この足あと誰だろう。
彼女はパソコンを操りディスプレイに表示された足あとをクリックした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
職場の人に招待されて、とりあえず登録してみたソーシャル・ネットワーキング・サイト。
略してSNSと呼ばれ、ソコソコ流行っているらしい。
自分の自己紹介ページをインターネット上に作り、登録した人同士で交流して楽しむ。
そんなことが売りみたいだけど、イマイチ使い方が分からない。
色々と操作して自分のページを見に来た人の名前が足あととして残ることを発見、それをクリックするとプロフィール画面が表示された。
はて、名前に聞き覚えは無い。
競馬好きの方みたいだけど、やっぱり心当たりが無い。
他の欄を読んでみるとお友達からの紹介文で日記を絶賛されている。
どんな日記なのかと興味半分で読んでみることにした。
――――――――
女は男には敵わない。
そんな事を言う輩も居る。
確かに性別の違いによる生まれ持っての身体的能力差は如何ともし難い。
事実、スポーツでは男女混合で争うものは皆無に等しい。
人間のみならず馬の世界でもそれは同じである。
競馬は基本的に男女混合で行われる。
その場合、女つまり牝馬にはハンデが与えられる。
それでも牝馬が男馬相手に勝つことは容易ではない。
ましてやチャンピオン決定戦となる大レースでは尚更である。
だが、男馬を蹴散らしチャンピオンに輝いた牝馬がかつて存在した。
秋の盾と呼ばれる大レース。
最後の直線で本命馬が先頭に立とうとしていた。
昨年のこのレースの覇者。
今年も力の違いを見せつけるように横綱相撲の正攻法で勝ちに来た。
その馬に外から並びかけ、堂々と勝負を挑んできたのは牝馬だった。
牝馬特有の切れ味と称されるように、その特徴を活かしある意味奇襲のような形で男馬に勝利する馬は居る。
だがこの馬は正々堂々と力と力の戦いを挑んだのである。
両馬共に一歩も譲らない激しい叩き合い。
相手を力で捻じ伏せるべく意地と意地のぶつかり合い。
長い戦いの末、先頭でゴールを駆け抜けたのは牝馬だった。
この馬はその後も一線級の男馬を相手に回し正攻法で戦い続けた。
大レースを再び勝つことは出来なかったが常に上位争いを演じ、最後まで誇り高い走りを見せ続けた。
フロックや一発屋という言葉があるように一度だけ結果を残しても決して認められない。
戦い続け力を見せ続けることで初めてその実力を認められるのだろう。
そして、その評価には性別は関係ないのである。
彼女の走りはそう物語っていた。
――――――――
思わず読み入ってしまった。
今まで競馬は単なるギャンブルという認識しか無かった。
でも、この日記はまるで短い小説を読んでいるような感覚だった。
ふと馬を自分になぞらえて思いを巡らす。
そういえば私も前の会社では頑張っていた。
この馬のように男に負けるかと言う意気込みで戦っていた。
でも、男社会という言葉はまだまだ死語では無くてどんなに実力を見せても、なかなか正当に評価をしてもらえない。
それに反発して、とにかく誰よりも働いた。
誰に認められたいのかもよく分かってなかったけど。
それでも、ちゃんと見てくれている人が居た。
お前の頑張りは俺が一番知っているからと言ってくれた。
そういう上司に恵まれていたからあそこまで頑張れたし、やりがいも感じた。
今思うとあの頃は良かったな。
競馬のことは知らないけど読んで昔の自分を思い出す。
なんだかとても気になる日記を発見してしまった。
SNSの楽しみ方が少しだけ分かった気がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
またあの人の足あとだ。
仕事に追われ存在を忘れていたSNSに、久しぶりにアクセスして足あとを発見。
ふとあの時の日記を思い出し、ため息をつく。
今の私は何でこんなに無理しているんだろう。
昔もよく体調を崩すほど仕事をしたけど、こんな気持ちにはならなかった。
もっと自分らしく前を向いていた。
でも、そんな日々もあと少しで終わる。
無理をする必要も無くなる。
足あとをクリックすると新しい日記が書かれていた。
