大仰なタイトルをつけましたが、新しい写真が見つかったわけではありません。ただ、最近発行になった雑誌「艦船模型スペシャル46号」の「紀元二千六百特別観艦式を作ろう」のコーナーに、前に当ブログで紹介した「常磐」がちょっこっと写った昭和15年の観艦式当日の写真が掲載されていますよということだけです。
それは120ページの左下、戦艦「山城」がメインに写った写真です。「山城」の艦尾遠方に巡洋艦「鈴谷」が写ってますが、そのもっと奥に、「常磐」の直立の2本の煙突とマストがうっすら写っております。当日の艦の配置から「常磐」に間違いないでしょう。マストが高いままということがおわかりいただけると思います。
前にも述べましたが、昭和18年夏に大湊で撮影された「常磐」の写真では、マストが短縮されているのが分かります。私にとって、では、マストがいつ短縮されたのかや、開戦時の舷外電路や爆雷投射機の搭載の有無などは、あれから調査を続けていますが、未だ分からないままになっています。
ただ、学研の歴史群像太平洋戦史シリーズ57「艦載兵器の変遷(真実の艦艇史3)」に掲載されている艦艇史研究家・田村俊夫氏の記事に、ちょっと調査先になりそうな資料を発見しました。
それは、81ページで紹介されている「堤資料」です。昭和15年から20年まで佐世保工廠に勤務した堤重範氏がまとめた「佐世保海軍工廠沿革史編」で、田村氏は、これを「堤氏が戦後、公式資料を含む各種資料を調査した結果のほかに、工廠勤務の時に作成したと思われる資料が含まれている」として、公式文書に準じる資料と紹介されています。実際、田村氏の記事の中では、開戦前の出師準備の時に巡洋艦「足柄」が舷外電路の装備したことを、「堤資料」に書いてあった趣旨の文があります。「常磐」は佐世保鎮守府所属なので、「堤資料」に、手がかりがある可能性大と考えます。
で、その資料がどこにあるかネットで調べて行ったところ、長崎県佐世保市の市立図書館に蔵書があることがわかりました。
しかし、私が住んでいる北海道から九州の佐世保にいくのは、経済的にも仕事の関係からも家庭の事情からもなかなかたやすいものではなく、現在、調査は止まっております。いつか、そちら方面に出張でいけた際に、ぜひ立ち寄ろうと思っていますが、いつになるかは分かりません。なので、ご興味のある方は、当たってみられるといいかもしれません。
それは120ページの左下、戦艦「山城」がメインに写った写真です。「山城」の艦尾遠方に巡洋艦「鈴谷」が写ってますが、そのもっと奥に、「常磐」の直立の2本の煙突とマストがうっすら写っております。当日の艦の配置から「常磐」に間違いないでしょう。マストが高いままということがおわかりいただけると思います。
前にも述べましたが、昭和18年夏に大湊で撮影された「常磐」の写真では、マストが短縮されているのが分かります。私にとって、では、マストがいつ短縮されたのかや、開戦時の舷外電路や爆雷投射機の搭載の有無などは、あれから調査を続けていますが、未だ分からないままになっています。
ただ、学研の歴史群像太平洋戦史シリーズ57「艦載兵器の変遷(真実の艦艇史3)」に掲載されている艦艇史研究家・田村俊夫氏の記事に、ちょっと調査先になりそうな資料を発見しました。
それは、81ページで紹介されている「堤資料」です。昭和15年から20年まで佐世保工廠に勤務した堤重範氏がまとめた「佐世保海軍工廠沿革史編」で、田村氏は、これを「堤氏が戦後、公式資料を含む各種資料を調査した結果のほかに、工廠勤務の時に作成したと思われる資料が含まれている」として、公式文書に準じる資料と紹介されています。実際、田村氏の記事の中では、開戦前の出師準備の時に巡洋艦「足柄」が舷外電路の装備したことを、「堤資料」に書いてあった趣旨の文があります。「常磐」は佐世保鎮守府所属なので、「堤資料」に、手がかりがある可能性大と考えます。
で、その資料がどこにあるかネットで調べて行ったところ、長崎県佐世保市の市立図書館に蔵書があることがわかりました。
しかし、私が住んでいる北海道から九州の佐世保にいくのは、経済的にも仕事の関係からも家庭の事情からもなかなかたやすいものではなく、現在、調査は止まっております。いつか、そちら方面に出張でいけた際に、ぜひ立ち寄ろうと思っていますが、いつになるかは分かりません。なので、ご興味のある方は、当たってみられるといいかもしれません。