TBA

(仮)

連休の置きみやげは

2019-05-13 | 本と雑誌

 

がたがたになった生活のリズムと睡眠不足。

 

ゆうべも眠れなかったけど、

起きなきゃいけないってなると意外と起きられるもんで。

3~4時間しか寝てないけど、今はわりに元気。

今晩はよく寝られるといいな。

 

 

連休中に読んでしまうつもりだったのがやっと終わった。

うさぎドロップ 9 (Feelコミックス)

うさぎドロップ 9

賛否両論あると知って、4巻まで読んだあと、

わりと長いこと読めずにおいてたやつ。

こわごわだけどちゃんと読んでみると、

ていねいに描いてあるし、結末に違和感はないと思った。

思い描いていた結末と違ってるからって全否定するようなのもどうかと。

結局、悪人は出てこなかったやさしい世界。

あと二人ほど、気になる人はいるけれど。

 

判型も大きくてとにかく場所をとるので、

とっとと読んでとっととかたづけるつもりだったのだけど、

もうちょっと近くに置いておこうかと。

と思ったら、新装版ってなんだよ。

 

 

で、この結末はある意味、お互いに「責任をとった」ともいえると思うのだけど、

”拡張家族”ってなんだろうか。

いい部分だけを利用する、っていう風にも思えるんだけど、

それは”家族”と言っていいものなんだろうか。

家族として生きていくには、いい面も悪い面もある。

その両方を真っ正面から受け止める覚悟は持てるんだろうか。

シェアハウスを渡り歩くっていう人もいるらしいけど、

そっちは権利だけを主張して義務を果たさない人ってイメージを感じてしまう。

 

そうやって家族とかの本来の意味をあいまいにしていく風潮って、

もともとは善意から始まっているのかもしれないけれど、

結局は悪人が「木を森に隠す」目的に利用されてしまうような。

 

そして「家族」や「戸籍」って、

本当は弱者である個人を国家が保障するためのものなのでは。

 

いろんな”家族”の形があるのはいいことだと思う。

でも、もともとの「家族」の形を否定するというのは違うのではないかな。

「普通の家族」が悪いわけではないのだし、

いちいちわざわざ新しい言葉を作る意味ってなんだろうか。

 

『もし社会が無制限に寛容であるならば、

 その寛容は最終的には不寛容な人々によって奪われるか破壊される』

っていうパラドックスが現実になりませんように。

こういう伝統を意図的に破壊しようとする人たちを「保守」などと呼びたくないし。

 

 

 

保育園の涙の記者会見。

記者会見を開いたこと自体を批判している人はいないのでは。

批判されているのはマスコミの質問の内容。

報道の自由はあるけれど、無制限ではないし、

行きすぎればそれに対する批判があるのはあたりまえの話。

報道の自由を盾にしてなにをしても許されるわけではない。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アルカイック | トップ | 望みは高く果てしなく »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

本と雑誌」カテゴリの最新記事