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競馬のスポーツとしての魅力や、感動的な人と馬とのドラマを熱く語ります。

競馬と人生

2007-12-14 23:43:10 | 感動エピソード
廃止という最悪の方向への流れを止めることのできない地方競馬。
売り上げ不振による赤字経営を回避するために行われるコスト削減。
その骨身を削るような努力がレースの魅力を下げてしまう。

勝っても得られる賞金は雀の涙。
故に力のある馬は入ってこなくなる。
流れてくるのはもう他では通用しなくなった馬ばかり。

また安すぎる賞金はレースに出走するだけでもらえる手当てと
あまり変わらなくなってきている。
一度の勝利を得るよりも三回ただ走って惨敗する方が得してしまう。
勝つためにリスクを犯す厳しいトレーニングをしてレースで
全力を尽くすよりも、壊れない程度に調教を加減して
無難に多くのレースに出走することを優先する。

レベルの高い争いでもなければ懸命に勝利を得ようとする場でも無い。
そんな競馬を続けていれば客離れを起こすのは至極当然のことだろう。

だが、彼らとて最悪の結末へと向かうのを手を拱いている訳ではない。
強いスターホースを生み出す体力の無い競馬場は別の手段で
世間の注目を集めようとする。
負けても負けても走り続けるという馬が一世を風靡したことは
記憶に新しい。
しかし、それは本来の競馬の魅力とはかけ離れていると言わざるを得ない。

負け続けるのは勝利を最優先にしている訳ではないから。
それでも走り続けるのはそうしないと馬も人間すら生きていけないから。
そこに馬と馬とが競い合う真剣勝負がもたらす感動は無い。
だから私はその手の報道には一定の距離を置いていた。
ある馬が成し遂げた記録に対してもそうだった。

話は戦後間もなくの混乱期に遡る。
ダービー制覇という歴史的快挙を成し遂げた繁殖牝馬が
現役復帰を打診された。
仔出しが悪く産駒成績も振るわなかったという理由で
15歳の牝馬がレースを走った。
老いたとは言えそこは昔取った杵柄で何戦かして見事勝利を収めた。
だが、その後もう体がついていかなかったのか調教中に
非業の死を遂げてしまう。
その亡骸は行方知らずとなり墓も残っていない。
この馬の最期の勝利がかつてのサラブレッド最高齢勝利記録だった。
その記録をある地方の馬が更新した。

人間ですら食うに困り馬資源が極限まで欠乏していた時代。
そんな時代に作ってしまった悲しい記録。
それを塗り替えることに何の意味があるというのだろうか。

高齢になっても走らざるを得ないが故に達成した記録。
そのような馬でも勝てる馬たちを相手にした勝利。
果たして本当に価値があるのだろうかと。
どうしてもそんなことを考えてしまい素直に祝福する気になれなかった。

つい最近この馬が引退したことを聞いた。
彼はは持病である屈腱炎を再発した。
乗馬に転向するのも困難な程の重症だったという。
そして、彼は処分されるため九州の場へ送られた。

優勝劣敗の厳しい世界であり実際大半の馬たちは処分される。
しかし彼はずっと戦い続けることにより記録を作り名を馳せた。
彼の馬券を長寿のお守りにするファンも居たほどだ。
それなのに走れなくなったとたんにこの仕打ち。
あまりにも理不尽では無いだろうか。

しかし、彼に手を差し伸べる者が居た。
それはいつもパドックに応援幕を張りその姿を見つめていた女性だった。
彼女は処分寸前だったその馬を探し出し、養老牧場へと送り出す手配をした。
その馬は絶体絶命の状況からの生還を果たした。
この話を聞いたとき私は心底安堵したと同時に心の奥が震えた。



競馬は人生に似ていると言う。
人生が競馬に似ているだけだと言う人もいる。

優勝劣敗の無味乾燥した世界。
一握りの勝ち組とその他大勢の負け組み。
負け組みは最低の環境でいつまでも走らされ続ける。
驚くほど類似点が見つかる。

だったら最後まで走り続ければ。
走れなくなるまで走り続ければ。
きっと誰かが見ててくれる。

そんなこともあるだろうか。
そんなことがあるのならば。
きっと人生も悪くない。

小さな希望

2006-09-17 23:24:36 | 感動エピソード
既に過去のことになりつつあるのだろうか。
決して忘れたわけではない。
でも、何かのきっかけが無ければ思い返すこともなくなっている。

