国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

皇道(1)

2012年05月26日 | 皇道
 
 宇宙初発の際に言霊あり、言霊は神なり、又仏陀と日ひ真言と日ふ。
我国は天地開闢の時に、最初に造られたる真正無比の国土にして、地球の総領国なり。又言霊の法清く美しく、円満にして朗かなり。故に我国を言霊の幸ふ国、言霊の天照る国、言霊の助くる国、言霊の生ける国と、古より言ひ伝ふ日本神州神民の声音は、円満清朗にして、其数最も多く、

 清音のみにして且つ言霊に権威を伴ふ。他国の言霊は、甚だしく混濁して、日本神民の三分の一の数を用ひ、且つ不正の声音を発し、言霊の権威は絶無にして、只々意思を伝ふる用に供するのみ。其他の下級動物に至るに従ひ、声音の数益々少く、論ずるに足らず。

 惟神の大道は、天地自然の性に従ふものなるが故に、世界各その教を設くるにも、国霊と風土の関係に由つて、差別あるなり。皇国は国霊も風土も、清浄潔白にして、其国民は恰も神明に等しければ、神命を奉じ、万世一系の皇室を戴き、大君は神の御心を心とし、民を以て本となし、天国の善政を施き、臣民を率ゐて、天地経綸の司宰者たる天職を尽すべく教へ導き、天が下を安国と平けく、知食玉ふが故に、我大君は主、師、親の三徳を惟神に具有し給へば、我国民は、天津神の霊統を継がせ玉へる、現人神に在し坐す、大君の御神勅を、畏み仕ヘ奉りて、上下一致億兆一心の、天津誠の道を遵奉し奉り、天地の神明に愧ぢざる善行を為し、天下に範を示すベき神州清潔の神民なれば、外国の如く、小賢く言挙げせざる大御国なる事も、弁ヘ知るベし。又印度の如く風俗悪く、従つて国霊劣りて、頑愚度し難き人民を、教化し済度せんとせば、彼の釈迦の如く、仏の教なるものを作り、地獄極楽の説、因果応報の教旨など、種々の方便を設けて、国人の心を和め、且つ之を導くは、是その国土人心に相応したる教誡なり。故に印度人としては、最も適当なる唯一の教理と日ふべし。されど我国に是を応用するは、人類の食膳に向つて、牛馬の喰ふべき食物を供するが如くにして、必ずしも、適当なる教と日ふべからず。日本人は皇国固有の教を遵奉し、印度人は印度国に適したる仏教を遵奉せば安心立命し、以て人生の本分を尽し得るなり。

 支那の如きは、人民の心を本として教を立て、天下は天下の天下なり、一個人の左右すべきものに非ずてふ精神に基きて、教を立てたる国土なれば、仮令天下の主なりと雖も、暴逆にして民心を失ひたる時は、之を伐ち、之を放ちて、其位に代るを以て、自然の良道とするなり。故に孟子の言にも、民為[#レ]貴、社稷次[#レ]之、君為[#レ]軽と在り。土神穀神の社殿と雖も、旱魃洪水などの変災頻りに起りて、之を禦ぐこと能はざる時は、直ちに無能不用の神として、其社殿を毀ちて之を更改す。況んやそれに次ぐと為せる、国君の不徳にして民を治むる事能はず、暴逆無道にして、民心に背反する時は、明君出てその位に替るも、皆その風土国霊に相応して、聖賢の立たる自然の道なり。それとは亦格別にして、我皇国は神の造りし国、神の治むる国、神の建てたる国なれば、万世一系の皇統を、天津日継と申し奉る事は、天地開闢の太初より、高天原に在します所の、皇祖天照大御神の御子孫にして、天津日の御跡を継ぎて、天下に君臨し給ふと日ふ、尊称なる事は、古典明かに之を教ヘ給ふなり。『茜刺す天照国の日の宮の聖の御子云々』と続日本紀の歌にも載せられ、我国体の尊厳無比なるは、古往今来国民の普く知悉せる所なり。万葉集の長歌にも『天地の初の時ゆ久方の、天の河原に八百万、千万神の神集ひ、集ひ居まして神分り、分りし時に天照日女尊、天をば知しめしぬと葦原の、瑞穂の国を天地の、依相の極み知しめす、神の命と天雲の、八重掻別けて神下り坐し奉りし』など詠めるも皇祖大神の高天原を知召し、皇孫瓊瓊岐命の、此の地上の国土へ降臨し給ひたる、神事を云へる神歌にして、君を君として立て、所謂天立君主、立憲制の御国土なるが故に、古の摂家、清家の家々も皆天上より陪従し来りて、事ヘ奉りたる神人の裔孫支流にして、天地開闢の初より、君臣の大義名分なるもの、自然に定まりて、幾度世を代ふるとも、毫も動揺する事無く、天津日継の高御座は、万世一系にして擾れ給ふ事無き、誠に至善至美至真の御国体なれば、斯の神国に生を託するものは、神と皇上との殊恩を、片時も忘却すベからず、実に神聖無比の天国浄土たるなり。然のみならず、其皇子に源平等の姓を賜ひて、皇族の御方々と雖も、一度臣下の列に成らせ給ひたる時は、仮令皇子、親王、諸王と雖も、再度皇位を継がせ給ヘる事実なき、霊威不可犯の尊位に在しまして、国民は実に有難く、忝なき次第と云ふべし。我歴代の天皇は、上は天津神の御心を心と成し給ひ、下は臣民の心を以て、政治の大本と為し玉ふが故に、畏くも明治天皇は
 『罪あれば我を咎めよ天津神、民は我身の生みし子なれば』
 と仰せられ又 『我臣民億兆の中に、一人にても、其所に安んぜざる者あらば朕の罪なり』
 と仰せられし御聖旨を伺ひ奉るに於ては、我皇上の臣民たるもの、一人として感泣せざる者あらむや。実に尊く忝なく、御仁慈の程は山よりも高く、海よりも深く、恰も慈母の赤子に於けるが如しと日ふ可し。畏くも皇宗天武天皇の、古事記を撰録せしめ給ひし時、その御序文に
 『於是天皇詔之 朕聞諸家。之所賚 帝紀及本辞。既違正実。多加虚偽。当今之時。不改其失未経幾年。其旨欲滅 斯乃邦家之経緯。王化之鴻基焉。故惟撰録帝紀。討覈旧辞。削偽定実欲流後葉。』

