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競馬のスポーツとしての魅力や、感動的な人と馬とのドラマを熱く語ります。

眼を逸らさずに

2007-01-30 23:44:35 | 心に残る名馬たち
昨年、米国クラシックでは一頭のスターが誕生した。
無傷の6連勝でラン・フォー・ザ・ローゼスを制覇。
後続につけた着差は実に6馬身半。
大楽勝だった。

その強さに人々は28年ぶりの三冠馬誕生を確信した。
また、デビューからの3戦は芝で圧勝していたこの馬。
秋には凱旋門賞に挑戦という、とてつもないプランも噂されていた。
彼は世界の競馬ファンの夢となった。

そんな人々の思いを乗せたトリプルクラウンの第2戦。
彼はゲートに納まりスタートを待っていた。
だが、前扉が開く前に彼はゲートを破り飛び出してしまう。

直ぐに捕まえられて大事には至らなかった。
その後の馬体チェックも問題無かった。
ただ、スタート地点へ戻るとき鞍上は頻りにトモを気にしていた。

再スタートは全馬揃ってゲートを出た。
彼は徐々に内に切れ込み中団馬群にポジションを取ろうとする。
その時だった。

騎手が手綱を引いた。
彼は頭を上げズルズルと後退する。
そのまま、競争を中止した。

右後脚球節脱臼、及び数箇所の粉砕骨折。
通常ならば即時に予後不良と判断される。
極めて重度な故障を発症した。

人々は彼を助けたいと願った。
手術は5時間以上にも及んだ。
20本以上のボトルが埋め込まれた。

手術は無事に終了した。
だが、それでも彼の命はコイントスだといわれた。
表か裏か、つまり五分五分。
常に予断を許さない状態だった。

それでも彼は耐えた。
暴れることも無く。
運命に身を委ねるように。

その後、彼は順調に回復していった。
自分の脚で立ち、外で青草を食むことができるくらいに。
彼の未来に光が差して来たかに思えた。

だが、結局力尽きてしまった。


事故から8ヶ月。
この間、彼は幸せだったのだろうか。
苦しませただけだったのだろうか。
所詮、人間のエゴだったのだろうか。

私には分からない。
分からないが眼を逸らしたくはない。
全てを受け止めて行きたい。

それが競馬だから。
私の大好きな競馬だから。

将に来らんとす

2007-01-21 19:05:49 | 心に残る名馬たち
未来という言葉には非現実的な響きがある。
未だ来ず、いつまでたっても来ない。
だからそれを想像してもどこかピンとこない。
では、将来という言葉ならどうだろう。

幼き頃は夢に溢れていた。
学生時代は不安に満ちていた。
大人になった今はどうだろう。
将に来らんとする、その時はどうなっているだろう。

そんなことを考えたのはある馬を思い出したから。
将来を期待されていたあの馬を。

父は日本の血統図を塗り替えたスーパーサイアー。
母は樫の女王で姉は年度代表馬に輝いた歴史的名牝。
彼は生まれながらにして期待を集める超良血馬だった。

それに応えるように彼はデビュー戦を飾った。
その後も順調に勝ち進み無傷の3連勝を挙げた。
主戦のトップジョッキーは最大級の評価を与えていた。
私もクラシック候補以上の夢を見ていた。
その大きさは後に英雄と呼ばれたあの馬と同じくらいだった。

だが、彼はクラシックで活躍はできなかった。
それどころか重賞勝ちすら挙げられなかった。
更に追い討ちをかける様な度重なる故障。
悪戯に年齢を重ねてしまった彼にはもう往年の力は無くなっていた。
次第に彼に期待する者もいなくなった。
彼はいつの間にか姿を消した。

そんな彼の名前を耳にしたのは今年の正月だった。
九州の地で彼は走り続けていた。
そして、転入3戦目で久々の勝利を挙げた。
しかも、手綱を持ったままでの大差勝ち。
私は第二の馬生で再び栄光に包まれる彼の姿を想像した。
至る所青山あり、などという言葉を思い浮かべながら。

