋基部と塚田氏の述べる位置で計4基装備していた→この場合も新事実。
3、塚田氏の勘違い。実はやっぱり高射機は艦橋基部だった→従来の定説通り
4、塚田氏の言っていることは正しいが、雑誌「丸」の図面に示した○の位置が間違い→従来通り
5、塚田氏は実は、高射機の配置でなかった。(これは可能性は非常に低いと思いますが)

とこれだけの説が出てきてしまいました。
海底調査の写真がもっと出てくると、1、2、3についてははっきりすると思うのですが。

当ブログをご覧のみなさんもちょっと注目していただけると幸いです。






「武蔵」が搭載したかもしれない噴進砲は「十二糎二八連装噴進砲」って、誰が言い始めたんだ?

2015年06月08日 | 噴進砲
シブヤン海の「武蔵」が発見されてしばらく経ちましたが、噴進砲については、なかなかはっきりしたことが分かりませんね。最近では、雑誌で「武蔵」が相次いで取り上げられ、ちょっとしたブームになっている感じもあります。その中で、最近発売された「丸」7月号で「武蔵」が特集で取り上げられ、噴進砲搭載を証言した元乗組員の塚田義明氏のインタビューが掲載されています。

その記事の中でも、噴進砲について言及があり、やはり明確に搭載を証言しています。塚田氏は「武蔵」以外には乗艦していないので、他艦との記憶が混同されることがなく、また、噴進砲が装備されたという位置は、氏の配置にも近かったので、私は、やはり装備していたかもしれないという印象を持ちました。

ネット上では、第2艦隊司令部の報告に「噴進砲は1艦も装備しておらず噴進砲の効果は不明」という記述があることを紹介されている方もおられますし、マリアナ沖海戦の後の戦訓で開発が決まった噴進砲は、6月下旬から7月上旬にかけて呉に入った「武蔵」に搭載するには、時期的に開発が間に合わないと述べる方もおられます。

確かにそういう面もあると思うのですが、前にも当ブログでマリアナ沖海戦時の「隼鷹」には実験的な噴進砲を搭載した可能性があると主張している私としては、「『武蔵』もレイテの時に実験的な噴進砲を搭載していた可能性があるのでは」との説を支持したいと思います。

あくまで、実験的な噴進砲を試験のために仮に「武蔵」置いただけなので、公式には搭載したという記録がない。また、塚田氏が目撃した試射(実験)の後は、撤去する間もなくそのまま置かれ、人員を配置することなく、ロサ弾も搭載しなかった。なので、シブヤン海の戦闘の時は使用しなかったと。

そもそも、塚田氏も著書「戦艦武蔵の最期」では「新兵器の噴射砲」と記述しているだけで、「十二糎二八連装噴進砲」とは言っていません。学研の歴史群像太平洋戦史シリーズ45「真実の艦艇史」中の「戦艦『武蔵』は噴進砲を搭載したのか」の記事でも、噴進砲としか書いていません。同じ時期のエンガノ沖海戦の小澤艦隊の空母などが「十二糎二八連装噴進砲」を搭載したから、「武蔵」の場合もそうだろうとみんな思い込んでいますが、そうとは言い切れないと思います。

とはいえ、そのころの海軍の噴進砲といえば十二糎二八連装噴進砲しかないだろうがというご意見もあると思います。まあ、私の主張も根拠は全くありません。あくまで、「空想」の域を出ない程度の意見です。アレン氏の海底調査のもっと詳しい結果が公表され、さらなる手がかりが明らかになるのを、期待を込めて待ちたいと思います。