毎日のように心を痛める事件は起こっている。
その当事者でもない限り、どんどん記憶の片隅に追いやられて行く。
それは当たり前のことである。
そうでなければ生きて行けない。

今日、私はあるきっかけで痛ましい出来事を思い出した。
でも、このきっかけで痛みが和らいだ気がした。

少し前に発生した船橋競馬場での厩舎火災。
出火した厩舎だけでなく隣にも燃え移り2棟を全焼。
9頭の競走馬が命を落とした。
だが、不幸中の幸いで燃え移った方の厩舎の4頭は逃げて無事だった。

その4頭は火事の翌日から通常通りの調教を開始した。
厩舎のスタッフは空き馬房を整備してこの馬たちの寝床を作った。
3日かけて焼け落ちる前と同じ並びで完成させた。
その翌日、4頭の中の1頭が出走し勝利を収めたのだった。

火災の中を逃げたという影響が無いはずはないだろう。
それでも、住み慣れた寝床が無くても、普段通りの調教を行った。
そして、レースに挑み勝利した。

燃え盛る火の手から逃がしてくれた。
直ぐに自分たちの寝床を作ってくれた。
その恩を返すために頑張った。
私にはそう思えてならない。


この火災のことはどんどん記憶の片隅に追いやられるだろう。
でも、忘れたわけではない。
何かのきっかけで思い出すことができる。
そして、痛みと共にこの出来事も思い出すだろう。

大きな悲しみの中に咲いた小さな希望。
やはり、人生と競馬は似ているのかも知れない。
ならば、人生もまだまだ捨てたものではない。
思い出すたびそう思うだろう。

些細な偶然

2006-06-18 18:55:39 | 感動エピソード
ほんの些細な偶然。
日常とはそれの繰り返しである。

だが、人との出会い、見聞きしたもの。
偶然が人生を左右することもある。
後から考えるとそれは必然だったと思えてしまう。

競馬にもそんな偶然のエピソードが存在する。


ある名門牧場はオーナーブリーダーも兼ねていた。
将来、繁殖として残す牝馬を手元に残すためである。
牧場主の妻は持ち馬が最近あまり走っていないことを気にしていた。
競争成績が悪い馬の仔はやはり価値が上がらない。
そして何より牧場の人たちの士気が高まらない。

あるとき妻は牧場主である夫にこう頼んだ。
今度生まれてくる馬にはもっと走りそうな名前をつけて。
すると牧場主は生まれた牝馬に妻の名前を付けたのだった。
当然、妻は怒ったのだが結局そのままの名前で競走馬となった。
だが、この馬はわずか1勝を挙げるに留まった。
そのまま当初の予定通り生まれ故郷で繁殖牝馬となった。

自分の名を持つ馬。
走らなくても、やはり妻には思い入れがあったのだろう。
生まれた牝馬に「才媛」という意味の名を付けた。
牧場主夫妻には若くして亡くしていた娘が居た。
利発だった彼女にちなんだ命名をしたのだった。


それから数年後、その牝馬は京都競馬場に居た。
三歳牝馬三冠路線の最終戦に出走するためである。
だが、この馬の評判は決して高くない。
いや、ある一頭を以外は全て脇役としか思われていなかっただろう。
「究極美」の名を持つ圧倒的な主役の存在があったからである。

桜花賞を8馬身差の圧勝。
返す刀でトライアルと本番のオークスを制し楽に二冠を達成。
秋の初戦は何と菊花賞へのステップレース神戸新聞杯に出走。
そこで牡馬を蹴散らしローズSも当然の如く制しての8連勝。
もはや、牝馬三冠は既成事実のようなものであった。

そして、レースでは当たり前のように直線で先頭に立った。
後続を突き放し誰もが三冠達成を確信した。
その瞬間、大外から飛んできた馬がいた。
「才媛」の名を持つあの馬だった。
そのまま、二冠牝馬を並ぶ間もなく交わし去りゴールを駆け抜けた。
この馬の重賞勝ちはこのレースのみ。
正に一世一代の末脚だった。

奇しくもこの年は名前の由来となった彼女の13回忌。
そして、レース当日は月命日であった。


馬は人間の想いなど知る由も無い。
やはり些細な偶然なのだろうか。
私はこれは必然だったと思いたい。

後から振り返ればこれは必然だったのだと。
そんな素敵な偶然は世の中にたくさんある。
繰り返しの日常にも、今この瞬間にも。
そう思いたいから。

血の奇跡

2006-06-11 16:08:06 | 感動エピソード
遠い昔、圧倒的な力を持つ女傑が居た。
史上初の牝馬によるダービー制覇。
走破時計は従来の記録を8秒8も更新する凄まじいものであった。
その後も、後の天皇賞となる帝室御賞典を大差勝ち。
輝かしい競争成績を残し繁殖生活に入った。