短編小説の次のページをめくるように日記を読み始めた。
――――――――
この牝馬は生まれたときから血の宿命を背負ってきた。
偉大なる母と同じように男馬を相手に勝利することを期待される。
だが、結果を出すことは出来なかった。
それでも女の子同士の争いでは十分な結果を残してきた。
昨年の女王決定戦では年下の馬を相手に意地を見せて女王の座は譲らなかった。
だが、どうしても母と比べられてしまう。
皮肉なことにこの馬が出走し惨敗した大レースで他の牝馬が男馬を捻じ伏せた。
その牝馬は奇しくも女王決定戦で負かした年下の馬だった。
最近は走りにも精彩を欠き今や立場は逆転。
世代交代などと囁かれている。
三連覇が掛かった今日の女王決定戦。
もはや、主役の座はこの馬ではなかった。
昨年負かした年下の子が一年経ち、男を負かした女傑として主役の座を射止めていた。
まだまだ女の子同士の戦いでは負けられない。
そんな意地が感じられる走りをこの馬は見せた。
一瞬勝てるのではと思わせるような。
だが最後の直線、同じような位置からスパートした年下の子についてゆけない。
完全に力負けである。
長年君臨してきた女王の座を名実共に奪われてしまった。
この馬の今の力は十分に見せてくれた。
年内一杯で引退が決まっているこの馬にとっては次の世代へバトンを渡した良いレースだった。
それでもこの馬を観続けて来た私は寂しさを感じずにはいられない。
次のレースがラストラン。
最後まで彼女の物語を見守り続けよう。
たとえそれがハッピーエンドで無かったとしても。
――――――――
偉大なる母。
ひょっとして前の日記の馬かな。
馬の世界も立派な親を持つと大変なんだ。
この馬は年内一杯で引退か。
私と同じだな。
それになんだか、今の私の状況と似ている気がする。
激務でとうとう体を壊し、派遣として新たに働き始めて早数年。
新しい職場でも自分の能力を活かし、次第に正社員と変わらぬ働きをしてきた。
それなりに忙しく、充実した日々を送ってきた。
でも、徐々に状況が変わってきた。
折からの不況で会社の業績は一向に上向かず、経費削減の嵐が吹き荒れる。
そして、ついに派遣の私にもリストラの手が伸びてきたのだった。
所詮私は派遣社員。
定められた派遣期間が終了し契約更新されなければ、もうここで働き続けることはできない。
どれだけ会社に貢献し頑張ってきたとしても。
私の後任はずっと一緒に働いてきた年下の正社員。
彼女が新人の頃には色々と教えてあげたっけ。
今では私と変わらないくらい実力をつけたけど、まさか彼女にポジションを奪われるなんて思ってもみなかった。
別に彼女が悪いわけではない。
それは分かっているんだけど。
日記の彼女と今の私は同じなのかな。
競馬のことはよく分からないけど、この馬の気持ちは分かったような気がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あれ、足あとがあったのに。
あれから何回かSNSをチェックしてようやく見つけたのに新しい日記は無かった。
足あとは新作が書きあがったサインだと思っていたのに。
何度もチェックしたのは、私に少し似ている彼女のことが気になっていたからだ。
今年もあと残すところ二週。
年内一杯で引退と言うことは、そろそろ最後のレースを走っていてもおかしく無いと思うんだけど。
そこでふと思いついた。
そういえば今日はお休み。
競馬って確か日曜だっけ。
慌ててテレビを点けると中継が始まったところだった。
競馬をこうしてちゃんと見るのは初めて。
そう言えばあの日記には馬の名前が書いていなかった。
そもそも、あの文章自体どこか物語のようで実在の馬なのだろうか。
そんな事を思いながらもどこか確信めいたものがあった。
「今日が引退レースになります」
そんな言葉がテレビから聞こえてきたとき思わず鳥肌が立った。
間違いないこの馬だ。
このレースだ。
物語の中の彼女を私は初めて目にした。
ピカピカの毛並み。
スラリと長い脚。
キリリとした目。
額から鼻筋にスッと通った白いライン。
彼女はとても綺麗だった。
その凛とした表情は戦う女性のそれに見えた。
間もなくレースの時間となり、最後の舞台の幕が上がった。