 以上の御聖旨に由るも、皇典古事記の最も正確にして、勅撰に成れる事実は、昭々として日月の如く、一点の疑惑を容れ奉るの余地無し、古典学者の輩浅学薄慮にして、神聖なる皇典古事記の深奥を解せず、徒に文字音句の上に拘泥し、偶、穴穂御子(安康天皇)の大日下王を殺し、其妹なる長田太郎女を皇后と為し給ひ、其子目弱王に弑せられ給ひし事跡などを捕へ来つて、古事記は上代の出来事を、最も赤裸々に伝へられしものにして、主上の暴逆を記載せられたるは、寧ろ古典の美点なりなど唱へて泰然たるは、実に恐懼の至りなりと日ふべし、我歴代の天皇は、上は天神の御心を体し、下は臣民の安危を以て念慮と為させ給ふが故に、天下を知食し給ふや、時代の人情治乱を以て、我が不徳の罪と為し、下万民に代りて天神に罪を謝し万民を無罪の神子と、見直し、聞直し、詔直し給ふ、主、師、親三徳全備の現人神に在し坐せるが故に、其御宇の人民の罪悪を赦し、御自身の御行跡の如くに伝へ給ひて、臣民を庇護し給ふ、大慈大悲の大御親心に出でさせ給ふを、伺ひ奉る可し。之に反して紀、記両書の伝ふる事跡を、文辞の儘に解す可きものとすれば、何を以て天武天皇の『斯乃邦家之経緯、王化之鴻基焉』と詔らせ玉ふ可きや。
 吾人の常識を以て判断するも、自明の理ならずや、次いで日本書紀の一節、武烈天皇紀に『天皇の御所行総て残忍に在坐して孕婦の腹を割きて其胎を観給ひ、人の頭髪を抜きて樹に登らしめて、之を射墜し給ふ』などの、大悪逆有らせられし事を記されたるが、我列聖の大君は、元来大慈大悲の、天津御神の珍の御子孫に在し坐し、民を見給ふ事、恰も我身を傷むが如く、思召し給ふが故に、何れの君主も皆時代に応じたる、善政を布き給ひて、天意に順応し給ふが故に、御一方として、悪逆無道の君主出で給ひし事無きは当然なり。然りと雖も、我国歴代の至尊は、天祖天照皇大神の、此の豊葦原瑞穂国は、吾児の世々知さむ国と詔り給ひて、全地球の御支配権を、任さし給へる大君に在し坐すが故に、現代の極東日本国のみならず、全世界の人民をも、赤子の如く治め統ベ愛くしみ給ふ御天職の在しませば、仮令、異域の出来事と雖も、責任を帯ばせ給ひ、全世界に於ける主、師、親の全徳を発揮し玉ふ、歴朝の大御心より、当時に於ける異域の悪逆無道の出来事までも、一身に引受け、異域の悪王の所行と雖も、之を見直し、聞直し、詔直し玉ひて、千座の置戸を負はせ給へる、尊き忝なき御神慮には、日本臣民は言ふも更なり、外国の臣民たりとも、感泣せざるを得ざる大御心と、仰ぎ奉りて、猶余りありと謂ふべし。然る深遠なる、大慈大悲の御神慮の御在します事を、奉解し能はざる、群盲象評的の似而非国学者輩頻出して、尊厳無比なる、皇祖皇宗の御遺訓なる古典を誤解し、武烈天皇紀の御事跡に対して『斯の如ぎ大悪逆を為し給ひし大君も、崩御し給ふまでは、臣下に誰一人、これを弑し奉らむと思ふ者無く、天皇と仰ぎ奉りたるは、君臣の名分定まりては、妄りに動かし難き、風土の然らしむるに由るなり』など論ずるは、寧ろ古典を汚す、不忠不敬の盲目学者と謂ふベし。吾年来主唱せる皇道大本の解説は、皇祖皇宗の大御心を奉体して、弁明を降し奉るものなれば、前人未解の真意義を解し、以て全世界を、精神的に改造し神皇の洪大なる御恩徳に、浴せしめむとするに在るのみ。