しかし、この馬の馬生は想像も出来ない方向へ進んで行く。
生まれた仔たちはことごとく走らなかった。
そして、この馬自身も仔出しが悪くなり不受胎が続く。
繁殖牝馬失格の烙印を押され、牧場を追われた。

居場所を失ったこの馬は現役時代の馬主の元に身を寄せる。
だが、その馬主は事業の失敗で財産を失っていた。
馬一頭を養うことも難しい状況だった。
「もう一度、競馬場で走らせてみないか」
そんな悪魔の囁きに抗うことはできず、現役に復帰することとなる。

連れて行かれた先は地方競馬だった。
15歳と老いたとはいえ元女傑、復帰2戦目で勝利を挙げた。
そして、次のレースを目指し更に強い調教を課されるようになる。
ある日の調教後、馬房に帰る途中に崩れるように倒れた。
輝かしい栄光を手にした女傑はあまりにも対照的な非業の死を遂げた。
その亡骸は行方知れずとなり墓標すらどこにも無い。
戦後の混乱期という時代背景を鑑みても、あまりにも悲運な馬生だった。


それから幾許かの時が流れた。

馬主資格を得たばかりの男は馬を探していた。
そして、ある牧場で一頭の牝馬に出会った。
この馬こそ非業の最期を遂げた女傑のひ孫だった。
だが、当時のこの男にはそんな知識は無かった。

生まれつき脚元が悪く買い手が付かないその馬。
このままでは競争馬として走ることなく処分される。
そんな予感が頭を過ぎったのだろう。
彼はこの馬を所有馬第一号とすることを決めたのだった。

この牝馬は彼に恩を返すように走った。
華々しく大レースを制することは無かったが怪我も無く着実に走り続けた。
2歳から6歳まで56戦して5勝。
直向に走るその姿に馬主は心打たれた。
彼はこの馬の仔を全部自分で面倒を見ることを決意したのだった。

その仔たちの中に骨折で予後不良の診断を下された牝馬が居た。
馬主は獣医に治療を続けるように頼み込んだ。
「3週間で立ち上がれなければ諦めてください」
根負けした獣医はそう告げたのだった。

だが、その馬は結局立ち上がることができなかった。
獣医は再度決断を迫る。
それでも馬主は懸命に治療の継続を懇願し続けた。
「あと1週間で立てなければ駄目です」
その言葉と共に生き長らえた馬が立ち上がったのは3日後のことだった。

無事に繁殖入りを果たしたその牝馬も大きな恩返しをすることになる。
生んだ仔が牝馬クラシックの頂点、オークスを制したのだった。
あの伝説の女傑のダービー制覇から実に47年。
その血は長い時を経てようやく日の当たる場所へ蘇ったのだった。


血のドラマはまだ続く。

オークスの翌週はダービーが行われる。
この年の競馬界最高峰の舞台は一頭の馬のためだけのレースだった。
それを見たオークス馬の馬主は勝ち馬に畏敬を感じた。
このとき、同期のダービー馬とオークス馬の配合を思いついたのだった。

しかし、種付け権を得て準備を整えていたとき思わぬ誤算が生じた。
引退させようと思ったとたんに樫の女王は再び活躍し始めたのである。
結局、引退は先延ばしになってしまう。
宙に浮いてしまった種付け権を無駄にすることはできない。
当初の配合相手の妹を花嫁として選んだのだった。


そうして生まれた牡馬はやがて伝説として語られる存在となる。
偉大なる父の足跡を辿るような無敗の二冠制覇。
日本競馬史上、類を見ない一年振りの復活劇。

非業の最期を遂げた女傑。
処分寸前で拾われた牝馬。
死の淵から蘇った娘。

幾度もの断絶の危機を乗り越えた奇跡の血。
あの奇跡としか表現できない走りは血の成せる業なのだろう。

おじいちゃんの夢

2006-05-17 00:50:23 | 感動エピソード
相馬の天才。
そう呼ばれる男がいる。

彼は牧場の長男として生まれた。
必然的に馬の仕事を志し、修行のため単身米国に渡る。
そこで本場の馬産に触れ日本との違いに愕然とした。

帰国した彼は早速、欧米流を実践しようと試みた。
だが、牧場主である実父はそれを受け入れようとはしない。
対立の末、独立し自らの牧場を開いた。

早速、彼は仔馬を見て回った。
米国での修行時代、後に悲劇の名牝と呼ばれる馬を見出した。
そんな自分の素質を見抜く眼を信じて。
しかし、彼は馬産界の厳しい現実に直面することになる。