しかし、世の中そんなに甘く無いようだ。
彼は長い間、勝利から見放されていた。
そのため、今回から最下級条件に降級させられていたのだった。
今まで自分と走るはずの無いレベルの相手との戦い。
1着賞金は中央時代の出走手当てにも満たない。

次のレースは同じ条件で僅か11日後。
クビ差で辛くも連勝を挙げた。
僅差で負かした相手も移籍馬。
中央時代は大敗を繰り返した未勝利馬。
そういうローテーションでそういう相手との戦い。

彼がいるのはそういう場所。
そこで今も走り続けている。


私はどこで何をしているのだろう。
今は全く先が見えない。

将に来らんとするその時。
私も走り続けていられるだろうか。
そこがどんな場所だったとしても。

再会

2006-08-30 21:48:20 | 心に残る名馬たち
今日で夏休みが終わる。
最後に私は彼に会いに行く。
私の原点であり忘れられない存在である彼に。

空港から程近い場所にある閑静な地。
そこで彼は暮らしている。
この時期は暑さと虫対策で放牧をしていない。
でも、我々のために一日二回、近くまで来てくれる。
私は自然の空気を吸いながらのんびりと待つことにした。

ふと気づけば彼が歩いてきた。
この閑静な雰囲気に溶け込むように。
穏やかな空気を身に纏い近くに来るまで気配を感じなかった。
彼は涼しげな視線を時折遠くに向けゆっくりと私の前に来てくれた。

彼の前にたちまち人が集まってくる。
皆、彼の姿を写真に収めている。
彼は立ち姿のまま静かに佇んでいる。
今、自分がすべき事を分かっているようだ。

やがて、我々へ体を向け悠然と草を食む。
時折、顔を上げてこちらへ視線を移す。
手を伸ばせば届く位置に彼の顔が近づく。

会いたくてたまらなかった彼。
その彼が今、目の前に居る。
不思議と胸の高鳴りは無い。
ほっとした気持ちで胸が満たされて行く。

あっという間に時が過ぎ彼が帰る時間になる。
彼がゆっくりと来た道を歩いて行く。
現役時代と変わらぬ雲の上を歩くような足取りで。
別れが惜しいとか哀しいという気持ちは沸いてこない。

彼はここに居る。
私の中にも居る。
これは別れでは無い。
心からそう思える。

彼の姿が遠ざかって行く。
少しずつ彼が小さくなって行く。
私は彼が見えなくなるまで見つめていた。
いつまでもいつまでも彼の背中を見つめていた。
彼の姿が見えなくなっても。
いつまでもずっと。


