薔薇色ファンタジー★ヴェルヴェットの小部屋

色褪せぬ美しきもの・映画・音楽・文学・絵画等。ヴェルヴェット・ムーンのサブchouchouの偏愛日記です。忙中有閑♪

『クリノリン・スタイル』に魅せられて想う

2007-05-19 | 好きな映画
何が最初だろうか...クリノリン・スタイルのお衣装を知ったのは。勿論、その言葉を知るのはずっと後になってからのこと。でも、おそらく最初に”綺麗だなぁ~♪”と思ったのはヴィヴィアン・リー扮するスカーレット・オハラだと思う。あの大きく広がった長いスカート。ヴィヴィアン・リーはとてもお美しい女優さまで、この映画『風と共に去りぬ』(1939年)のお話や映像全てが素晴らしいという前提でのことながら。大好きなデボラ・カー扮するアンヌが『王様と私』(1956年)の中で身につけたお衣装やユル・ブリンナーとの舞踏シーンは圧巻の華麗さ。色彩も美しいけれど、やはりクリノリン・スタイルのスカートが強烈な印象だった。現在だと機能的ではないのでお芝居や映画などのお衣装として拝見できる位の用途だろう。色々、どうしても映画が浮かぶのだけれど、あの中はどうなっているのかな?と思ったものだ。何枚ものスカートを重ねているのだろうか?とか、色々考えてみたものだ。

エリザベス・テイラーの『愛情の花咲く樹』(1957年)の中で、クリノリンを装着するシーンがあった。私は別にファッション研究するわけでもなく、美しいと思うものに興味を抱くのみ。大した知識もないけれど、疑問が少し解けた時は嬉しい。そして、少しだけ調べてみるとこのスタイルが発達したのはヴィクトリア朝時代だった。道理で気になる訳だと一人で納得する(この時代に固執しているつもりは全くないけれど、自然と好きなものがあまりにも多数存在する時代だと気づいたのでその濃厚さをもう少し知りたいと思うだけ)。1850年代後半の画期的な異変と言われている、このクリノリンの発達。それ以前の重いペティコートを幾重も身につけることなく、簡単にスカートを広げることが可能となったのだから。馬毛(crin)を織り込んだ硬い麻布(lin)という言葉が由来。1860年代以降は形が変わって行くけれど、そのような流れは今日までの歴史の流れなのだと思うと面白い。当時のそのドームのように丸く広がった長いスカートの裾から火事や事故が続出したと言われている。その様な事態は安易に想像できる。でも、憧れる。

バブル期にぬくぬくと育った者ながら、ますます進む機能重視な現在があまり居心地が良くない。便利な時代でこうしてパソコンに向かって想いを綴ったり、漢字の変換も簡単だということも有りながら、未だにメモ帳というのかノートに書き留める癖は続く。検索をパソコンでもするけれど、辞書や古い雑誌や本の頁を捲る作業が好き。鉛筆と消しゴムも絶対に机に欠かせない。なんだか、時代に取り残されていくようだけれど、別に気にしない。元々、トレンディという言葉が好きではなかった。アンティークという言葉の方がずっと好きだった。故に流行には今も全く疎い。母の洋服箪笥のレトロなスタイルのスカート・スーツを羨ましく思ったりもした。勝手に着たりしてみたものだけれど、サイズが違ってしっくりしないので、サイズ直しをお願いして、頂いた若草色のミニのワンピース・スーツを想い出す。母は洋裁を晩年までしていたので、いつも古い足踏みミシンが鳴っていた。針仕事が長かったので40代以降は肩と腕を悪くしていたようだった。母の形見として残している針山と使いかけの糸や指貫などの道具たちは、高価なものではないけれど出来ればずっと一緒にいたい、父の愛用のハンカチや最期の年の手帳と共に。ロマンス映画が大好きだった母の面影と、私の年の重なり毎に結びつく美しい古い映画たち。ヴィヴィアン・リーやエリザベス・テイラーの美しさ、素晴らしさにようやく私の心が溶け込むように感じている...そして、まだまだ青いと我ながら苦笑する。穏やかなノスタルジー。

※5月に『ヨーロッパの憂愁庭園』に綴ったものの追記です。デボラ・カーが先月10月16日にお亡くなりになられたと知りました。気品に溢れたお美しいお方で大好きでした...ご冥福をお祈りいたします。