内側から一頭飛び出してドンドン後ろを引き離して行く。
彼女は後ろの方。
どうしたの。
元女王なんでしょ。
相手は同じ女の子でしょ。
そんな思いも空しく彼女は未だに後ろにいる。
やっぱりもうダメなんだ、全然ついて行けてない。
もう見ていられなくて目を逸らそうとした、そのときだった。
彼女が外側からグングン前の馬を追い抜いて行く。
一頭また一頭と順位を上げてゆく。
「行けっ、行けっ」
彼女の走りに釘付けになりながら思わず声が漏れる。
ほとんどの馬を抜き去り後はスタートで飛び出して先頭を独走していた馬だけ。
その先頭との差もみるみる縮まって行く。
最後の直線に入ると、とうとう前の馬を抜き差って先頭に踊り出た。
「やったー」
喜びの声を上げたのも束の間、今度は後ろの馬が迫ってくる。
ゴールまでどのくらいなのか分からない。
彼女は必死に抜かせまいと走り続けている。
「頑張れ、頑張れ」
せっかくここまで頑張ったんだから。
ゴールまで後少しなんだから。
その応援が届いたかのように彼女は先頭を譲らない。
ジワジワと後ろから差を詰められても決して並ばせない。
女のプライド。
女の意地。
忘れかけていた感情が私の胸を締め付ける。
彼女はそのまま先頭でゴールを駆け抜けた。
その瞬間テレビから大歓声が聞こえてきた。
多くの人たちが彼女を祝福している。
私も思わず拍手と共に祝福の声を上げた。
「おめでとう、かっこよかったよ」
◇◇◇◇◇◇◇◇
私も引退まで後少し。
それまでに終わらせなければならない仕事、そして後任への引継ぎ作業に追われている。
でも、モチベーションが上がらず思うようにはかどらない。
そんな自分が嫌になる。
それでも、私はここまで自分の力で戦い抜いてきた。
それに対する小さなプライドもある。
ゴールまで後少し。
最後の意地をみせてやる。
彼女に負けないくらいのね。
◇◇◇◇◇◇◇◇
彼女は今日が仕事の最終日。
真っ直ぐ前を見つめながら職場に向う。
ふと見上げた冬の空は雲ひとつ無い晴天だった。
それは彼女の新しい門出を祝福しているかのように澄み切っていた。
彼女はパソコンを操りディスプレイに表示された足あとをクリックした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
職場の人に招待されて、とりあえず登録してみたソーシャル・ネットワーキング・サイト。
略してSNSと呼ばれ、ソコソコ流行っているらしい。
自分の自己紹介ページをインターネット上に作り、登録した人同士で交流して楽しむ。
そんなことが売りみたいだけど、イマイチ使い方が分からない。
色々と操作して自分のページを見に来た人の名前が足あととして残ることを発見、それをクリックするとプロフィール画面が表示された。
はて、名前に聞き覚えは無い。
競馬好きの方みたいだけど、やっぱり心当たりが無い。
他の欄を読んでみるとお友達からの紹介文で日記を絶賛されている。
どんな日記なのかと興味半分で読んでみることにした。
――――――――
女は男には敵わない。
そんな事を言う輩も居る。
確かに性別の違いによる生まれ持っての身体的能力差は如何ともし難い。
事実、スポーツでは男女混合で争うものは皆無に等しい。
人間のみならず馬の世界でもそれは同じである。
競馬は基本的に男女混合で行われる。
その場合、女つまり牝馬にはハンデが与えられる。
それでも牝馬が男馬相手に勝つことは容易ではない。
ましてやチャンピオン決定戦となる大レースでは尚更である。
だが、男馬を蹴散らしチャンピオンに輝いた牝馬がかつて存在した。
秋の盾と呼ばれる大レース。
最後の直線で本命馬が先頭に立とうとしていた。
昨年のこのレースの覇者。
今年も力の違いを見せつけるように横綱相撲の正攻法で勝ちに来た。
その馬に外から並びかけ、堂々と勝負を挑んできたのは牝馬だった。
牝馬特有の切れ味と称されるように、その特徴を活かしある意味奇襲のような形で男馬に勝利する馬は居る。
だがこの馬は正々堂々と力と力の戦いを挑んだのである。
両馬共に一歩も譲らない激しい叩き合い。
相手を力で捻じ伏せるべく意地と意地のぶつかり合い。
長い戦いの末、先頭でゴールを駆け抜けたのは牝馬だった。