皇道の本義
 世俗往々にして、我々の宣伝する皇道を目して、現代の所謂十三派の神道宗教と同一視し、以て神聖なる皇祖皇宗の御遺訓を奉釈する皇道大本と、宗教との根本的解釈に迷へる者多きは、実に斯道の為に慨嘆禁ずる能はざる所なり。吾人は茲に、皇道と神道との区別を略述し、世の誤解を解き、我国体の精華を根元的に明瞭ならしむるの、最大急要事たるを自覚する者なり。
 皇道の本義は、畏くも万世一系の皇統を継承し給ひて、日本神国に君臨し、地球上に於ける、主、師、親の三徳を具備し給ふ、天津日継天皇が天下を安国と平けく知食し給ふ、乾霊授国の御本旨を達し給ふ。御経綸の神法神則を、皇道と称ヘ奉るなり。然り而して、綾部の皇道大本は、皇祖皇宗の御遺訓を、皇国固有の言霊学の上より、将又大本開祖二十七年間の、神諭の御精神より真解を施し、我国民をして、皇道の大本を知悉せしめむとする、惟神の霊府にして、直ちに皇道実現実行の、首府と謂はむは非なり。如何んとならば、皇道の御実現御実行なる神業は、畏くも一天万乗の至尊の御天職に在し坐すが故なり。我臣民たるものは、只々皇道の大精神、大本元を会得し、以て上御一人の御天職を忝なみ、神国臣民たるの本分を尽し、神と皇上との洪恩に報い、天津誠の神教を遵奉し、麻柱の大道を守り、忠良の臣民と成るの心掛けを、片時も忘却すべからざるなり。要するに皇道とは、畏くも天津日継天皇が天下を治め給ふ、御政道の意義にして、皇道大本は其意義の大本を根本的に奉釈し、天下万民をして、皇国々体の尊厳無比なる真理を了得せしめ、忠孝両全の日本魂を涵養し、練磨せしめむとする教庭なり。

 謹んで皇道の根本、皇祖の御遺訓、皇典古事記の内容を按ずるに、古事記上巻、
 『是を以て白したまふ随に、日子番能邇々芸命に詔科せて、此の豊葦原水穂国(全地球の総称)は、汝知さむ国なりと言依し賜ふ。故命の随に天降りますべしと詔たまひき。
 爾に日子番能邇々芸命、天降りまさむとする時に、天の八衢に居て、上は高天原を光し、下は葦原の中津国を光す神是に有り。故爾に天照大御神、高木の神の命以ちて、天之宇受売神に詔りたまはく、汝は手弱女なれども伊向ふ神と面勝神なり。故専ら汝往きて問はむは、吾が御子の天降りまさむとする道を、誰ぞ如此て居ると問へと詔りたまひき。故問はせ賜ふ時に答へ白さく。僕は国つ神、名は猿田毘古神なり。出で居る所以は天津神の御子天降りますと聞きつる故に、御前に仕へ奉らむとして参向へ侍るぞと白したまひき。爾に天の児屋命、布刀玉命、天の宇受売命、伊斯許理度売命、玉の祖命、併せて五伴緒を支り加へて天降りまさしめたまひき』