つかの間の休息が終わろうとしている。
私は何を求めてこの地に来たのだろうか。
私はこの地で何を得たのだろうか。

それは帰らなければ分からないのだろう。
旅の最後は必ず帰ることなのだから。
帰る場所があるから旅立てるのだろう。
終わりの無い旅では先が見えないのだから。

私は自分の場所に帰る。
今、自分の居る場所に。
例え自ら望んだ場所で無くても。
その場所に居るということが今の自分自身なのだから。

帰ってからは自分の場所を探し続けるのだろう。
見つかるのかは分からない。
初めから存在しないのかも知れない。
それでも私は探し続ける。
自分の帰る場所を。

顔を上げ前へ

2006-08-20 01:07:30 | 心に残る名馬たち
突然の不幸。
そのとき私は何も考えられなくなる。

悲しい。
寂しい。

そんなことも感じることができない。
ただただ真っ白になる。

しばらくはその出来事を受け入れることができない。
とにかく意味がわからない。

居るべき場所に居るべき存在が無い。
そんなときにようやく喪失感を覚える。


この秋、短距離のレースを見る度に彼女を思い出すだろう。
彼女のライバルが活躍する度に思い出すだろう。

でも、やがてそんな痛みも小さくなっていく。
やがて、寂しさは懐かしさに変わる日が来るだろう。

それで良いんだと思う。
いつまでも下を向いていては彼女に対して失礼だと思う。
彼女は前を向いて次の戦いの準備をしていたのだから。

時は経てば彼女のことを知らない人たちが現れるだろう。
そんな人たちに私は笑顔で語りたい。

すばらしいスピードを持っていた勝気な彼女のことを。
顔を上げ前へ前へと進みたがった彼女のことを。

恒久の輝き

2006-08-17 23:21:01 | 心に残る名馬たち
彼女は私の前に突然現れた。

初めて見たのはクラシックの前哨戦だった。
折り返しの新馬戦を勝っただけの彼女のことは知らなかった。
いきなりの圧勝劇には驚いてしまった。
そして、瞬く間に2冠を制し、あっという間に頂点まで上り詰めた。
突然現れた彼女は短い期間でとても気になる存在になった。

意識した瞬間に彼女は私の前から居なくなった。

休み明けで挑んだ3冠目は同じ名を持つ馬に敗れ去った。
その後も頂点を極めたときの走りを見ることは無かった。
やがて、彼女の姿を見かけなくなった。
彼女はいつの間にか母親になっていた。


月日は流れ私は彼女のことを忘れていた。
そんなときに、再び彼女は私の前に現れた。
そして、いきなり母としても頂点を極めてしまった。

突然現れて、また目の離せない存在になる。
彼女は母親になっても変わらなかった。


そしてまた、彼女は私の前から姿を消した。


私はもう彼女のことは忘れないだろう。
彼女の血を引く馬が走るたびに思い出すだろう。

だが、世の中に普遍なものなど無い。
いつか彼女の血も途絶える日が来るだろう。
いつの間にか彼女の記憶が薄れてしまう日が来るだろう。

見上げた夜空には星など見えない。
でも、夏の夜空の一等星の輝きは変わらない。
私には見えなくてもきっとどこかで誰かが見ている。

彼女が残した足跡も変わることは無い。
私が忘れたとしてもきっと誰かが覚えている。
そうして語り継がれる限り彼女とはまた巡り会える。

きっとまた突然彼女は現れるのだろう。
いつまでも変わらぬ輝きを放ちながら。

我慢強い馬

2006-08-14 00:13:50 | 心に残る名馬たち
先日、日本の英雄が仏国へ旅立った。
世界の頂点を掴むために。
日本の悲願を達成するために。

日本馬が初めて最高峰へ挑んだのは37年前もの昔。
ジャパンカップが創設される12年前の話。
挑戦したのはいつも寂しそうに空を見上げている馬だった。

彼は脚ばかり長く痩せていた。
神経質で女性的なひ弱な感じだった。
そして、とても我慢強い馬だった。

晩成な馬だったのだろうか。
初めて大レースで好走したのは菊花賞。
際どいハナ差の2着だった。
4歳の春に本格化し、天皇賞を含む重賞5連勝を成し遂げる。
その勲章を胸に秋に米国の国際招待レースに挑んだ。

過去にこのレースに参戦した馬は2頭いた。
だが、何れも勝ち馬から30馬身以上も離された大敗を喫していた。
そもそも、日本馬の海外遠征自体、数えるほどしか例の無い時代。
ノウハウも無く、現地で調子を維持することすら難しい。
それでも彼は勝ち馬から8馬身差の5着で走り抜けたのだった。
なれない環境の中で彼の長所、我慢強さが生きた結果なのだろう。
だが、その代償は大きく帰国してからしばらく連敗が続いた。
休養して立て直すこととなる。

5歳秋を迎えた彼は立ち直り3連勝を飾る。
その走りは陣営の海外挑戦への想いに再び火を点けた。
6歳の夏、欧州への長期遠征が決まった。

2度目の旅は最初から順調では無かった。
飛行機の乗り継ぎ地でストに巻き込まれ3日の立ち往生。
ようやく現地にたどり着いたところでの熱発。
それでも彼は全てのトラブルを我慢した。

