
昭和九・十年度練習艦隊巡航記念写真帖より、昭和10年の「八雲」艦橋です。
まだ、羅針艦橋天井がキャンパス張りです。昭和12年の写真ではみられる、艦橋ウイング甲板(?)の操舵室の右舷側にある小構造物は、まだありません。ウイング下の甲板両舷に、8センチ平射砲があるのもわかります。この位置の8センチ砲は昭和11年ごろには5センチ礼砲に換装されます。

こちらも同写真帖から。遠洋航海でオーストラリアのフリーマントル港での「八雲」。
参照で、昭和12年の艦橋の写真も再掲します。この年から羅針艦橋の天井が固定化されています。操舵室の右舷側にある小構造物は方位探知室と推測します。

ところで、前にフォーサイト(シールズモデル)に注文していた700分の1「八雲」と「吾妻」が、このほど届きました。「八雲」は前にも一回購入したことがあるのですが、最新版では、箱が以前よりかなりコンパクトになったのが変更点と言えるところでしょうか。私のような積みっぱなしモデラーにはありがたいサイズとなりました。キットのモールドも、すばらしいの一言です。
終戦直後の「八雲」の写真が載っている冊子を見つけました。
「丸エキストラ戦史と旅 2」(平成9年1月発行、昭和館に所蔵あり)です。
「終戦直後の呉軍港」のタイトルで、伊号潜水艦とともに、「八雲」の右舷前よりから見た写真が掲載されています。
著作権の関係上このブログには転載しませんが、ちゃんとまだ、主砲跡に設置された12・7センチ高角砲が写っています。武装撤去後の「八雲」の写真は何枚か見たことがありましたが、高角砲がちゃんと残っている写真はこれが唯一だと思います。
やや不鮮明なのが残念ですが、この写真から分かることは、前艦橋ウイング前面に設けられた機銃台に、楯つきの連装機銃らしきものが見られること。そして、前艦橋後ろの副砲ケースメート部分にあるはずの、15センチ単装砲が見られないことです(太陽の当たりぐあいから、砲が存在していたら出来ていないとおかしい棒状の影が見られない)。
前にもこのブログで、従来、装備していたとされる「八雲」終戦時の15センチ単装砲4門について、防衛研所蔵資料の「軍艦八雲引渡目録」(昭和20年10月5日。アジア歴史資料センターHP、レファレンスコードC08011345200)の資料を根拠に、「どうなったのだろう?」と疑問を述べましたが、この写真によって、私は「やはり撤去された」との結論に至りました。対空戦闘にはもはや15センチ平射砲は役に立たないので、12・7センチ連装高角砲に換装して機銃増備した時点で、15センチ副砲は全て撤去されたと考える方が妥当ではないかと思います。
しかし、謎はまだ残ります。上記「引き渡し目録」に掲載されていた25ミリ3連装機銃3基のうち、2基は後艦橋ウイング両端と推測できるのですが、残り1基はどこに設置したのかという問題です。丸エキストラのこの写真でも、これに関しては全然わかりません。
「丸エキストラ戦史と旅 2」(平成9年1月発行、昭和館に所蔵あり)です。
「終戦直後の呉軍港」のタイトルで、伊号潜水艦とともに、「八雲」の右舷前よりから見た写真が掲載されています。
著作権の関係上このブログには転載しませんが、ちゃんとまだ、主砲跡に設置された12・7センチ高角砲が写っています。武装撤去後の「八雲」の写真は何枚か見たことがありましたが、高角砲がちゃんと残っている写真はこれが唯一だと思います。
やや不鮮明なのが残念ですが、この写真から分かることは、前艦橋ウイング前面に設けられた機銃台に、楯つきの連装機銃らしきものが見られること。そして、前艦橋後ろの副砲ケースメート部分にあるはずの、15センチ単装砲が見られないことです(太陽の当たりぐあいから、砲が存在していたら出来ていないとおかしい棒状の影が見られない)。
前にもこのブログで、従来、装備していたとされる「八雲」終戦時の15センチ単装砲4門について、防衛研所蔵資料の「軍艦八雲引渡目録」(昭和20年10月5日。アジア歴史資料センターHP、レファレンスコードC08011345200)の資料を根拠に、「どうなったのだろう?」と疑問を述べましたが、この写真によって、私は「やはり撤去された」との結論に至りました。対空戦闘にはもはや15センチ平射砲は役に立たないので、12・7センチ連装高角砲に換装して機銃増備した時点で、15センチ副砲は全て撤去されたと考える方が妥当ではないかと思います。
しかし、謎はまだ残ります。上記「引き渡し目録」に掲載されていた25ミリ3連装機銃3基のうち、2基は後艦橋ウイング両端と推測できるのですが、残り1基はどこに設置したのかという問題です。丸エキストラのこの写真でも、これに関しては全然わかりません。