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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

第25回 今日は何の日?

2010-07-14 | 憲法って、面白っ!
 今日、7月14日は何の日でしょうか? 

 フランス革命記念日ですね。1789年7月14日、パリの民衆は圧政の象徴であったバスチーユ牢獄を襲撃し、陥落させました。ちなみにこの日を「パリ祭」と呼ぶのは日本だけで、フランスでは単に「カトルズ・ジュイエ(7月14日)」と言います。
 もちろんこの日に突然革命が始まったわけではありません。それに先立ちルソーなどの革命思想家が登場し、絶対王制を鋭く批判していました。また1776年のアメリカ独立戦争の影響も大きなものがありました。イギリスの植民地であったアメリカの独立を援助することでイギリスを没落させようと思ったフランスは軍人たちをアメリカに派遣しました。ところが、アメリカが独立し、その新しい政体を知った軍人たちが、絶対王制の打倒に寄与することになったのですから皮肉なものです。
 
 近代憲法との関係で言うと、1789年8月26日、憲法制定国民議会によって採択されたフランス人権宣言には、現在の日本国憲法にも共通する基本的な要素が含まれています。
 生まれながらにして持つ自由と平等の権利、基本的人権、国民主権、参政権、適正手続き、罪刑法定主義、推定無罪の原則、思想・信仰のの自由、表現の自由、権力の分立、所有権の不可侵。

 このシリーズの第3回で、基本的人権を制約できるのは「公共の福祉」とは何かという話を述べましたが、このフランス人権宣言ではその考えが次のように言い表されています。

第4条 自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。

 フランス人権宣言にあって、日本国憲法にない規定としては、抵抗権が挙げられます。

第2条 すべての政治的結合の目的は、人の、時効によって消滅することのない自然的な諸権利の保全にある。これらの諸権利とは、自由、所有、安全および圧制への抵抗である。

日本国憲法では、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」(12条)というのが、それに相当するのかもしれませんが、人権宣言に比べれば明白さに欠けています。

 一方、日本国憲法にあって人権宣言にない規定の代表的なものとしては、まずはこれまで述べてきた憲法9条です。(人権宣言ではその代わり、公的な武力に対する制約が盛り込まれています。)

 そして、もう一つは、憲法25条の生存権です。

 フランス革命は、平民(市民)VS王侯貴族という対立が主要なものでしたが、革命の爆発的なエネルギーは、平民の中でも貧しい生活を強いられてきた人々から生まれてきました。しかし革命はそうした人々の要求を成果として結実させることなく、古い封建勢力の前にいったんは屈してしまいます。それからフランスでは何度も革命が起こります。1830年の7月革命、1848年の2月革命。どれも貧しいプロレタリアートが最も危険に身をさらして革命を成功に導きますが、その成果は銀行資本家や産業資本家のものになるばかりでした。1871年のパリ・コミューンは初めて労働者が政権を取った革命でしたが、フランスの旧政府とプロイセンの政府(ほんの少し前までは普仏戦争で争っていたのですが)が結託して、わずか2ヶ月で崩壊させてしまいました。

 しかし、それからも金持ちはますます金持ちに、貧乏人はますます貧困になるという社会体制は変わらず、そうした体制の変革を求めて1917年にはロシアで革命がおきました。この動きはヨーロッパに波及し、1918年にはドイツでも革命が起こりました。このドイツ革命は、ローザ・ルクセンブルクらの暗殺によって収束し、不徹底なものに終わってしまいましたが、その後成立したワイマール共和国の憲法では、初めて生存権の保証が掲げられました。(1919年)

 次回からは、この第25条について、それに関わる判例を紹介していきたいと思います。(鈴)

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