迎えた初戦のキングジョージ、道中は2番手を進んで行った。
そのまま直線では逃げ馬を交わし先頭に踊り出た。
直線半ばまで先頭に立ち続け一瞬あわやと思わせた。
結果は5着だったが欧州の聖域に敢然と立ち向かった。
その後30年に渡りこの路線でここまで勝負できた馬は居ない。
それを鑑みればこのレースは歴史的好走だったと言えよう。
しかし、本場欧州の壁は厚く凱旋門賞では辛酸を嘗めたのだった。

欧州で我慢し続けた彼は精根尽き果ててしまう。
帰りの飛行機ではほとんど物を口にできないほど疲れ果てた。
陣営は彼の引退を覚悟したと言う。

しかし、彼は蘇った。
放牧で何とかレースに使えるまで回復し、その体で有馬記念を制した。
その年の菊花賞馬の猛追をハナ差我慢したのだった。

7歳になった翌年も走り続けた。
日本での国際招待競争の設立の話があり、それに出走するため。
結局、それは実現することは無かった。
それでも彼は走り続け、史上初のグランプリ連覇を達成した。
そのレースも前年と同じ相手の猛追を我慢してのものであった。
そして、年度代表馬の勲章を胸に現役を引退したのだった。


彼は2度の海外遠征に耐えた。
だが、限界を超えた我慢に調子を崩した。
それでも彼は蘇った。
きっと放牧先の牧場で空を眺めていたんだろう。
それでまた我慢する心を取り戻したのだろう。

神経質で色々気にしてもいいじゃないか。
鈍愚で何も見えないようなずうずうしさよりはましなはずだ。
ただ、少しだけ我慢すればいいんだから。
そして、我慢できなくなったときは空を見上げよう。
彼も眺めたあの空を。

2006-04-06 00:18:50 | 心に残る名馬たち
あるニュースにより私は考えさせられている。
そして、必ずある一頭の馬が思い浮かぶ。

小雪舞う京都競馬場。
目標を海外遠征に定めた現役最強馬が疾走している。
地元へのお披露目の意味も込めた壮行レース。
66.5キロの酷量をものともせず。
楽々と淀の坂を越え。

下りでは早くも先頭に並びかける。
やがて勝負どころの4コーナー。
誰もがここからの圧勝劇を予感させた瞬間だった。
立ち上がるように左の後肢を落とす。
そして、重心を失い走るのを止めてしまう。

左第三中足骨開放並びに第一趾骨複骨折。
即座に予後不良の診断が下された。

サラブレッドはあの細い脚で約500キロの体重を支えている。
一本でも欠ければその負担は残った脚に圧し掛かる。
やがて、蹄が異常をきたし腐敗して行く。
その痛みの中、苦しみながら死を迎える。

四本の脚で立てなくなった馬にはそんな運命が待ち構えている。
故に助かる見込みの無い怪我を負った場合は安楽死の処置が施される。

だが、この馬はそうはならなかった。
何とか命だけは助けて欲しい。
そんな関係者・ファンの願いが届いたのだ。
そして、史上空前の体制による大手術が行われた。

それから闘病生活が始まった。

手術は無事成功したが予断は許されない。
患部が悪化したり術後の苦しみに耐え切れない。
それで助からなかった例は数え知れない。
傷が癒えるまで三本の脚が持ちこたえられるのか。
それは誰にも分からない。

