遊月(ゆづき)の日々これ修行なり~

パワースポット研究家(おたる案内人)でセラピスト遊月のブログ
【パワースポットニッポン(VOICE)北海道担当】

ノスタルジーが生まれた小樽の必然

2022-06-05 08:30:49 | パワースポット情報
京都の街の素晴らしさを地元の方に語ると、当たり前すぎて気付かなかったと言う言葉を耳にします。
昨日、小樽案内人講座を受けて、同じことを何度も感じました。



小樽駅のランプ

講座の初めに、小樽駅を出た瞬間に真正面に見える、大型船の写真が出ました。

小樽は、天狗山から広がる坂と、正面に海が見える、山と海が近くに感じる街です。
そのため、小樽駅を出ると、正面に海が見えます。
大型船はとても大きいので、港に近い方の先の建物よりも船の方が何倍も大きく見えて。
遠近法がおかしく感じ、鼻先に船が入っている感覚になるのです。

実家のほうも、坂の真下に大型船が目の前にいるかのように見えて、見慣れた風景でした。

駅を出た瞬間に、目の前に大型船が見えるのは日本中外にはないと言われて、そうなの!と驚きました。

小樽はノスタルジーな街なのですが。
そうなった理由があったと知りました。

開拓史が入ってくるまでは、アイヌの方たちが暮らしている、北海道によくある小さな海の近くの集落でした。
小樽は、たまたま天然の港と言えるような良い場所が「手宮」と言うところにありました。

私が1番大好きで、しょっちゅう坂の上から海を眺めているあの場所です。


ここから見えるのが手宮の港。
見えている防波堤は、日本で初めて建築に成功したもので、明治時代のものなんだそうです!


そのため、新しい北海道の玄関口になりえました。
中心地を、平らな場所な札幌に決めていたのですが。
そのすぐそばにある物資の入り口として、小樽が存在したわけです。

ところがです。
当時、小樽では、信じられないほど、ニシンが豊作となっていました。
実は当時の日本は、黒船がやってきて以来、外国勢に追いつけ追い越せと、海外に売り出す商品として、国を挙げて綿花を作っていました。
その肥料として使われていたイワシが不作で、代わりに肥料になるものを日本全国で探していたまさにその時、小樽では、信じられないほどのニシンが獲れていたのです。

日本全国の農家が、家財道具を質屋に入れてでさえ欲しいと思っていた肥料が、小樽で山のようにありました。

そこで漁師の人や、ニシンを肥料にするために関わる人がどんどん増えていきました。


昨日、博物館で撮影しました。
小樽の博物館は、展示の写真をブログにアップしてもいいのですー

当時、あちこちの港に立ち寄ってはそこの特産物を売り買いし、動くデパートのようになっていた北前船がありました。
これが小樽に寄るようになりました。
日本で1番の金持ちが小樽に誕生する状況でしたから、北前船の人たちも、小樽に拠点を持ち始めました。

お金のやりとりがすごかったので当時銀行だけで25店、支店なども入れると80位の銀行がこの小さな町にずらっと並びました。

儲かっている網元や、資産家でもある北前船の人たちが、資産を投じて小樽の街をどんどん豊かに作っていきました。

坂の街ですぐ側に海がある小樽には、住む場所が少なく、どんどん増える人口に見合うだけの建物を作るには、密集して建てるしかなく。
一度火事が起きれば全滅と言うような状況でした。
そのため、耐火性に優れた石の建物を立てるようになったのです。

しかし石の建物は時間がかかるため、木枠で中を作り、外側だけ石を置くと言う、「木骨石像」と言う手法が用いられました。

この手法で建てられた倉庫が信じられないほど港に並んでいたのです。

しかし、乱獲によりニシンは減少し、同時に鉄道の発達により、船ではなく鉄道に推移していったことから、小樽は一気に寂れていきました。

銀行が引き上げ、賑わっていた荷物も、太平洋側にできた苫小牧側に集まるようになり、空の倉庫だけが残っていきました。
一気に寂れてしまったのです。

そしてゴミだめのようになってしまった運河を埋め立てて、道路を作ろうと言う話になりました。
しかし小樽独自の文化である運河を残そうと、市民運動が起きました。

この市民運動が全国的に毎日報道され、小樽の運河が一気に全国区になったのです。
それをきっかけに観光客が押し寄せました。
そして廃墟だった倉庫は、あっという間にノスタルジックな美しい資産へと変わったのです。

子供の頃、あのあたりはほんとに倉庫街で、一軒だけ喫茶店がありまして。
そこに行くのに友達とてくてく倉庫しかない寂しい道を歩いた覚えがあります。
それがあの観光客でごった返している運河通りです。

子どもの頃、街を二分して争っていた運河論争。
大人が怖いと感じるほど、互いに攻撃的でした。
それが世界に知られるほどの観光の起爆剤になるなんて。

小樽の歴史を見ていて、全てが必然だと感じました。
突然街が開け、調子に乗っていたらあっという間に寂れて。
でも、その時にできた栄華の跡がノスタルジックで。
火事が多くて独自の建築手法で建造したことで、持ち主が去っても建物が残って。
それが今再利用されて、他の街にはない独自性を生んでいる。

小樽!!
となりました(小樽愛強め)

京都の歴史を探っていて、平安より前の記録がなくて、不詳なことが多かったのですが。
縄文から入れると歴史は長いですが、町として作られた年数が浅いことが幸いし、たくさんの資料が残っています。

京都を調べて感じたのは、地元の人の当たり前を記録として残さないと、知っている人が消えて、その対象も消えた時、情報を後世で調べられなくなる。
ということです。

地元の当たり前を勉強して、世界に発信したい(大きな野望笑)と感じました。

みんな小樽に来てー。
素敵なお店いっぱいあるし、天狗山すごいパワスポだからー(笑)







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