 以上古事記の御遺訓は、万世一系の天津日継天皇が、世界万国を平けく安らけく知召させ給ふ、天理(教育)人道(政治)の要義、即ち皇道の大本源を示し給へる神勅にして、幽遠微妙の神理あり。普通文章的の解釈にては、容易に其の内容の本義を窮知する事難く、偏に我皇国に幸ひ助け、天照り生ける、言霊の真解に依らざる可らざる神文なり。
 古今の大学者、大哲人と唱へらるゝ輩は、上文の天降ります段を以て、空中より地上へ降らせ給ひしと解説し、或は亜細亜大陸より渡来の意義ならむなど、誤解したるは、実に憫笑の至りならずや。実に天津日継の御皇統は、世界人類発生以来、根本的に日本国に、弥栄えに栄え在し坐す事実は、皇典古事記の御内容を闡明し、実地を踏査する時は、最も明確に、判明する事を得るなり。何れも皆天津日継天皇が、天祖天照大御神の御神勅に依り、世界御経綸の要旨を、明示し玉ヘる神文なり、次に、

 『於是其の祷ぎし八尺曲玉、鏡、及草薙劔、亦常世の思兼神、手力男神、天の岩門別神を副へ玉ひて詔り玉ひつらくは
 此の鏡は専ら我魂として吾が御前を拝くが如、斎き奉りたまヘ。次に、思金神は御前の事を取持ちて為政たまヘと詔りたまひき。
 此の二柱の神は、さくくしろ、五十鈴の宮に、拝き奉る。次に登由宇気神、此は外宮の度相に坐す神なり。次に天之石門別神、亦の名は櫛石窓神、亦の名は豊石窓神とも謂す。此の神は御門神なり次に手力男神は佐那県に坐せり』下略
 以上の御本文に由るも、皇道の国家経綸を、運用する大基本を示し給へるを知る可く、其の大要を奉解せば、
(一)思兼神の本質は、天理(教育)と人道(政治)の本末を、正しく結び定むる活用を保有し玉ひ、
(二)佐久々斯侶伊須受能宮と謂ふは、皇祖皇宗の御神勅を稟け奉りて、天津日継の重要なる経綸を、結び定むる神庭の意義なり。
(三)登由宇気神と謂ふは、天賦の国の徳性と、人の徳性の本末を糺す、活用を保有し給ふ意義なり。
(四)坐外宮之度相神也と謂ふは、国家人心安穏に、天賦の国土を経綸して、子孫益々栄え、天賦の人の徳性を顕現せしむる活用を、保有し玉ふ地なる事を謂ふなり。
(五)天之石門別神と謂ふは、世界各国に、国魂相当の分限を守らしむる活用の謂なり。
(六)櫛石窓神と謂ふは、世界各国が等しく、異れる国魂の大造化力の機関たる、活用を保有する事を顕はす意義なり。
(七)豊石窓神と謂ふは、天賦の国土の天職と、人の天職を明亮にして、世の活用を司る機関、即ち天地経綸の司宰者たる、人生の本義を保たしむる活用の意義なり。
(八)御門神と謂ふは、天賦に保有せる気界及び動植物等の適当なる運用を定め、天賦の国家経綸の活用を司らしむる神業の意義なり。
(九)手力男神と謂ふは、世界を籠め結ぶる所の、智力を保ち給ふ意義なり。
(十)佐那県座也と謂ふは、人が天賦に生れ出たる、各自の国土を経綸する、性質を保ち居る意義にして、各国ともに国魂相応の天賦に順ひたる、世の活用を結び定むる事の神文なり。

 斯くの如く広大にして深遠なる、厳粛なる、国家経綸の神業を総称して、皇道とは謂ふなり。即ち皇道とは、天津日継の教育と天津日継の経綸を統ベ玉ひて、天下を平かに治め玉ふ、惟神の大道なり。
 斯の皇道、即ち惟神の大道を実行し玉ふ時代には、国に天災地変無く、人畜に病災無く、政争跡を絶ち戦乱起らず、人に盗欲の心無く、生活に困難を来さず、社会的の不平も無く、生死往来の真理は、実に日月の如く明かなるが故に、男女老幼共に、各自天賦の霊能を発揮して、人生の天職を全うし、各天賦の幸福を楽みて、天国の生活を為すに到らば、是れ皇道実現の神世なり、極楽の世界なり、天之岩戸開きなり、五六七の大神出現の世なり。彼の孔夫子が『天下道あれば、即ち礼楽征伐天子より出づ。(中略)天下道あれば、即ち庶人議せず』と言ヘるは実に至言なりと雖も、憐むベき哉、彼等の国体は言ふ可くして、実行し得られざる国体なるが故に、徒らに治乱興廃を繰返しつゝ、其理想の出現し、且つ成功せし事未だ例なし。其所以は、地球即ち全世界を統轄する天職を帯ばせ玉へる、天子即ち天皇は、日本皇国より外には在し坐ざるが故なり。
 実に斯の尊厳なる皇道を実現して、世界の師範と成り玉ふべき天皇の御鴻業を、国民一致赤誠を以て輔翼し奉り、皇運を宇内に発揚し奉るは、皇国の国体なり矣、畏れ多くも皇道の実現実行の御天職は、上御一人に在らせられ、又日本臣民の一大努力を要すベき重大責任たるなり。是即ち天祐を保全し、万世一系の皇統を保ちて、世界を統轄するを天職と成し給ふ所以にして、天皇の自ら主宰し給ふ国家経綸を、皇道と称し奉る所以なり。