『プシケの結婚』エドワード・バーン=ジョーンズ:EDWARD BURNE-JONES

2007-05-15 | 文学・詩・絵画
エドワード・バーン=ジョーンズ(Edward Burne-Jones:1833~1898)の1895年作品の『プシケの結婚』(数ある好きな作品の中から追々)。この『プシケの結婚』はローマ・ギリシャ神話からのもの(他の作品もある)で、私はこのお話がとても好き。美しいプシケは三人姉妹の末娘。美の女神であるアフロディーテ(ギリシャ神話では。ローマ神話ではヴィーナス)の息子クピト(キューピットともエロスとも呼ばれる)、プシケの姉たちも絡んでのロマンティックかつ少し残酷ながらも美しい物語。

ある日、美の神アフロディーテは人々がプシケの美しさをあまりに讃えることに嫉妬し、プシケが醜い豚飼いに恋をするようにと息子のクピトに命じる(愛の神であるクピトは彼の矢で人を射ると、自由に人に恋をさせることができた)。ところが、命令を受けてプシケに近づいたクピトは、眠っているプシケのあまりの美しさに驚き魅せられてしまい、思わず自らの胸を矢で傷つけてしまう(素敵~♪)。こうしてプシケに恋をしたクピトは、自分の姿を決して見ないこと、暗闇の中でしか会わないことを条件に彼女と結婚し、宮殿に匿う(神と人間が結婚した場合、神は自分の姿を見られると、それを見た人間はタダゴトでは済まない故)こととなる。

ところが、ここでプシケの姉たちの悪仕掛け。幸福なプシケの結婚生活に嫉妬した姉たちが「クピトはもしやすると、とても恐ろしい怪物なのではないかしら」と告げる。その言葉に疑念を持ってしまったプシケは、夫クピトの真の姿を見たい衝動を抑えられなくなり、ある夜、夫が眠っている時に蝋燭の灯を点し、ついに夫の姿を見てしまう。するとどうでしょう!!その夫クピトは今までに見たこともないような美しい青年なのだった。プシケは夫の言葉を信じず、彼の姿を見てしまったことを後悔する。心を傷つけられたクピトは”信頼のない所に愛は存在しない”という言葉を残し彼女の元から姿を消してしまう。どうしてもクピトの許しを請いたいプシケは自ら美の神アフロディーテの許へ赴き許しを請うが、アフロディーテは苛酷な試練をプシケに課す。しかし、プシケは見事に耐え抜き、晴れてアフロディーテからもクピトの妻として認められ、夫との結婚生活を取り戻し、さらに神々の一員として迎えられる。という、何とも美しくも健気な乙女の姿に感涙してしまうお話。

私の場合、もうラファエル前派(大きな範囲での)は格別大好きなものなので、好きな作品群は膨大な数になる。題材となるものも神話やロマン派の詩人たちの作品も多いのも要因のひとつだと思う。一時期神話ばかり読んでいた時期があったけれど、最近は忘れてしまっていることも多い。なので、こうして好きな世界を綴ると思い出せたり、再発見できたりしてかなり楽しい。

『白薔薇(白いバラ)』 ベルト・シルヴァ:BERTHE SYLVA(1925年)

2007-05-05 | 好きなシャンソン
1925年録音のベルト・シルヴァ(Berthe Sylva)のシャンソンの名曲の一つ。『白いバラ』としての表記の方が有名なのかもしれない。今日まで多くのシャンソン歌手の方々が歌い継いでいるけれど、クレシオン(創唱)はこのベルト・シルヴァ。私は世代的にロックやポップス(時に前衛的な音楽も)に慣れ親しんでいる。しかし、これまた母の影響で”シャンソン”という音楽を知る。世紀の大歌手エディット・ピアフが大好きな方だった。ところが、私は当時は(失礼極まりないけれど)ピンと来ず、バルバラやブリジット・フォンテーヌに傾倒していった(今も大好き)。次第にロックやフレンチ・ポップスと同時にシャンソンを聴くようになり今日も変わらない。日本では”シャンソン”と”フレンチ・ポップス”と区別された扱いながら、本来はフランス語で歌われる歌全般(Chanson de varietes)”歌謡”のこと。私のような世代だと、レトロなフランス歌謡をシャンソンと感じるのは仕方のないことかもしれない。”シャンソン”と言えどもいくつかの種類があり、音楽評論家の方々によってもその分類は様々である。この『白いバラ』はシャンソン・レアレストの名曲で、フランスで愛され続け、最も美しいシャンソンの1位に選出(1980年)されたそうだ。