この馬は術後の激痛に暴れた。
自由にならない体に苛立った。
三本の脚で体を支えるのに疲労しきっていた。
食事もままならず体重は見る間に減って行く。

やがて、最悪の事態を迎える。

恐れていた蹄への病の発祥。
次第に体は日に日に衰弱して行く。
立っている事もままならない。
横になり涙を流すようになったと言う。

そして、闘病生活43日目。
ついに力尽きる。

その体は300キロまで痩せ細り。
苦しみの中、四肢を痙攣させて。
死因は衰弱性心不全。
最期まで安楽死の処置をされることなくこの世を去った。


安楽死処分。
残酷に聞こえるその処置。
だが、それで苦しまずに逝かせてあげられる。

一縷の望みに掛けて命を永らえる。
愛する人たちの願いを込めて。
だが、それがどれだけの苦しみを与えるのか。

どちらが正しいのかは未だに分からない。
いや、正解なんて恐らく無いのだろう。

もし、自分がどちらかの決断を迫られたとき。
私はどんな選択をするのだろうか。

芦毛の最強ステイヤー

2006-04-03 22:22:46 | 心に残る名馬たち
私の競馬の原点。
この馬のことを考えるとそんな言葉が思い浮かぶ。

私が初めて観たレースは競馬界の祭典。
皇帝の息子が父の足跡を追うように圧勝したあの場面。

次に観たのがこの馬の圧勝劇。
いや、幻の勝利だった。

泥んこの馬場を力強く抜け出し、後続をどこまでも突き放す。
実況では「強すぎると」言われたその走り。
ここで初めて降着という言葉を知ったのだった。

その後も世界を相手に決め手の無さを露呈したレース。
思いも寄らない伏兵に脚元を掬われたグランプリ。
古馬の最強とはこんなものかと思ってしまった。

その翌年の春の盾。
私が初めて観たレースを勝った馬は無敗で駒を進めてきた。
当然私はその馬が勝つことを期待していた。

だが、芦毛のステイヤーはそんな希望を木っ端微塵に打ち砕いた。
3コーナーからスパートしての真っ向からの力の勝負。
堂々とした王者の走り。
史上初の天皇賞・春連覇。
この時、初めてこの馬の強さを思い知った。

それからはこの馬を常に応援し続けた。
距離不足かと心配した復帰戦での持ったままの圧勝劇。
三連覇に挑みながらも関東の刺客に敗れた三度目の盾。
役者が違うと言わんばかりの春のグランプリ。

どれも主役で勝っても負けてもその存在感を示し続けた。

そして、あの世紀の大降着を払拭するための前哨戦。
いつものように競馬の王道とも言える正攻法。
3コーナーからスパートし、4コーナーでは先頭。
直線では後続に影をも踏ませない。
競馬界の主役とはこういうものだと。
言わんばかりに強さのみを見せつける。
そして、それはゴール後に再び思い知らされる。
勝ちタイム2分22秒7。
スタミナだけではないスピードまでもまざまざと見せ付けたのだった。

遅咲きのステイヤーは6歳秋にして完成された。
絶対に今年こそこの馬が秋の盾を制する。
3年越しの雪辱を果たす。
そう思っていた。

だが、秋の盾への追い切り直後。
左前繋靭帯炎を発症。
即座に引退が決定した。

これを聞いたときに私は呆然としてしまった。
心に穴が空いてしまったような。
映画の主役が突然居なくなってしまったような。
とにかく彼の走りがもう観られないのが寂しくて仕方が無かった。

それからは彼の仔に期待していた。
脈々と続く内国産の血。
親子四代天皇賞制覇の夢。
観客に夢と希望を与え続ける。
ターフを去っても彼は私の心の名優だった。

あれからいつの間にかかなりの年月が流れた。
お互いに若いつもりが年をとった。
もう、こんな日が来てもおかしくは無かったんだよね。

ステイヤーという言葉はもはや時代遅れかもしれない。
春の盾の権威も随分と廃れてきた。
それでも君の残した足跡は決して色褪せることは無い。

古き良き時代。
それを懐かしく感じるときはいつも君を思い出すから。
私の競馬の原点は君だから。

見習うべき馬

2006-03-23 23:28:37 | 心に残る名馬たち
先月、1年後の定年を待たずに勇退した調教師が居た。
騎手時代には競馬界最高峰のレースに勝利。
調教師でも裸足のシンデレラを樫の女王に導いた。
そんな彼が最後に出会ったのが無事是名馬。
この言葉が良く似合う馬だった。