神道の本義
 吾人は進んで神道の本義に移らむとす。即ち神道とは、世界各国に行はれつゝ在る宗教に対しての名称なり。今茲に論題と為したる目的は、日本皇国に於ける神道の事を以て、先づ標的となすものにして、古来神道宗教家なるものゝ本尊として、敬拝尊崇せる神々の御性格が、各別々に発揮せられ、明確に説明せられ、的確に実行されあるや、大に疑問とすべき所なり。現今日本国に於ける、神道宗教の十三派を通じて、各奉斎する神々の本質を闡明して、真個国体の精華を発揮せるものありや、頗る疑はしき次第なり。彼の天理教は、十柱の神を主神として、之を天理王尊と称へ、八埃の教を説き、神の御活動を説くと雖も、寧ろ現代に活躍すべき神理に薄き感あり。黒住教は、皇祖天照大御神を主神とし、金光教は、天地金の大神と総称する三神を本尊となし、御嶽教は、国常立尊、大己貴命、少名彦命の三神を主神として敬拝すと雖も、未だ以て神々の御本質を明確に説かず。其他の神道宗教の教理及び祭神も、亦個々別々にして、一も統一せるもの無く、却つて神道の尊厳を汚濁するものと謂ふべし。

第四章 神祗の奉斎
 皇国の大道は、神祇を奉斎するを以て最要とす。而して斎に二法あり、曰く顕斎、日く幽斎、之れなり。道の大原に曰く『幽斎は霊を以て霊に対し、顕斎は形を以て形に対す。故に幽斎は神像宮社無し、而して真神を祈る。顕斎は神像宮殿有り、而して神像を祭る俗学蒙昧にして古義を知らず、混じて以て一と為し、岐して以て万と為し、停止する所無し。実に祭儀の大疵なり』と。然りと雖も、顕斎にして幽斎ならざるも非なり。幽斎にして顕斎ならざるも亦非なれば、祭祀の大道は、一方に偏執せざるを以て中道と謂ふ可し。吾人は茲に慎んで、顕斎即ち祭祀、幽斎即ち祈願の大道を講明し、以て大方の参考に資せむと欲す。

 祭祀
人は祖に本づき、祖は神に本づく。故に人の道たる報本反始を貴ぶ、報本反始、是れ祭祀の由りて興る所なり。恭しく、上古祭祀の興りを稽ふるに、天祖の天孫を下土に降すや、之に宝鏡を授け、以つて斎鏡と為し給ひ、また天之児屋根命、天之太玉命に勅して、神籬を持ち、以つて下土に降して、天孫の為めに之を奉斎せしめ給ふ。是れ祭祀の興る所なり。天孫既に宝鏡を奉じ以て下土に降り、児屋根、太玉二神をして各其職を奉じ、天上の儀に遵ひ、以て祭祀の礼を行はしめ給ふ。此の時に当り、天祖天に在して下土を照臨し玉ひ、天孫群臣を牽ゐて誠敬を下に尽す。祭政維一治むる所の天職、代る所の天工、一として天祖に事ふる所以に非ざるもの無く、天を敬ひ祖を尊び、以て其の民に臨み玉ふ。是に於て乎、君臣の分定まり、父子の親敦し。至恩内に隆くして大義外に明かなり。是れ天孫の国を建て、基を開き玉ひし所以の太端なり。神武天皇の御宇に及びて、親ら天下を平定し給ひ、霊疇を鳥見山に立て、以て皇祖天神を奉祭し給ひ、崇神天皇は深く神祗を敬畏し、殿内より之を外に移し、天祖を笠縫の邑に祭り、天下蒼生と共に是を敬事尊奉し給ひ、垂仁天皇位を嗣ぎ玉ひ、詔を下して曰く、『先皇神祗を礼祭し以て昇平を致し玉ふ、朕が世に当りて祭祀を怠るを得ず』と、乃ち倭姫命に命じて、天祖鎮座の地を求めて、笠縫の邑より諸国を経て、以て伊勢に至り、神勅を奉じ、宮殿を五十鈴川の上に創建し玉ふ。此の事、今を距る既に一千九百五十有余年なり。而して宮城移らず、殿閣巍然として神徳愈々高大無限なり。鳴呼盛なる哉。垂仁帝の後列聖相承け、敬事怠り玉はず、祭祀の礼倍々備はれり。光仁天皇の勅に日く『神祗を祭祀するは国に大典なり』と。禁秘御抄に曰く『禁中の作法、神事を先にし他事を後にす』、右大臣石川麻呂曰く『先づ神祗を祭り、而して後政事を議る』と。此を以て、皇室歴世祭祀を崇重し玉ひしを見る可し。皇室既に祭祀を尊重し給ふ故に、其の祭祀を掌る者、亦天児屋根、天太玉二臣の後裔なり。児屋根の後に中臣氏たり、太玉の後は斎部氏たり。祭祀の日、中臣天神の寿詞を奉じ、斎部神璽の鏡劔を奉ず。其他百執事、亦皆其の職を嗣ぎ、連葉替へず、駿奔事を承け、当初の礼儀に依り、毫も天祖、祚を伝ヘ玉ひし日に異ること無く、而して君臣皆その初を忘れざるなり。且つ群臣の祖先、亦皆天祖天孫に事へ、民生に功徳あり、列して祀典に在り、而して宗子族人を糾輯し、以て其の祭儀を主どり、入ては以て其祖に孝を述べ、出ては以て大祭に供奉し、子孫継述、万世一日忠孝一に出で、而して政教岐れず、不言の教、無為の化、自ら天下に行はれ、家には忠厚の風あり、人には孝順の俗あり、民は唯天祖を敬ひ、天胤を奉ずるを知るのみ。嚮ふ所一定して異物を見ず、是を以て民志一にして、而して天人合一す。是れ皇統の天壌と与に、相終始して易らざる所以なり。報本反始の義、それ大なる哉。

