呉の大和ミュージアムでは、「八雲」の昭和11年12月につくられた図面も見つけました。
同館のパソコンのデーターベースから見つけた「軍艦八雲 一般艤装一部改正図」(資料番号06000922)です。とは言っても、前艦橋下の8センチ砲を短5センチ礼砲に換装した状態や、船体内蔵の魚雷発射管を撤去して倉庫などに改造した部分を示したもので、一般艤装図のように艦の詳細を示したものではありません。この図では、写真では確認できる拡大された羅針艦橋や後艦橋の8センチ高角砲も描かれてなく、「八雲」の当時の状態を正確に示したものとはいえないでしょう。
しかし、前マストの後ろの箱型構造物はきちんと描かれています。今まで私は写真から平面形は四角だと思いこんでいたのですが、前の部分に「でっぱり」がある特殊な形だったことがわかります。以下にその形状のイメージを参考までに添付します(はじめてパソコンで作図しましたので、形がいびつなのはご容赦ください)。

この構造物は1階が「電信室」、2階が「通信指揮室」とも書かれております。前に元乗組員の方からの証言で当ブログでは「作戦室などがあった」と紹介していましたが、どうやら違うようです。
また、艦橋ウイングの後ろ部分から、その「通信指揮室」まで、渡り廊下のようなものも描かれていました(図参照)。これについても私は今まで写真などで判断がつかず、悩んでいたポイントでしたので、おおいなる収穫でした。ちなみに、図では、艦橋ウイングの平面形は凸型ですが、昭和11年には「磐手」のような「おむすび型」に拡大されていることが、写真から確認できます。
同館のパソコンのデーターベースから見つけた「軍艦八雲 一般艤装一部改正図」(資料番号06000922)です。とは言っても、前艦橋下の8センチ砲を短5センチ礼砲に換装した状態や、船体内蔵の魚雷発射管を撤去して倉庫などに改造した部分を示したもので、一般艤装図のように艦の詳細を示したものではありません。この図では、写真では確認できる拡大された羅針艦橋や後艦橋の8センチ高角砲も描かれてなく、「八雲」の当時の状態を正確に示したものとはいえないでしょう。
しかし、前マストの後ろの箱型構造物はきちんと描かれています。今まで私は写真から平面形は四角だと思いこんでいたのですが、前の部分に「でっぱり」がある特殊な形だったことがわかります。以下にその形状のイメージを参考までに添付します(はじめてパソコンで作図しましたので、形がいびつなのはご容赦ください)。

この構造物は1階が「電信室」、2階が「通信指揮室」とも書かれております。前に元乗組員の方からの証言で当ブログでは「作戦室などがあった」と紹介していましたが、どうやら違うようです。
また、艦橋ウイングの後ろ部分から、その「通信指揮室」まで、渡り廊下のようなものも描かれていました(図参照)。これについても私は今まで写真などで判断がつかず、悩んでいたポイントでしたので、おおいなる収穫でした。ちなみに、図では、艦橋ウイングの平面形は凸型ですが、昭和11年には「磐手」のような「おむすび型」に拡大されていることが、写真から確認できます。