一昔前、将来有望な仔の多くは生まれた時点で所有者が決まっていた。
直ぐに買い手が付かないのは血統的に劣るか身体的に問題のある馬ばかり。
自分が眼をつけた時点で既に売り先が決まっている。
そんなことの連続だった。
それでも彼は諦めず日本中を歩き回った。
そして、ある小さな牧場で自分の理想に描く馬をついに見つけ出した。

その馬は母の血筋が問題だった。
純粋なサラブレッドでは無いために能力が劣ると偏見を受けているサラ系。
そんな理由から売れ残っていた。
だが、彼は自らの相馬を信じてこの馬を購入した。

父とは袂を分かつことになったが、それは純粋に経営方針の違いだけ。
親子関係にまで亀裂が生じる事は無かった。
自分の息子を可愛がってくれる良いおじいちゃんだった。
なにより彼はホースマンとしての父の姿勢を尊敬していた。

そんな父は買ってきた馬を見て一言つぶやいた。

「いい馬だ」

今までどんな馬を買ってきても決して褒めることは無かった。
ようやく父に自分の仕事を認めてもらえた。
その喜びは他人には量り知れないものだった。
そして、父と自分の夢が叶えられると確信した。
しかし、その走りを見ることなく父は急逝した。

彼はこの馬にこんな意の名を付け想いを託した。

「おじいちゃんの夢」


その1年後、この馬は競馬界最高峰の舞台にたどり着いた。
彼の、父の夢に手が届いたかに見えた。

半馬身差の2着。

掴んだかに見えたものはその手をすり抜けていった。


茫然自失となった彼は勝者の姿を見て我に返った。
現在では大レースの多くを手にしている巨大牧場グループ。
だが、当時はこの最高峰のレースだけは手にしていなかった。
その総帥が一目を憚らず号泣している。
それほどまでに執念を燃やしていたのだ。
自分はまだまだ甘かった。
唇を噛み締めながらもそう悟ったのだった。


それから時は流れ、遠き海の向こうで彼の執念が一つ実を結んだ。
空の上で見ていたはずの人は喜んでくれたのだろうか。

でも、今はまだ夢の途中。
それを叶えるべく自らの眼で馬を探し続けている。
おじいちゃんが褒めてくれるような、いい馬を。

チャンピオンハードラー

2006-05-02 16:35:49 | 感動エピソード
競馬の本場、欧州。
この地では障害競争の人気が高い。
特に英国、愛国では平地を凌ぐほどである。

海外の障害レースは2つに分けられる。
ハードルとスティープルチェイス。

低めで蹴倒して走れる障害を使用するハードル。
陸上競技のハードルのようなイメージのレース。
2マイルほどの距離で行われスピードが要求される。

一方、やや大きめのフェンスと呼ばれる固定式障害を使用するチェイス。
土塁や生け垣、水濠など日本の障害レースのイメージに近い。
3マイルくらいが一般的で飛越の上手さを問われるレースである。

世界的に有名なグランドナショナルはチェイス。
様々なドラマを生み出し、日本でも比較的馴染みのあるレースである。
だが、日本ではあまり馴染みの無いハードルでも様々な逸話が存在する。


その馬は良血だった。
父は英愛仏で計17回のリーディングを獲得したチャンピオンサイアー。
半兄には英国ダービー馬。
当然、厩舎はこの馬に大きな期待を掛けていた。

しかし、この馬は走らなかった。
2歳秋にデビューし、初勝利は5戦目の3歳の夏。
その後も成績は上がらず期待の星は完全に厩舎のお荷物になっていた。
調教師はこの馬に見切りをつけ処分することを考えていた。
それを止めたのは一人の調教助手だった。

彼は近く独立し自分の厩舎を開業する予定だった。
その馬を自分の厩舎に預からして欲しいと調教師に頼み込む。
自分の手がけた馬が処分されるのは忍びない。
そんな想いもあったのだろう。
だが、それだけでは無かった。
彼はその馬にこんな資質を見出していた。

障害馬として一流になる。

欧州では日本と違い初めから障害馬として育てるケースが多い。
だが、平地から転向して成功するケースも無いわけでは無い。
彼は自分の眼とその馬の素質に賭けることにした。