 祀礼の数五有り。其天祖を祭るは、天を敬ひ祖を尊ぶ所以なり。其の国祖及び豊受姫を祭るは、国土を鎮護し、民生を厚くし玉ふ所以なり。其の山海草木、風火金水、百物の神、及び皇子皇孫、忠臣烈士、世を幸し国家に功労ある者を祭るは、其の功徳に報ゆる所以なり。宮中の八神、座摩等の祭は、天位を保護し、国家を安静ならしむる所以なり。祀典の目に至つては、即ち践祚大嘗祭等、是を大祭と為す。天皇位に即き、大に天祖に報じ玉ふなり。元始祭は天皇親ら、天祖天神及び列聖を祭り以て宝祚の元始を祝し玉ふなり。祈年祭は時令順序を、天下の諸社に祷り玉ふなり。月次祭は庶人の宅神祭の如し。新嘗祭はその義、大嘗会の如くにして、歳々之を行ひ、以て祈年の祭に報賽し玉ふなり。神宮は亦別に、神衣神甞祭あり、以て天祖の嘉穀を頒ち、養蚕を教ふるの徳に報ゆるなり。亦皆中祭と為す。他の大忌、大殿、鎮花、鎮火等の祭皆之を小祭と為す。凡て此の如きもの、皆天に事へ祖を祀り、孝を申べ民を愛する所以にして、一として報本反始の大義に出でざるは無し。夫れ所謂報本反始は、唯に皇室のみに非ず、庶民と雖も、亦宜しく然るベきなり。

 如何とならば、即ち人は祖に本づき、祖は神に本づく、故に人の道たる、報本反始より貴きは無かるべし。吁庶民も、亦豈人の子孫に非ざらんや。父母は我を生み、我を育てゝ、我を長じ、我為に焦慮し、我為に苦労す。夫れ誰か父母なからんや、誰か愛慕の心なからんや。父母没して而して之を祭るは、其の愛慕の心に因りて、以て之が礼を制し、以て其の無極の恩に報ゆるなり。祖宗を祭り父母の心を体し、以て其の恩に報ゆるなり。神祗を祭り祖宗の先に溯り以て其の恩に報ゆるなり、夫れ子孫有れば、即ち必ず父母あり。父母有れば則ち必ず祖宗あり。祖宗有れば則ち神祗有り。試に思へ、末より本を推すに、本亦本有り。本の本を為すものは神祗なり。故に庶人の本、亦皆神に出で、一民として神祗の胤に非ざる者無し。況んや神徳至大にして、神恩の至厚なる、人の世に在る一事一物、悉く神の恩徳に頼る。斯の如くんば、何ぞ夫れ敬祭せざる可んや。蓋し神の数たる八百万在しませり。而して何の神を祭るを以て可となすか。日く、庶民宜しく祭るベき所のもの三有り。曰く天祖なり、国祖なり、産土神なり。夫れ神は、天祖より尊きは莫く、天祖より霊なるは莫らん乎、古往今来、天子庶民を問はず、皆天祖を敬祭せざるは莫し。
 漢人天子に非ざれば、天を祭らずとの見を以て、庶民の天祖を祭る者を論難して、朝典を僣する者と為す。何ぞ知らん、人は祖に本づく。祖は神に本づく、故に神を祭らざる者は、祖宗父母を祭らざると其理を同うす。皇国の習風、漢人の如き陋習無し。その大公至正や斯の如し。

