
今回の長崎旅行のメインイベントは妻所望の軍艦島ツアー。
滞在3日目。前日の午前中は雨でしたが、当日は朝から快晴です。
9時出航のクルーズ船の予約は出来ていますが、8時には長崎港ターミナルに入り、手続きの列に並ぶ…既に並んでいる人がいた。8時10分頃に窓口がオープン。お支払いと必要書類の提出を済ませて、船の近くに行って、乗船の列に並ぶ…これがメインの列。8時40分に乗船開始する頃には長い列になっていました。
我々は先頭から20番目あたり…狙い通り2階席の右側の席を確保できて、奥様ホッと一息。
定刻通り出航。長崎港の見所を案内してくれます。

三菱重工の造船所で組み上げ中の自衛隊の船が数隻あった。カッコいい。
長崎のシンボルの1つ。女神大橋を潜る。巨大客船が潜れるように非常に高い橋です。道は水面から66mの高さにあるようだ。

出航から30分ほどで軍艦島に到着。皆さん興奮状態です。007のSKY FALLでもテロリスト組織の活動場所として扱われた強烈な佇まい。

純度が高く質の良い炭鉱が採掘されたそうで、最盛期の1960年頃には5000人超がここに住んでいた。この小さい島に団地・小中学校・病院もあったとのこと。
島から海底に1000m程の深さまで掘り、島から2km程度離れたところまで採掘していたとか…エネルギ資源の採掘ってのはスゴイ過酷な仕事なんだなと思った。
当時の生活をガイドさんが説明してくれまして、ファインダーから景色を覗きながら、画像を撮っていると…ん??…

知っている人がいるような…えぇー!?…所属している研究会の技術顧問だ。
まさか、同じ観光クルーズ船で、まさか同じ日の同じ時間にぃ??スゴイ偶然。
いくつかの会社や団体の技術顧問とかフェローに就いている方で、スゴイ重鎮なのですが、全然偉そうにしない出来た方なので…邪魔しないように、落ち着いたときにご挨拶させてもらおう。
黙ってツアーを終わるわけにもいかず、ちょっとソワソワしだす。
帰りの船に乗ったら、割りと近くに技術顧問が(たぶん)ご夫妻でいらっしゃったので、出向前にご挨拶させてもらいました。
「ぅえええー!!」と言った感じで、想像した通りの反応で、島で観光中じゃなくて良かった。

帰港する前ですが、既に私の中でいろいろな意味で忘れられないツアーになっていました。
帰港したら、技術顧問と証拠画像を撮らせてもらって、研究会に自慢しなくちゃ…この技術顧問、ホント出来た方でして、全く偉そうにしないのです。スゲー偉いのに。
気持ちを軍艦島・長崎観光に戻りまして、軍艦島について考える。
埼玉にも違う鉱物だけどセメントのお陰で栄えている山の中の秩父がある。都会から離れていても、鉱物採掘都市には人が集まり、経済的にも裕福だ。
物流と経済の視点で考えると、軍艦島は経済的に潤っていたんだろうなと思う。石炭は船に運んだだろうし、その船は空荷で軍艦島にはいかないだろうから、住むために必要なものは揃っていたのだろうな。
島で使う水の話がガイドさんもしていたけど、最初は海水を水に変えてたけど、足りないので船で真水を運んで、最終的には他の島から海底パイプが敷かれまで発展したとか…船で運ぶのは水ではなく、もっと違う物資や人だったのだろうな…必要なライフラインは充実していたんだろうな。
佇まいが強烈な廃墟なだけあって、いろいろな憶測もあるだろうが、きっと多くの人はここで充実した生活を送っていたのだと思う。
工夫の給料は当時の平均的年収よりもずっと高かったらしいし…危険で過酷だっただろうけど、お金になったんだろうなと思う。
いちサラリーマンとして感慨深いところ…それも研究会の技術顧問も来てると思うと…
長崎港に近づくと、綺麗に整備された公園で大きな凧が上がっていた。