開業の準備は順調に進んでいた。
馬の方も開業後の出走に向けて抜かりは無い。
いよいよ、人馬共に新たなデビューを迎える。
その直前だった。

彼は病に倒れてしまう。
診断の結果は「白血病」。
開業は不可能となった。

彼は自分が素質を見出したあの馬だけは障害を走らせたかった。
そして、彼は親友の調教師にその馬を託すのだった。
こんな言葉と共に。

彼は必ずチャンピオンハードルに勝つような馬になる。
そういうつもりで育ててくれ。

それから彼は苦しい治療が待つ闘病生活に入った。

彼のその馬を見る眼は確かだった。
親友の下でハードルデビューをしたその馬は2戦目に勝ち上がる。
その後は連戦連勝でトップハードラーへの道を駆け上がっていった。

その素質を見抜いた男も闘っていた。
入院当初から非常に症状が重かったのだが何とか生き長らえていた。

あの馬がチャンピオンハードルを勝つまでは死ねない。

そんな一念で彼は命の炎を燃やし続けた。
馬もそれに応えるように勝ち続ける。
そして、遂に自国アイルランドの最強ハードラー決定戦に駒を進めた。

しかし、その日を待たず病魔は容赦なく彼の命の灯火を消し去った。
31歳の若さだった。
チャンピオンハードルまで後4日。
たった4日でも運命は待ってはくれなかった。

2日後、レースの行われる競馬場近くの教会で葬儀が行われた。
競馬関係者だけでなく多くのファンも彼の冥福を祈った。
気丈に喪主を務めたのは若くして未亡人となった彼の妻だった。

その翌日、チャンピオンハードルに集まった者の心は一つだった。
皆、前日に亡くなった彼のことを知っていた。
彼がチャンピオンハードルを勝つと言い残した馬が出走しているのを。
彼がその馬の命を救ったのだということを。

その馬自身も知っていたのではないだろうか。
レースでは一流障害馬としての走りを存分に発揮する。
チャンピオンハードルを圧倒的な強さで勝利を収めた。

その瞬間、競馬場の誰もが涙を流していた。
関係者、ファン全ての人たちが感動に震えていた。
その日起こった奇跡にただ涙が止まらなかった。

その後行われた表彰式。
ウィナーズサークルに現れたのは亡くなった彼の妻だった。
普通は調教師が表彰を受ける。
だが、彼の親友はこう言ってその場には姿を見せなかった。

私の勝利では無い。

その親友とはアイルランドの若き天才調教師。
バリードイルに居を構え世界の競馬を席巻し続けている。
鉄面皮のように思われているが、情の厚い男だった。

そして、彼の妻が表彰を受ける時に場内でコールが巻き起こった。

「J・D」
「J・D」

亡くなった男の名はジョン・ダーカン。
彼へ向けられたコールだった。
その声はいつまでも止むことは無かった。
天まで届くかのようにいつまでも。



その4年後、この馬はチェルトナム競馬場に居た。
障害のビッグレースをまとめて行うチェルトナムフェスティバル。
平地で言うロイヤルアスコットのようなもので非常に人気が高い。
欧州障害レースの最高峰である。

愛チャンピオンハードルで奇跡を見せたあの馬は王者になった。
この最高峰のチェルトナム・チャンピオンハードルを三連覇。
そして、史上初の四連覇という快挙に挑む。

だが、彼はもう10歳。
スピードの要求されるハードル界では決して若く無い。
昔はタフだった彼も今は小さな故障を治療しながらの出走である。

このレースは昨年欧州を襲った口蹄疫の影響で開催が中止された。
その当時は絶好調で四連覇は確実と言われていた。
だが、今シーズンは怪我の影響か年齢によるものか精彩を欠いている。
それでも1年越しの夢に挑戦する。
チャンピオンとして戦い続ける。
最後まで闘い続けた彼の命の恩人のように。

彼の挑戦は第二障害を越えたところで幕を閉じた。
鞍上が馬の異常を感じレースを中止した。
腱を損傷してしまったのだった。

彼はただ一頭引き上げてきた。
チャンピオンハードルはまだレースの真っ最中。
それにも関わらずスタンドからは大きな拍手が巻き起こった。
傷つき志半ばで挑戦を断念した王者をファン総立ちで出迎えた。
それは天で見守る一人の男にも向けられた盛大な拍手だった。