 庶人亦宜しく之を知り、以て天祖を敬祭す可し。国祖は、地球修成の大功有る神なり。凡て地上に生とし生けるものは、其鴻恩を感謝し、以て之を敬祭せざる可らず。産土神は、諸国土地に鎮まり、各其土地に功徳ある者なり。故に其の土地に住する者は、必ず祭らざる可らず。

 又氏神あり、古の時、各其の氏の祖先を祭り、之を氏神と謂ふ。近世に至り、氏神、産土神相混合して弁別し難きものあり。要は皆其土地に功徳ある者、故に産土神に挙げて之を概括するなり。

 庶民亦宜しく、之を知りて以て産土神を敬祭すベし。凡て祭祀の序たる天祖を先とし、国祖是に次ぎ、産土神之に次ぎ、祖宗父母亦之に次ぐ。
 凡そ祭祀の礼には固より其式あり。天祖国祖、産土神及び祖宗父母、各其の祭る所既に異り、故に其の式又同じからず。且つ人には貴賤あり、家には貧富あり。その儀物に於けるや、精粗厚薄、各その分に随ふを可とす。凡て祭祀の儀は、恩徳を報謝する所以にして、福祉を求むる所以に非ず。然りと雖も、祭祀を怠らざる時は、即ち福祉求めずして自ら至る。祭祀を勤めざる時は、即ち禍殃亦求めずして自ら至る。祭祀の道、夫れ忽諸に附す可ん哉。凡そ祭祀の日には、机席杯皿必ず清潔にし、清酒、稲梁、果物、蔬菜、魚鳥必ず清鮮なるを要す。然して後、斎戒沐浴、斎明盛服以て其の礼を行ふ。而して其の要は、即ち誠敬の心を尽すに在り。誠敬の心を尽さずんば、即ち神必ず諾ひ玉はず。苟も能く誠敬の心を尽す時は、則ち神祗、祖宗父母の霊、各其の祭る所に随つて、感応来格し、洋々乎として其の上に在り、其の左右に在り。而して其の福を降し、祉を賜ふこと疑ひ無し。嗟夫れ人は祖に本づき、祖は神に本づく。
 故に人の道たる、報本反始より貴きは莫し。然らば即ち報本反始の義は、庶民たりと雖も、亦宜しく遵奉すベし。焉ぞ独り、皇室のみならん哉。

 祈願
祭祀や、祈願や、二者混じて明かになし難きが如し。請ふ別けて之を論ぜん。宮殿あり拝所ありて儀物を供奉し、以て神恩を報謝す。之を祭祀と謂ひ、儀物を供奉すると否とを問はず、唯其の願望する所を、宇宙万有の主宰に在します、真神、天之御中主大神始め天祖、国祖、並に八百万神に求むる、之を祈願亦は祈祷と謂ふ。祭祀の礼たる、最も重大にして、祈祷の意たる切実なり。吾人は既に前段に於て、祭祀を論じたれば、今又此処に祈祷の大意を説かんとす。

 夫れ人誰か罪穢無からん、即ち解除を受け祭祀を勤むと雖も、宜しく誠敬の心を尽し、以て真神に祈願すべし。凡そ道を奉ずる者は、始めより終に至る迄、唯々真神に祈願を為すに依りて徳を成す。その日将に没せんとするに及んでや、至清至美至善至楽の、高天原神園に上るを得る者、尤も祈祷の大徳に頼らざる可らず。是の故に祈祷は、実に吾人の急務にして、少時も、忽諸に附す可らざるものたり。祈祷の義は、唯誠敬の心を尽し、以て神に求むるに在る而已。伏地叩頭発声哀願の如きは、是特に其の外貌のみ。徒らに其の外貌を飾りて、中に誠敬の心無き者、固より既に、慢神の罪を犯すものなり。況ん乎邪心妄行の徒を以て、非理の福を願ひ非分の利を望む者、神豈之に災禍を降さざらんや。是故に祈祷の法は、其求むる所、一に公正の願望に出しむ可し、然る後、其の精誠を以て、上は天に通じ、下は地に徹す。則ち伏地叩頭発声哀願を待ずして、神既に之を享け給ふ矣、且つ夫れ祈願は、独り己が躬の為に非ず、又当に国家師友父母兄弟妻子の為に、祈願す可きなり。国家師友兄弟妻子の為にする者は、大抵公正の願望と為す。但其己が躬のためにする者は、動もすれば、名利逸楽の求に出るを免かれず。若し果して然らんか、則ち必ず神の罰を受けむ。故に己が躬のためにする者は尤も宜しく公正の願望に出べし。公正の願望其の目二有り。一は則ち、生前の安寧を求むるに在り。吾人の愚昧にして微弱なる、たとヘ神前の懺解除の力有らしむるも、亦其の日々犯す所の罪悪、固より又尠しとせず。故に宜しく夙夜神祗に乞ひ、以て其の我罪を、宥恕し給ふことを冀ふべし。