『白薔薇(LES ROSES BLANCHES)』

 それはひとりの小さな パリの少年の話
 その子の身よりといえば母親だけ
 年若く、貧しいその母親は
 悲しみと不幸に沈んだ 大きな瞳をしていた
 彼女は花が大好きで
 ことに、薔薇の花を愛していた
 いたいけなその少年は日曜日ごとに
 自分のほしいものを買うかわりに
 白い薔薇の花を母親にもっていった
 やさしく彼女にだきついて
 花をさしだしながら
 「今日は日曜日だから
 はい、ママン
 大好きな白い薔薇の花だよ
 ぼくが大きくなったら
 花屋に行って
 白い薔薇の花を全部買ってあげる
 大好きなママンのために」

 去年の春
 突然運命はやってきて
 ブロンドの髪の働き者をおそった
 彼女は病に倒れ、そして少年は
 母親が病院に連れて行かれるのを見た
 四月の、とある朝のことだった
 行き交う人々にまぎれて
 体をふるわせながら
 市場に立っていた
 一文無しのあわれな少年は
 すばやくひとつかみの花を盗んだ
 花売りの娘が驚くと
 少年はうなだれて言った
 「今日は日曜日だから
 ママンに会いにいくところだったの
 ぼくはこの白い薔薇の花をとったよ
 ママンが好きだから
 小さな白いベッドの上で
 ママンはぼくをまってるの
 ぼくはこの白い薔薇の花をとったよ
 ぼくの大好きなママンのために」

 心動かされた花売りの娘は
 やさしく少年に言った
 「その花をもっておいきなさい、あなたにあげるわ」
 彼女が少年にキスをすると、彼はかけだした
 人々は晴ればれとした顔で少年を許した
 そして少年は母親に花をあげるために
 病院に走ってやってきた
 するとそれを見たひとりの看護婦がいった
 「あなたのママンはもういないのよ」
 小さな少年は白いベッドの前に
 くず折れるのだった
 「今日は日曜日だから
 はい、ママン
 大好きだった 
 白い薔薇の花だよ
 空の上の
 大っきなお庭に行くんだったら
 この白い薔薇の花を
 もっていくといいよ...」

訳詩:中島三紀 『薔薇色のゴリラ』より


私がこのベルト・シルヴァの歌声を知ったのはフランスのレコード屋さん。90年代の初めのこと。やたらと編集盤など沢山見かけるので安かったのでジャケットの気に入ったものを数枚買って帰った。そして、何だかその歌声に興味を持った。塚本邦雄氏の『薔薇色のゴリラ』という本が好きでその中にこの曲の事も書かれていた。そして、訳詩も載っていて感動した、とても。優しく美しい心に胸を打たれる。これは歌(詩)、でも、ひとつのドラマが描かれている。今の流行歌にはない美しさ。なので、こういう古いシャンソンが好き。このような気持ちは映画を観ても感じることだし、常に思うこと。だからと言って今を生きる私は懐古主義一辺倒に陥ることもなく、好きだと思うものに触れ、それらを堪能し喜ぶ。”温故知新”。私の生活の中で私が生きるためにいつまでも大切にしていたい。

『つれなき美女』 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス

2007-05-03 | 文学・詩・絵画
ラファエル前派の画家や作品を好むようになりもう随分経つ。最初に買ったのは雑誌の特集号だった。まだ高校生でお小遣いから高価な画集にはすぐに手が届かないのだった。一纏めに”ラファエル前派”と言っても様々。中でもとても好きな画家のお一人はジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(JOHN WILLIAM WATERHOUSE:1849~1917)。数ある好きな作品を追々。きっと、そうする中で何か自分自身でも分からない求めるものや愛するものがさらに色濃く浮かび上がってくるだろう。

このようなお話は英国が中心となる。そして、時代はさらに遡るのだけれど、どうしてもシェイクスピアが好き。19世紀末と時代を決めても色々と継承され影響されている。なので、時代が遡るお話になることも多分に。このウォーターハウスの絵は『つれなき美女』(1893年)として有名なもの。題材となるのは同じく英国のロマン派詩人のジョン・キーツ(John Keats)の『つれなき乙女』で、18世紀末から19世紀初頭、僅か25歳で肺結核のため他界してしまった、今はローマの墓地に眠る詩人の作品から得られている。『La Belle Dame Sans Merci』と題された作品故、美女の部分が乙女や女や貴婦人や非情な女...などとも呼ばれるもの。美しいがとても怖い魔性の魅力で騎士を誘惑する。このウォーターハウスの絵でも長い髪が騎士の首に巻き付いている。でも、表情はとても可憐で美しい。故に”宿命の女(ファム・ファタル)”の代名詞でもある。このキーツの詩を基に描かれた作品はウォルター・クレーンなども有名、私は『つれなき美女』ではウォーターハウスのこの絵が他のラファエル前派の画家達のものよりも一等好きなもの。