伝説のグランドナショナル

2006-04-23 19:30:14 | 感動エピソード
競馬発祥の地、英国。
この国で最も人気のあるレースは障害戦。
それも、高額賞金でもないG3のハンデ戦である。

普段競馬をやらない人でも馬券を買い、10万人ほどの観衆を集める。
それは世界一過酷と言われるレースである。

約7200mの距離を走り、乗り越えるべき障害の数は30。
踏み切り地点よりも着地地点が低くなっているビーチャーズブルック。
飛越直後に90度のコーナーが待ち構えているキャナルターン。

毎年30頭もの出走馬が集まるが完走できるのは大体10頭ほど。
ある年は40頭中4頭しかゴールできなかった。

馬が怖がって立ち止まってしまう。
そう言われるほど難易度の高いコース。
完走できるだけで名誉なことという表現も納得できよう。

そんな過酷なレースでは毎年、幾多のドラマが生まれている。
その中でも後に伝説として語られることになるレースがある。


その男は英国を代表する障害騎手だった。
彼の最良にして最強のパートナーと共に次々と大レースを制する。
人馬一体の優雅な走りに競馬ファンは熱狂した。

そんな絶頂期の彼はある日不幸のどん底に叩き落される。
肺癌。余命8ヶ月の宣告を受けた。
それから彼は過酷な闘病生活に入る。

副作用の激しい化学療法。
それに彼は必死に耐えた。

騎手として復帰する為に。
愛馬と一緒に英国最大のレースを制する。
そんな夢を叶える為に。

そんな彼にまたしても不幸が襲い掛かった。
過酷な治療の息抜きとして訪れた競馬場。
そこで目にしたのはかつての愛馬の無残な姿だった。

障害飛越後に着地を失敗し転倒。
左前脚に重度の骨折を負う。
その場で予後不良の診断を受けたのだった。

だがそれでも、彼は騎手への復帰を諦めなかった。
激しい副作用に耐えた。
苦しいリハビリもやり遂げた。
そして、遂に病魔を克服し復帰戦への出場が決まった。

しかし、そのレースでの結果は第一コーナーでの落馬。
病魔は克服したがその代償は大きかった。
手足の感覚が失われ微妙な手綱捌きができなくなっていた。

そんな彼を乗せた調教師に馬主は抗議した。
だが、調教師は彼が嫌なら他所の厩舎へ行けと一喝した。

そして、彼を喜ばせる出来事がもう一つあった。
ある日連れて行かれたある場所。
そこには元気に走り回る一頭のサラブレッド。
生命を脅かすほどの骨折を乗り越えた彼の愛馬の姿だった。

地獄から這い上がった人馬。
このコンビは英国最大のレースに挑んだ。

例年通りレースは過酷を極めた。
レースの序盤で既に12頭が転倒。
そんな中、この人馬は3000m付近で早くも先頭に立った。

レースはまだ半分も過ぎて居ない。
ゴールまではまだまだ遠い道のり。
それでも勝利を目指しこの人馬は走り続けた。

やがてレースは6000mを過ぎた。
まだ彼らは先頭を走り続けている。
後遺症に苦しむ騎手。
故障明けの愛馬。
もはや人馬共に体力の限界を超えていた。

それでも彼らは諦めなかった。
最後の直線に入ってもその力は衰えない。
最後まで先頭を譲らない。

そのまま人馬は一体となりゴールを駆け抜けた。
再起不能と言われた人馬の奇跡の復活。
その瞬間彼らは伝説となった。


晩年、彼は奇跡をこのように振り返っている。

本当に頑張り屋だった愛馬からこう教わったんだ。

夢を叶える近道は絶対に諦めない事。
そして、自分を信じ続ける事だと。

ALEX

2006-01-01 23:23:59 | 感動エピソード
ラン・フォー・ザ・ローゼス。
優勝馬に与えられる薔薇のレイから、そう呼ばれるレースがある。

競馬好きの庶民5人が所有する一頭の馬。
その5人の内、奇しくも3人の家族に同じ名前の子が居た。
そんな偶然から、その名を持つ馬が米国最大のレースに挑んだ。

前哨戦を8馬身差で圧勝し有力候補だったが、惜しくも3着と敗れた。
しかし、この日の主役は紛れも無くその馬、いやその名前だった。

1歳の誕生日の直前、小児癌に侵された一人の少女が居た。
それ以来、必死に病魔と戦い続け4歳を迎えた。
そんなある日、いつも看病してくれる人たちにお礼がしたいと思い立つ。
自分に出来ることは何か無いかと母親に相談した。

