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艦船、つれづれ雑記帖

艦船模型好きの筆者が、つれづれなるままにつづる考証とか批評とか

チラシ軍艦春日案内

2014年01月19日 | 海防艦・練習特務艦「春日」
旧海軍の資料集めの方法のひとつとして、古本屋のサイトをチェックするというのがあります。
今は、「日本の古本屋」「スーパー源氏」など、日本全国の古本屋の商品を横断的に検索できるサイトがあるので、非常に便利です。
これを使って、国会図書館や昭和館などにない資料を発見し、通信販売で入手したことは一度や二度ではありません。

先日、そんな中で、「チラシ軍艦春日案内」という資料を発見しました。
説明書きには、B5版わら半紙1枚のみ、昭和11年と書かれていました。
おそらく、当時、「春日」を一般公開した時に見学者に配ったチラシと推測して、購入することにしました。

ひょっとしたら、艦形図が描かれていて、「ここが兵員室」とか「ここが艦長休憩室」などの説明がされているのではないかと期待していたのですが、届いた現物を見たら文字ばかり。
それも、すでに知っているようなことばかりでした。4500円もしただけに、落胆も大きかったです。

まあ、資料集めをしていると、このようなことは、よくあります。
特に、現物内容を確認できない通信販売の場合は、「あて外れ」というほうが多いかもしれません。

でも、逆にそういうことがあるので、ドンピシャな資料を見つけた時のうれしさと言ったら、言葉では表現できないほどなのです。
というわけで、せっかくなので、チラシ軍艦春日案内をアップしておきます。これも今となっては、戦前の日本海軍にかかわる貴重な資料にかわりありませんからね。
後日、防衛研に寄贈しようと思っています。



「春日」の艦橋後部(おまけ)

2011年08月23日 | 海防艦・練習特務艦「春日」
横須賀市が2005年に発行した「占領下の横須賀~連合国軍の上陸とその時代」という書籍があります。
米軍などが撮影した、終戦後の横須賀市周辺の写真が数多く掲載されている冊子です。

その本の26ページに、「練習特務艦富士」と説明がされた、横転した軍艦を撮影した写真が掲載されています。
説明では「富士」と書かれていますが、2本煙突の真ん中にマストが立っている特徴から、あきらかに「春日」です。

横転しているので、水面下に沈んでいる部分も多いのですが、艦橋後ろに、クレーン固定台とおもわれる部分もちょっと写っています。横向きのプレートに肉抜きの穴を開けた形状は、艦橋の補強材のようにも見えますが、私はクレーンの固定台だと思います。

あと、二つあるクレーンの長さが違っているのもうかがえたり、後艦橋の高角砲台の形などが推測できます。

マストがじゃまなのが、少々残念な写真ですが、興味のある方はぜひご参照ください。

「春日」の艦橋後部(その2)

2011年08月20日 | 海防艦・練習特務艦「春日」

「写真日本軍艦史」(海と空社、昭和9年発行)から、「春日」の艦橋背面がちょっと写っている写真です。
はっきりとはわかりませんが、艦橋の後ろ、クレーンの先に、台のような四角いものがあるのが、伺えます。私はクレーンの固定台ではないかと推察しています。

実際に、『写真日本海軍全艦艇史』(福井静夫、KKベストセラーズ、平成6年)上巻に掲載されている昭和前期の「春日」の写真(479ページの上から2番目、写真番号1182)にも、ここの部分に、固定台のようなものがわずかに写っている写真があります。この写真では、中甲板の15センチ砲が残っていることから、昭和3年以降早いころに撮影されたものだと思いますが、「JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR」(第2復員局、昭和22年)の図にも、艦橋後方に棒状のものが書かれていますので、この固定台のようなものは最終時まで残っていたと考えるのが自然と思います。
参考までに、「JAPANESE~」の該当部分を引用します。前にも述べた通り、透かし文字などを入れているのをご了承ください。


しかし、明確にその部分が写っている写真を、私はまだみつけられていないので、具体的な形状などは全く不明です。

「春日」の艦橋後部

2011年08月19日 | 海防艦・練習特務艦「春日」

「日本軍艦集 2600年版」(1940年、海軍研究社)から、「春日」です。

画像があまりよくなく、検閲による修正も激しい写真ですが、昭和3年ごろに艦橋後部に増設した艦長休憩室などの部分は、後ろ側にも丸窓がひとつあることがわかります。

あと、その下の柱の補強材の形状も、ある程度わかります。

「春日」の艦橋

2011年08月09日 | 海防艦・練習特務艦「春日」

同じく、「写真日本軍艦史」(海と空社、昭和9年発行)より,横から見た「春日」です(これも同本では「日進」として掲載されていますが、あきらかに「春日」です)。日露戦争時に比べて、前艦橋が大幅に拡大されています。特に、艦橋後方部分の前煙突両脇に、張り出すように艦橋構造物が増設されているのがわかります。

海軍省公文備考昭和3年3月15日、「軍艦春日船體改造の件」(アジア歴史資料センターHP、レファレンスコードC04016198200)という資料を見ると、この部分はこの年に、艦長休憩室、士官休憩室、学生休憩室として両舷に増設したようです。

当時「春日」は横須賀で運用術練習艦任務についており、学生の実習、遭難救助などに活躍していました。資料を見ると、「運用術練習艦として夜間の行動きわめて頻繁なるに、従来、艦長航海長休憩所の設備なく、勤務上不便」などと書かれています。残念ながらこの資料に図は添付されていませんが、写真を見る限り、増設された部分は、航海艦橋のようなガラス張りでなく、円形の窓が設置されていたということがわかります。

ちなみに、「世界の艦船」誌1997年11月号に、昭和初期、マニラに於ける「春日」を米軍が撮した写真が掲載されています。まだそのころは、艦橋後部の構造物はありませんが、上空から撮した、とても情報量が多い写真です。興味のある方はぜひご参照ください。