TBA

(仮)

江戸の仇を

2019-05-31 | テレビ番組

 

雨、降るのかと思ったら降らず。

まあ、すごしやすい一日。

 

なんかきのうのつかれが出てしんどい。

植木切ってくれ、とかも言われたしなあ。

そういえば、植木ばさみとか踏み台とか、

きのうホースを探した時に近くの売り場にあったはず。

なんで見てこなかったかなあ。

 

 

「アメトーク」と「なんしようと?」がかぶると、

Tverで見られる方はいいか、って思うのだけど、

あとでわざわざ見たりすることってほとんどない。

 

結局、おじさんたちが駄菓子を買ったりおもちゃを買って遊んでるほうを見てしまった。

いろいろ食べてるのを見ると、おなかすいて自分も食べるし。

せっかくちょっとやせてきたのに。

なにか食べるといちいちほめてるシソンヌの長谷川さんも、たぶんいい人。

 

 

 

「さらざんまい」はびっくりした。

 

『どれだけ尽くしたって報われなければむなしいだけだ』

報われるためにやってたのならやらないほうがいいんだろうな。

 

生焼けの人形焼を食べるカワウソ。他人を操れるカワウソバッジ。

冷凍されるケッピと、幽閉された黒ケッピ。

 

『切れてからつながってたことに気づく』

大事なものはなくしてから気付くもの。

 

『つながりたいけど、もう会えない』

EDの人影が二人になってるのは気づいたけど、カモメもどうとか。

 

携帯に名前を登録してるかどうかでも関係性が。

一稀の声がシンジっぽいなあと思ってたけど、今回は特に。

かたくなでわからんちんなところかも。

で、14歳だったんだな。

魔性、というか、自分でも理解できないくらいの闇をかかえていると、

同じように闇にとらわれている人を引き寄せてしまう傾向があるのでは。

 

 

「Fairy gone」おもしろいと思うんだけどな。

 

『許せなくても受け入れろ』とか『人殺しが正当に裁かれる、いい時代だろ』とか、

”ロバート”のエピソードもそうだけど、

これって戦争が終わったあとの後始末の話だったんだな。

最初から書いてあったけど、あらためて気づいた。

映画とか小説でもそうだけど、大きな山場が終わったあとでも物語は続いている。

時間はかかっても乗り越えるべきことだし、

乗り越えなければいけないし、乗り越えられることでもある。

 

 

大会優勝トロフィーに”足あげポーズ”で物議』というニュース。

 

あれを ”足あげポーズ”っていってしまうのが、

もうなんか、ニュアンスを変えることで印象操作をしようっていう、

”忖度” とか ”ごはん論法” なんかと同じセンスを感じる。

 

で、わざわざ「スパイクを脱いでる」っていうのがその場の勢いではなく、

確信犯として「踏みつけてる」んだってことがよくわかる。

 

野球でもマウンドに国旗を立てるっていうのがあったし、

”散歩”パフォーマンスだったっけ、ゴールをしてもわざと喜ばないとか、

勝てば相手になにをしてもいい、っていう価値観なんだろうなと思う。

 

ひょっとしたら、なかなか招待されなかった腹いせというのがあるのかも。

でも、そうだとしても、なにかと絡めるのは避けるべきなのは当然のことだし、

戦いが終わればノーサイド、っていうのがわからないみたいな感じとか、

根本的なところにやっぱり違いがあるのだろうなあとしか。

 

前の戦争から70年たって今、いろんなことを乗り越えた結果として、

日本とアメリカが友好関係にあるってことも理解できてないのかも。

で、その友好関係を続けていくのにも、これからもいろんな努力が必要なことも。

 

コメント
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