レモンと蜂蜜と水さえあれば出来るレモネードを作っては。
そんな母親のアドバイスを受けた。
早速、自宅のキッチンで拵えて医師や看護婦にプレゼントした。
それがある一つの切欠を生んだ。

その後、少女は自宅の庭にレモネードスタンドをオープン。
売り上げは全て小児癌撲滅基金に寄付する福祉活動を始めた。
抗癌剤の副作用で髪の毛をほとんど失っている。
それでも明るい笑みを絶やさずレモネード作りに勤しむ。
そんな彼女の勇気ある行動はマスコミを通じて全米に知れ渡った。
趣旨に賛同した人たちによりレモネードスタンドは全国に展開した。

そんな彼女が2004年8月1日についに病との闘いに敗れてしまった。
その3日前に同じ名を持つサラブレッドが初重賞制覇を成し遂げた。
翌年のラン・フォー・ザ・ローゼスの主役となる馬である。

同じ名を持つ者として何か行動を起こさなければ。
そんな想いから、この馬が走る日にレモネードスタンドを開設することを思い立つ。
そのアイディアが実現したのがラン・フォー・ザ・ローゼスの日であった。
好天に恵まれた当日はレモネードは飛ぶように売れた。
一日で1万1千ドルの基金を積み上げることができた。
競馬ファンが競馬場で社会福祉に貢献するという歴史的な日となった。

そして、その名を持つ馬はトリプルクラウンの第二戦に出走。
ここでも主役となったこの馬は前走と違い抜群のレース運び。
4コーナーでは先頭に並びかける勢いだった。

外から並びかけようとした、その瞬間先頭の馬が急激に外へ斜行。
その煽りを受けたこの馬は鼻面が地面に付きそうなほどバランス崩す。
しかし、そんな致命的とも言えるアクシデントにも怯まなかった。

体制を立て直すと今度は内側から先頭に並びかけ一気に抜け出す。
そして、この馬は力強くゴールを目指し突き進んだ。
そんな彼の勇気に対して観衆は大きな声援を送った。
そのまま後続を4馬身以上引き離しゴール板を駆け抜けた。
この馬が米国競馬のスーパーヒーローとなった瞬間だった。

その後、トリプルクラウンの第三戦も7馬身差で圧勝した。
その日の競馬場で出店したレモネードスタンド。
それはもはや社会現象と化していた。
場外発売の場所も含めて全米で38の競馬場で出店される。
一日で15万ドルもの売り上げを達成し全額基金へ寄付された。
それは、競馬場と競馬ファンの力が集結された成果と言えよう。

レモネードの売り上げは好調だった。
しかし、このレースはこの馬の現役最後のレースなった。
左前脚に複数の疾病を抱え引退を余儀なくされたのだ。
故障の原因となったのは、あのアクシデントだったと言われている。

小児癌と戦った少女はこの世に居ない。
同じ名を持つサラブレッドも現役を退いた。
だが、その志は脈々と受け継がれている。
今後も大レースの行われる競馬場でレモネードスタンドを開設することが決まったのだ。
それは競馬が果たせる社会的貢献の新たな形として末代まで継承されてゆくことになるだろう。

後世に語り継がれる光景

2005-12-03 20:45:02 | 感動エピソード
ケーブルテレビで競馬専門チャンネルを眺めていた。
画面に映っていたのはホースマントークという企画。

先日、天皇賞を制した調教師がゲスト。
ゲストの生い立ちを振り返って行く。
そこで私はこの調教師が元騎手だったことを思い出した。
そう、あの悲劇の名馬の主戦騎手だったということを。

その馬はとにかく速かった。
デビューから無傷の6連勝。
そのほとんどを逃げ切り勝ち。
何度も後続に大差をつけてレコード勝ちも3つある。
アメリカの特急から取ったというその名の通りの活躍だった。

その6連勝目のとき主戦騎手へ電報が届いた。
「おめでとう。こちらも楽勝、今度は負かす」
それは同日に重賞を制した兄弟子からだった。

関西の重鎮と言われた伝説の調教師。
その厩舎の看板騎手からの電報。
6連勝中に負かされた馬での挑戦状を叩きつけたのだ。

そして、次走の皐月賞トライアルでの直接対決。
超特急のように大逃げするその馬をゴール寸前で交わし去る。
予告通り負かして見せたのだった。

続くクラシック第一弾ではデビュー以来初の大敗を喫する。
万全を期して目一杯に仕上げたつもりが裏目に出たのだ。

気性が良すぎて人に対して優しすぎる。
ずるさがまるで無くて手抜きが出来ない。
悲しいくらいに自己犠牲の精神を持っていたその馬。
だから期待に応えようと調教で走りすぎてしまった。