この馬はその後も一線級の男馬を相手に回し正攻法で戦い続けた。
大レースを再び勝つことは出来なかったが常に上位争いを演じ、最後まで誇り高い走りを見せ続けた。
フロックや一発屋という言葉があるように一度だけ結果を残しても決して認められない。
戦い続け力を見せ続けることで初めてその実力を認められるのだろう。
そして、その評価には性別は関係ないのである。
彼女の走りはそう物語っていた。
――――――――
思わず読み入ってしまった。
今まで競馬は単なるギャンブルという認識しか無かった。
でも、この日記はまるで短い小説を読んでいるような感覚だった。
ふと馬を自分になぞらえて思いを巡らす。
そういえば私も前の会社では頑張っていた。
この馬のように男に負けるかと言う意気込みで戦っていた。
でも、男社会という言葉はまだまだ死語では無くてどんなに実力を見せても、なかなか正当に評価をしてもらえない。
それに反発して、とにかく誰よりも働いた。
誰に認められたいのかもよく分かってなかったけど。
それでも、ちゃんと見てくれている人が居た。
お前の頑張りは俺が一番知っているからと言ってくれた。
そういう上司に恵まれていたからあそこまで頑張れたし、やりがいも感じた。
今思うとあの頃は良かったな。
競馬のことは知らないけど読んで昔の自分を思い出す。
なんだかとても気になる日記を発見してしまった。
SNSの楽しみ方が少しだけ分かった気がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
またあの人の足あとだ。
仕事に追われ存在を忘れていたSNSに、久しぶりにアクセスして足あとを発見。
ふとあの時の日記を思い出し、ため息をつく。
今の私は何でこんなに無理しているんだろう。
昔もよく体調を崩すほど仕事をしたけど、こんな気持ちにはならなかった。
もっと自分らしく前を向いていた。
でも、そんな日々もあと少しで終わる。
無理をする必要も無くなる。
足あとをクリックすると新しい日記が書かれていた。
短編小説の次のページをめくるように日記を読み始めた。
――――――――
この牝馬は生まれたときから血の宿命を背負ってきた。
偉大なる母と同じように男馬を相手に勝利することを期待される。
だが、結果を出すことは出来なかった。
それでも女の子同士の争いでは十分な結果を残してきた。
昨年の女王決定戦では年下の馬を相手に意地を見せて女王の座は譲らなかった。
だが、どうしても母と比べられてしまう。
皮肉なことにこの馬が出走し惨敗した大レースで他の牝馬が男馬を捻じ伏せた。
その牝馬は奇しくも女王決定戦で負かした年下の馬だった。
最近は走りにも精彩を欠き今や立場は逆転。
世代交代などと囁かれている。
三連覇が掛かった今日の女王決定戦。
もはや、主役の座はこの馬ではなかった。
昨年負かした年下の子が一年経ち、男を負かした女傑として主役の座を射止めていた。
まだまだ女の子同士の戦いでは負けられない。
そんな意地が感じられる走りをこの馬は見せた。
一瞬勝てるのではと思わせるような。
だが最後の直線、同じような位置からスパートした年下の子についてゆけない。
完全に力負けである。
長年君臨してきた女王の座を名実共に奪われてしまった。
この馬の今の力は十分に見せてくれた。
年内一杯で引退が決まっているこの馬にとっては次の世代へバトンを渡した良いレースだった。
それでもこの馬を観続けて来た私は寂しさを感じずにはいられない。
次のレースがラストラン。
最後まで彼女の物語を見守り続けよう。
たとえそれがハッピーエンドで無かったとしても。
――――――――
偉大なる母。
ひょっとして前の日記の馬かな。
馬の世界も立派な親を持つと大変なんだ。
この馬は年内一杯で引退か。
私と同じだな。
それになんだか、今の私の状況と似ている気がする。
激務でとうとう体を壊し、派遣として新たに働き始めて早数年。
新しい職場でも自分の能力を活かし、次第に正社員と変わらぬ働きをしてきた。
それなりに忙しく、充実した日々を送ってきた。
でも、徐々に状況が変わってきた。
折からの不況で会社の業績は一向に上向かず、経費削減の嵐が吹き荒れる。