 又宜しく、我の悔悟と信誠を堅くし、而して異端邪説に惑はざるを請ふべし。又宜しく、我の智識を明かにし、而して神典の主旨に通達し得ることを冀ふべし。又宜しく、我をして敬神の大道を践み、而して岐路に陥いらざらしめ給はんことを請ふべし。又宜しく、我をして反躬自省し、而して事物当然の理を失はざらしめ給はんことを冀ふベし。又宜しく、己の胆勇を壮にして、己をして障害艱難に遇うて、其志操を変ぜざらしめ給はんことを求むべし。誠に能く、此の如くならんには、神明必ず之に感じ玉ひて、以て福祉を其の人に賜ふ。是之を生前の安寧を求むと謂ふ。一は即ち、身後の永福を求む。身後の永福は、尤も求め難きものと為す。故に独り悪を改め、善を行ひ、功を立て、過を補ふ可し、又唯々として懇願痛望、以て神の我を救ひ我を憫み、我をして根底の国の苦刑を受けずして高天原に安住するの恩栄を蒙らしめ玉ふことを冀ふべし。是之を身後の永福を求むと謂ふ。此二者己の躬の為になすと雖も、亦皆公正の願望にして、名利逸楽の請に非ず、是実に祈祷の要義なり。

 凡て祈祷は、唯に天主、天祖を主とし、国祖之に次ぎ、他神を主とせず。
 而して天主は幽邃の地、閑静の家を撰み、且神心を澄清にして、一意専念我が心魂の上帝の御許に到ることを、暗祈黙祷すベし。亦天祖国祖を祈るは、宜しく至誠の地を首め、各自の神床に於て為すべし。凡て祈祷は、誠敬の心を専とすと雖も、而も身の礼儀、実に心と相応ずるを以て、其の式亦講明せざるべからず、而して其儀式たるや、唯に簡易なるを貴び、而して繁雑なるを卑しむ。既に幽斎則ち祈願の場に於ては、先づ身体を整へ、瞑目静坐すベし。身体衣服を清潔にすベし。而して後、感覚を蕩尽し邪念を断滅すべし。最初先づ再拝し、次で手を拍つこと二回、天主、天祖、天皇、国祖、産土神の尊号を唱ふるもの三回静粛に、其の願望する所を陳べ畢り、数分間の後、我心魂の神明に感合せしを覚ゆると同時に、又両次拍手し、而して後二拝して止むべし。また祈願の時は晨昏を可と為す。晨時には、則ち神の吾に当日を幸し、吾をして其分を守り、過失無からしめんことを請ひ、昏時は即ち、神の吾の当日を庇護し給ふを謝し、亦当に自ら省み、以て其罪愆を懺ゆ可し。凡そ祈願幽斎の度数たるや、多々益々善なりとす。故に晨昏に止めず、余時と雖も事業の閑暇には、又宜しく祈願幽斎を執行すベし。余時は必ずしも礼式に拘泥せず、造次にも顛沛にも、又皆暗祈黙祷し、而して斯須間断無く、久しきを以て倦まず撓まず、真心を捧げて祈願する時は、神の我を佑助し給ふや必然なり。或人難じて曰く、子の祈祷を論ずるや善し矣。

 然るに人間万事、悉皆神明の御旨に由る。今乃ち祈祷以て其の願望する所を求むるは、豈神旨に悖らずと為す乎。神旨に悖りて祈祷を勤むるは、恐こからずやと。曰く是徒らに其一を知つて、其二を知らざる者也。天祖の天之窟戸に入り給ふや、六合の中、闇黒にして昼夜を弁せず、而して万妖悉く発りき。茲に八百万神惶み惑ひて、殆ど為す所を知らず。是に於て乎、思兼神の智慮に因りて、始めて祈祷を行ひ、以て能く、天祖の怒を解き和らげ、天之窟戸を出し万妖を伏せ、六合の中再び照明を得たるは、是れ祈祷の明験と謂ふベし。然らば則ち、祈願は神旨に戻らず、又何の不可か之れ有らんや蓋し天地の変、猶ほ祈祷に頼りて以て其常に復す。況ん乎人事に於てをや。故に曰く、急務にして少時も忽諸に附すべからざるものは、幽斎乃ち祈祷なり。


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