だが、そんな直向な走りは次で報われる。
競馬界の最高峰日本ダービー。
鮮やかな逃げ切り勝ちを収めた。

鞍上の喜びも一入だった。
交通機関がそれほど発達していなかったこの時代。
関西から関東への出張は出たら行ったっきり。
文字通り馬に付きっ切りで春のクラシックを戦った。
それほど深い結びつきがこの人馬にはあった。

優しすぎる馬の性格と人馬の結びつき。
それが、あの感動的なシーンを生んだのだろう。

ダービーの栄光から約2年半後。
その人馬は暮れの阪神競馬場を走っていた。
いつものように直向に逃げて後続を引き離す。
直線を迎えて鞍上も勝利を確信していた。
しかし、その瞬間騎手の体は宙に浮いていた。
そのまま地面に叩きつけられ意識を失う。

馬は左前脚を骨折し、もんどりうって前に倒れた。
だが、馬は自力で三本脚で立ち上がり歩き始める。
少し離れた場所で倒れてピクリとも動かない主人の元へ。
左前脚は完全脱臼し、もはや皮一枚で繋がっている状態。
激痛で狂ったように暴れてもおかしくない状況である。

それでもこの馬は歩き続けた。
三本脚でもただ直向に。
長年苦楽を共にしたパートナーの元に。

やがてターフに寝ている男の傍らに立った。
三本の脚を踏ん張り鼻先を摺り寄せた。
まるで倒れて動かない主人の安否を気遣うように。

二度三度と繰り返すとやがて騎手は意識を取り戻す。
男は摺り寄せてきた馬の顔を抱きしめ頬を寄せた。
最期に何かを確かめ合うように。

この光景は後世にまで語り継がれている。

奇跡の馬

2005-11-12 16:03:25 | 感動エピソード
一昨年夏、猛威を振るった台風10号。
北海道日高地方は豪雨による河川の氾濫で甚大な被害を被る。
馬産地で知られる同地方は多くの牧場が壊滅的打撃を受けた。

飼養馬4頭の小さな牧場も例外では無かった。
高台に避難させた馬たちは嘶きながら濁流に呑まれたという。
そんな絶望的な状況の中、数日後4キロ下流の河川敷で1頭の若駒が発見された。
あれだけの距離を流されたのにも関わらず大きな怪我は無く、のんびりと草を食んでいた。
「よく生きとった。信じられなかった」
再会した牧場主はそんな言葉を口にした。

何とか生き長らえたこの馬は再び危機を迎える。
競走馬として全く買い手がつかなかったのだ。
良血でも無い売れ残りの馬の運命は自ずと決まっている。

しかし、再びこの馬に幸運が訪れた。
この馬の話を聞いた土建業を営む方が買い手となってくれたのだ。
「私らは、災害復旧の仕事が増えた。何かしてあげたかった」
そんな想いからこの馬の購入を決意したという。

無事、道営競馬に入厩したこの馬だったが再度危機を迎える。
脚元に不安が出て競争馬になることすら危ぶまれたのだ。
これではとてもレースに使えないと調教師は思ったという。
だが、この馬はそれも乗り越えて無事にデビューを迎えた。

しかし、競争馬としては全く良いところが無かった。
その生い立ちから注目を集めるも好走すらできない。
「ここまでで運を使い果たした」
そんな陰口が囁かれた。

やがて世間から忘れさられた頃、この馬の引退が決まった。
競争馬として致命傷となる屈腱炎を発症したからである。
4戦して未勝利。
掲示板にすら載った事がない。
この馬の運命もここまでかに思えた。

しかし、この馬の幸運は未だ尽きてはいなかったのだ。
「台風の惨劇を忘れられない」
「この馬はその代名詞。余生を送る場所がないのはしのびない」
乗馬施設を営む方はそんな言葉と共に直ぐにこの馬を引き受けたのだった。

人はこの馬のことを本当に運の強い馬と言う。
だが、本当に運だけの馬なのだろうか。
あの濁流に呑まれながらも生き延びた生命力。
その必死で生きようとする意思の強さで、自ら幸運を引き寄せたのではないだろうか。

今、この馬は乗馬として生きるべく訓練を行っている。
競走馬として活躍はできなかったが、幸せな馬生を過ごしている。