薔薇色ファンタジー★ヴェルヴェットの小部屋

色褪せぬ美しきもの・映画・音楽・文学・絵画等。ヴェルヴェット・ムーンのサブchouchouの偏愛日記です。忙中有閑♪

『エコーとナルキッソス』  ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス

2007-11-18 | 文学・詩・絵画
またもやジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(JOHN WILLIAM WATERHOUSE)の大好きな絵を選んでしまう。1903年の『エコーとナルキッソス(Echo and Narcissus)』と題されたもの。私は音楽、中でもとても歌う方々のお声に様々な魅力を感じてしまう。自分で歌うことは苦手なので耳を傾かせては心癒されたり、ときめいたり、考えさせられたり...と。今もまだまだこの魅せられし心の漂流は続く、きっと死に至るまでのようにも...そして、ナルキッソスというと美少年の代名詞でもあり、私が好きな少女漫画から映画、音楽、文学や絵画...もうあらゆる中で遭遇するというのか、”好き”な世界に欠かせないもの。自分善がりで狭い私の好きな世界のことだけれど。

『ナルキッソス』というカラヴァッジオの作品も好きなのだけど、この『エコーとナルキッソス』はとても思い入れの強いもの。どちらも欠かせないものだから。エコーはお喋り好きのニンフ。しかし、ユノに恨まれてしまった。ユノはユピテルの正妻で最高女神ともされている、ギリシャ神話のヘラと同一視することもできる、ややこしいけれど、ユピテルの姉というお話もある。このユノは結婚生活や出産を司る女神として信仰される一方、とても猜疑心が強く嫉妬深い性格でもあった。エコーはユノにより、話しかけられる最後の一言を繰り返す意外は口が聞けなくされてしまう。そんな彼女が美少年ナルキッソスに恋焦がれてしまうのだけれど、お可哀相に愛の言葉が出ない。彼女の心中はさぞかしもどかしくお辛かっただろう...。そんなエコーが近づくと少年は逃げてしまった。絶望したエコーの体は消え失せてしまい声(山彦)のみとなる。神は冷酷なナルキッソスに罰を与える。水に写る自らの姿に恋をするように...それは決して実らぬ報われない恋。彼の涙が水面に落ちその像をかき乱す。やつれた彼は水鏡に別れを告げる、「さようなら」...と。それを見ていたエコーの声が森に響く、「さようなら」...と。力尽きたこの美少年は死して水仙(ナルシス)のお花に姿を変えた☆悲しくも美しい...どうしてもこんな世界が大好き!

『オルフェウスの首を見つけるニンフ達』 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス

2007-11-07 | 文学・詩・絵画
大好きな英国画家のおひとりである、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(JOHN WILLIAM WATERHOUSE)の1900年の作品『オルフェウスの首を見つけるニンフ達(Nymphs finding the Head of Orpheus)』。セルジュの歌詞の中に出てきたのでこうして連想されてゆくことを気ままに綴っている。少女漫画で『オルフェウスの窓』(池田理代子さま)やジャン・コクトーやマルセル・カミュの映画なども浮かぶけれど。神話や妖精の世界は文学から絵画や映画、音楽、甥っ子達の楽しんでいるゲームの世界にも表れていたりするので、とても愉しい。

オルペウス、オルフェウス、オルフェ。エウリュディケ、ユーリディスは表記が違うけれど同じ。「オルフェウス伝説」のお話は最終的には冥界(黄泉の国)でふたりは幸せに暮らすというようなもののようだけれど、其処にゆくまでのオルフェウスは壮絶!ギュスターヴ・モローの美しい絵『竪琴でオルフェウスの首を運ぶトラキアの少女』も浮かぶ。詩や音楽の名手であるオルフェウスは毒蛇に噛まれて死んでしまった愛する妻エウリュディケを返してほしいと、冥界の王プルートに懇願する。王は”決して後ろを振り返ってはならぬ”という条件付きでふたりは露にけぶる冥界の坂道を登っていた。しかし、あともう少しというところで、妻が付いてきているかと心配になったオルフェウスは後ろを振り返ってしまう...妻エウリュディケはまた冥界にのみ込まれてしまった。その後のオルフェウスは一切女性に興味を示さなくなり、怒りに狂ったトラキアの女たちに八つ裂きにされて死を迎える。エウリュディケはトラキアの美しいニンフでもあったので、この辺りは女性の嫉妬や怨念のような恐ろしさを垣間見ることができる。不幸なオルフェウスはもう美しい音色を奏でることはできなくなった竪琴と共に流れ、ニンフ達が見つける様を描いたもの。湿った背景の色合いは冷たく少し怖いけれど、ふたりの可憐なニンフ達の面持ちや雰囲気がとても美しくて大好き。さぞかし、驚いたことだろう!こういう世界がずっと大好きでたまらない☆

ポプリ:POT-POURRI (英国の古き良き香り)

2007-11-05 | ノスタルジー・メモ
”ポプリ”は今ではとてもお手頃な価格で様々な芳香を楽しむことが出来る。私も好きなのでいくつかの箇所に置いたりして使用している。特に薔薇の香りが好き。そもそも、この”ポプリ”は中世以来、疫病に対する効果的な予防法がなく、衛生のためにも消毒法が無かった時代において、装飾や香りの楽しみのためというよりも、悪疫を退け、不快な匂いを撃退するという実用的な(あるいは医学的)目的に供されていたもの。ドライ・タイプのものやペイスト・タイプのものも活用されていた。また、ポプリを円形の小さな容器に詰め、首やベルトにかけるポマンダーは、当時の女性の広がったスカートの下のフープに吊るすなどと活用されていた。バラやハーブなどによる室内香としてポプリはエリザベス1世時代(16世紀)に遡る。かのシェイクスピアも愛用者であり、その歴史がヴィクトリア朝時代には普段の生活にすっかり定着するようになり、果物を混ぜたものなども病室に置いたりして香りが癒しの役目を担ってきたのだと思うと、自然の香りたちと共に人間は歩んできたのだと感謝のような気持ちを好きなポプリたちを見つめて思う。

上の写真のように、この時代は乳鉢で香料をすりつぶす力仕事はそのお家のメイドのお役目。そして、”いかがでしょうか?”と奥様にその香りを嗅いで頂くというもの。でも、次第に労働者階級の人々たちの生活にも浸透してゆき、今日では世界中で様々な形状のものや用途に使用されている。香りとはとても大切なものだといつも感じているので、このような長い歴史の知恵の尊さを思う。