そして、ついに派遣の私にもリストラの手が伸びてきたのだった。
所詮私は派遣社員。
定められた派遣期間が終了し契約更新されなければ、もうここで働き続けることはできない。
どれだけ会社に貢献し頑張ってきたとしても。
私の後任はずっと一緒に働いてきた年下の正社員。
彼女が新人の頃には色々と教えてあげたっけ。
今では私と変わらないくらい実力をつけたけど、まさか彼女にポジションを奪われるなんて思ってもみなかった。
別に彼女が悪いわけではない。
それは分かっているんだけど。
日記の彼女と今の私は同じなのかな。
競馬のことはよく分からないけど、この馬の気持ちは分かったような気がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あれ、足あとがあったのに。
あれから何回かSNSをチェックしてようやく見つけたのに新しい日記は無かった。
足あとは新作が書きあがったサインだと思っていたのに。
何度もチェックしたのは、私に少し似ている彼女のことが気になっていたからだ。
今年もあと残すところ二週。
年内一杯で引退と言うことは、そろそろ最後のレースを走っていてもおかしく無いと思うんだけど。
そこでふと思いついた。
そういえば今日はお休み。
競馬って確か日曜だっけ。
慌ててテレビを点けると中継が始まったところだった。
競馬をこうしてちゃんと見るのは初めて。
そう言えばあの日記には馬の名前が書いていなかった。
そもそも、あの文章自体どこか物語のようで実在の馬なのだろうか。
そんな事を思いながらもどこか確信めいたものがあった。
「今日が引退レースになります」
そんな言葉がテレビから聞こえてきたとき思わず鳥肌が立った。
間違いないこの馬だ。
このレースだ。
物語の中の彼女を私は初めて目にした。
ピカピカの毛並み。
スラリと長い脚。
キリリとした目。
額から鼻筋にスッと通った白いライン。
彼女はとても綺麗だった。
その凛とした表情は戦う女性のそれに見えた。
間もなくレースの時間となり、最後の舞台の幕が上がった。
内側から一頭飛び出してドンドン後ろを引き離して行く。
彼女は後ろの方。
どうしたの。
元女王なんでしょ。
相手は同じ女の子でしょ。
そんな思いも空しく彼女は未だに後ろにいる。
やっぱりもうダメなんだ、全然ついて行けてない。
もう見ていられなくて目を逸らそうとした、そのときだった。
彼女が外側からグングン前の馬を追い抜いて行く。
一頭また一頭と順位を上げてゆく。
「行けっ、行けっ」
彼女の走りに釘付けになりながら思わず声が漏れる。
ほとんどの馬を抜き去り後はスタートで飛び出して先頭を独走していた馬だけ。
その先頭との差もみるみる縮まって行く。
最後の直線に入ると、とうとう前の馬を抜き差って先頭に踊り出た。
「やったー」
喜びの声を上げたのも束の間、今度は後ろの馬が迫ってくる。
ゴールまでどのくらいなのか分からない。
彼女は必死に抜かせまいと走り続けている。
「頑張れ、頑張れ」
せっかくここまで頑張ったんだから。
ゴールまで後少しなんだから。
その応援が届いたかのように彼女は先頭を譲らない。
ジワジワと後ろから差を詰められても決して並ばせない。
女のプライド。
女の意地。
忘れかけていた感情が私の胸を締め付ける。
彼女はそのまま先頭でゴールを駆け抜けた。
その瞬間テレビから大歓声が聞こえてきた。
多くの人たちが彼女を祝福している。
私も思わず拍手と共に祝福の声を上げた。
「おめでとう、かっこよかったよ」
◇◇◇◇◇◇◇◇
私も引退まで後少し。
それまでに終わらせなければならない仕事、そして後任への引継ぎ作業に追われている。
でも、モチベーションが上がらず思うようにはかどらない。
そんな自分が嫌になる。
それでも、私はここまで自分の力で戦い抜いてきた。
それに対する小さなプライドもある。
ゴールまで後少し。
最後の意地をみせてやる。
彼女に負けないくらいのね。
◇◇◇◇◇◇◇◇
彼女は今日が仕事の最終日。
真っ直ぐ前を見つめながら職場に向う。
ふと見上げた冬の空は雲ひとつ無い晴天だった。
それは彼女の新しい門出を祝福しているかのように澄み切っていた。