この後技術顧問夫妻と我々で簡単な挨拶を交わして、それを研究会のグループLINEに投稿したら大盛り上がり。
いろいろな意味で充実の軍艦島ツアーとなりました。
滞在3日目。前日の午前中は雨でしたが、当日は朝から快晴です。
9時出航のクルーズ船の予約は出来ていますが、8時には長崎港ターミナルに入り、手続きの列に並ぶ…既に並んでいる人がいた。8時10分頃に窓口がオープン。お支払いと必要書類の提出を済ませて、船の近くに行って、乗船の列に並ぶ…これがメインの列。8時40分に乗船開始する頃には長い列になっていました。
我々は先頭から20番目あたり…狙い通り2階席の右側の席を確保できて、奥様ホッと一息。
定刻通り出航。長崎港の見所を案内してくれます。

三菱重工の造船所で組み上げ中の自衛隊の船が数隻あった。カッコいい。
長崎のシンボルの1つ。女神大橋を潜る。巨大客船が潜れるように非常に高い橋です。道は水面から66mの高さにあるようだ。

出航から30分ほどで軍艦島に到着。皆さん興奮状態です。007のSKY FALLでもテロリスト組織の活動場所として扱われた強烈な佇まい。

純度が高く質の良い炭鉱が採掘されたそうで、最盛期の1960年頃には5000人超がここに住んでいた。この小さい島に団地・小中学校・病院もあったとのこと。
島から海底に1000m程の深さまで掘り、島から2km程度離れたところまで採掘していたとか…エネルギ資源の採掘ってのはスゴイ過酷な仕事なんだなと思った。
当時の生活をガイドさんが説明してくれまして、ファインダーから景色を覗きながら、画像を撮っていると…ん??…

知っている人がいるような…えぇー!?…所属している研究会の技術顧問だ。
まさか、同じ観光クルーズ船で、まさか同じ日の同じ時間にぃ??スゴイ偶然。
いくつかの会社や団体の技術顧問とかフェローに就いている方で、スゴイ重鎮なのですが、全然偉そうにしない出来た方なので…邪魔しないように、落ち着いたときにご挨拶させてもらおう。
黙ってツアーを終わるわけにもいかず、ちょっとソワソワしだす。
帰りの船に乗ったら、割りと近くに技術顧問が(たぶん)ご夫妻でいらっしゃったので、出向前にご挨拶させてもらいました。
「ぅえええー!!」と言った感じで、想像した通りの反応で、島で観光中じゃなくて良かった。

帰港する前ですが、既に私の中でいろいろな意味で忘れられないツアーになっていました。
帰港したら、技術顧問と証拠画像を撮らせてもらって、研究会に自慢しなくちゃ…この技術顧問、ホント出来た方でして、全く偉そうにしないのです。スゲー偉いのに。
気持ちを軍艦島・長崎観光に戻りまして、軍艦島について考える。
埼玉にも違う鉱物だけどセメントのお陰で栄えている山の中の秩父がある。都会から離れていても、鉱物採掘都市には人が集まり、経済的にも裕福だ。
物流と経済の視点で考えると、軍艦島は経済的に潤っていたんだろうなと思う。石炭は船に運んだだろうし、その船は空荷で軍艦島にはいかないだろうから、住むために必要なものは揃っていたのだろうな。
島で使う水の話がガイドさんもしていたけど、最初は海水を水に変えてたけど、足りないので船で真水を運んで、最終的には他の島から海底パイプが敷かれまで発展したとか…船で運ぶのは水ではなく、もっと違う物資や人だったのだろうな…必要なライフラインは充実していたんだろうな。
佇まいが強烈な廃墟なだけあって、いろいろな憶測もあるだろうが、きっと多くの人はここで充実した生活を送っていたのだと思う。
工夫の給料は当時の平均的年収よりもずっと高かったらしいし…危険で過酷だっただろうけど、お金になったんだろうなと思う。
いちサラリーマンとして感慨深いところ…それも研究会の技術顧問も来てると思うと…
長崎港に近づくと、綺麗に整備された公園で大きな凧が上がっていた。

この後技術顧問夫妻と我々で簡単な挨拶を交わして、それを研究会のグループLINEに投稿したら大盛り上がり。
いろいろな意味で充実の軍艦島ツアーとなりました。
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