丈夫という馬の才能もあったのだろう。
だが、目の前の仕事に真摯に打ち込み大事に使い続けた。
そんな調教師の力なくしてここまでの記録は打ち立てられなかっただろう。

その誠実さ故に勇退も決めたのだ。
健康上の理由で体が思うように動かない。
中途半端な仕事では馬にも関係者にも迷惑を掛ける。
そんな想いから自ら決断したのだった。

その体でも、もうすぐ辞めるのでも、最後まで仕事は休まなかった。
まるであの馬と同じように。
いや、あの馬がその背中を見つめ続けたのではないだろうか。

8年も寄り添った調教師と愛馬。
嫁よりも長い付き合いの気分と師は語る。
騎手、調教師で頂点を極めた馬も記憶に残る。
それでも一番思い出になった馬は最後に出会ったあの馬だと言う。

あの馬が偉大なる大記録を前に志半ばでこの世を去ることになるとは。
なんて皮肉な運命なのだろうか。

死ぬまで走らされ続けた。
記録に挑戦したのは人間のエゴ。
そんな声もあるだろう。

だが、私は彼が幸せだったと思いたい。
速さという才能には恵まれなかった。
その仔を期待されるような活躍は出来なかった。
それでもコツコツと自分のできる仕事をやり続けた。

いつしかそれが認められた。
いつしか彼の走る姿は見る人に勇気を与えた。
彼は応援する人たちの期待を背負い走るようになったのだ。

結果的にはそれが命を落とす原因になったのかも知れない。
それでも彼が不運だったとは思うが不幸だったとは思いたくない。

勇退した調教師が厩舎に行くと、この馬は必ず鳴いたという。
そんな大好きな師の背中を見続けていたこの馬はきっと嬉しかったはずだ。
目の前の仕事に日々真摯に打ち込む。
そんな自分の姿が評価されたことがきっと。

そして、私は見習いたい。
最期まで手を抜かず仕事に打ち込んでいた彼の生き方を。

白砂駆ける女王

2006-03-22 23:39:11 | 心に残る名馬たち
馬場の向こうに広がる有明海。
海の見える競馬場で初めて競争馬の引退式が行われた。

最後にセレモニーを行える馬は一握り。
才能と実力に恵まれた言わば勝ち組のみ。
しかし、彼女はそんな言葉とは無縁の道を歩いてきた。

2歳で中央に登録され華やかな舞台への入り口まで誘われた。
だが、脚元が弱くそこに立つことすら叶わなかった。
そして、たどり着いたのは海の見える小さなステージ。
華やかさとは無縁の場所であった。

この地では自分の弱い脚元と気長に付き合ってくれる人たちが居た。
細心の注意を払い愛情を込めて見守ってくれた。
やがてレースに出ることすら出来なかった馬が先頭でゴールを駆け抜けたのだった。
そして、これまでの恩を返すかの如くこの馬は勝ち続けた。
気がつけば24連勝。
29連勝の日本記録に手が届くところまで来ていた。

残念ながら連勝は途切れてしまった。
それでもこの馬は走り続けた。
やがてその勝ち星は現役馬最多勝記録へと近づいて行く。
しかし、ついに脚元は限界を迎え志半ばでターフを去ることになった。

記録は作ることが出来なかった。
だが、負けず嫌いで常に全力で勝ちに行く。
そんな走りは小さな競馬場を愛する人たちに勇気を与えた。
そして、おらが町から日本記録が生まれるかも知れない。
そんな夢を見させてくれた。
地元の人たちは彼女への感謝の気持ちを込めて引退式を催すことにした。

華やかな舞台に立つことすら許されなかった彼女。
今、多くのファン見守られながらターフを卒業して行く。
到る所青山あり。
この言葉は人間だけに当てはまることでは無かったのだ。
どんな場所でも直向に頑張る。
そういうものに与えられる言葉なのだろう。

どんなに頑張ってもどうしようもない事もある。
そんなときには思い切って場所を変えてみようか。
海が見えるところにでも。