母の膵臓癌日記

膵臓癌を宣告された母の毎日を綴る

母の病気経過帳より (8)

2010年01月19日 10時12分46秒 | 日記
「21年10月10日(土)
朝の目ざめは最高によかったがオキシコンチンを5時ごろ飲まずに8時に飲んで
T医院にM先生の紹介状を出しにいったら背中が痛くなってきたので
11時30分頃にオキノームを飲んだが夕方5時近くなってもすっきり痛みがとれない。どうしたらいいのだろう
昨日は薬ばかり飲んだ どうしてあんなに腰やお腹が痛かったのだろう 抗癌剤が変わったのかしら
10時頃から腰とお腹が痛くなりオキノームを飲んでもだめ お昼にオキシコンチンを飲んでもダメ
腹がはってきたので下剤を飲むがきかない。夜の食事もとれず痛みは増すばかり
次にカンチョウ(イチジク)をしたけれど多くは出なかった。
しかたなく睡眠薬を飲んで寝たが1/2ではだめでまた1/2結構1錠飲んで寝たら朝はすっきり目がさめました
今はどうなるのだろう心配

21年10月11日(日)
今日は朝から気分が良くない
玉子焼の臭いで吐き気が来てしまった 嘔吐はなかった
1日食事がとれず眠く気分の悪い日だった
夕食前にオキシコンチンから食後の薬皆飲んでしまった 明日朝は早めにオキノームを飲む
4時30分ごろ大便が水のように出て失敗してしまった
みぞおちの所が少しつれるように痛む

21年10月13日(火)
今日1日吐き気と嘔吐になやまされた。
何も食べたくなく においで吐き気がしてくる
今日SS銀行・S銀行・Nさんが来た S(銀行)さんはもう少し考える事にして帰ってもらう
Nさんが来てガンでも抗癌剤をしないでも元気にしている人の話を聞いたが自分もそうしたいと思うが勇気がない。もう少し考える事にしよう。

21年10月14日(水)
垣根刈り屋さんくる G会の人達も来てはげましてくれた またやる気が出た

21年10月15日(木)
今日は最悪の日 朝から気分悪く午後出かけたが精神不安定になり胸がドキドキして1人で歩けなくなってしまった
家に帰り安定剤をのんだら落ち着いた

21年10月16日(金)
今日は抗癌剤を休み水分だけの点滴にしてもらって帰って来た

21年10月17日(土)
相変わらず食事はとれない」




抗癌剤の2クール1回目を終えた後副作用がさらに増し、体力気力の限界に来る。
実際には抗癌剤の副作用は処方してから4日間くらいで消えるはずであって、進行した癌から来る症状も悪化しているのだが
本人にはそのことを伝えていないので辛い症状をすべて抗癌剤のせいと決めこみ
抗癌剤を止めたい、でも止めると病気が悪くなる、のジレンマに苦しむ。

このころ、母が何度か口にした言葉が

「生きるのも大変だけれど、死ぬのも大変なのね」

私はこれとまったく同じような言葉を20年前に聞いたことがある。
それは父方の祖母が胃癌の末期で入院していたときだ。
祖母はお見舞いに行った私を「Sちゃん」と手招きして近くに呼び寄せ
「私はね、死ぬまでにこんなに大変だと思っていなかったの」と寂しそうな微笑を浮かべながら言った。

祖母も母も決して楽な人生を送ってきたわけでなく、戦争やその後の激動の時代を苦労して乗り越えたきたのに
人生の終りにまで予想もしない苦しみが待っていたとは。
母は自分の体に起こった不測の状態を受け止めきれずに「どうして、どうして」と最後まで自分に、周りに疑問を投げかけていた。

私もこのことを思うと「生きる」ことの意味を考えずにはいられない。



  近  況   

先日、以前勤めていた百貨店の同僚二人と久しぶりにランチを楽しんできました。
そのうちひとりの友達(Fさんアナタのことですw)は待ち合わせ場所で会うなり
「会ってみたら意外に爽やかでブログの感じと全然違う!」
「ブログを読んでいたらなんて言って良いかわからなくてコメントも書けなかった。」
と言われました。
そう言われてブログを読み返すと確かに、いつまでも母の死から立ち直れず重く暗い毎日を送っているように見えます。
記憶を整理しながらブログに記す作業の中では母の闘病中の悲しいことが蘇って胸が痛くなるのですが
その他は以前と同じ1ワンコと2にゃんこに振り回される私らしい日常を取り戻しています

父も、家族みんなに心配されていたように閉じこもることもなく
庭の手入れをしたり散歩に行ったりして父なりに健康的な生活を送っています。

心配してくださった皆さん、ありがとうございます。私は元気です。



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