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浄土真宗・他力信心の境地

「他力信心のお味わい」を「お聖教の引用」ではなく「私の言葉」で書き連ねています。

「親鸞会」(親鸞学徒)の「お正月」について考えてみました

2022-01-03 05:35:53 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

・・・ってコトで!!

予告通り!!

 

「元旦」の「一応!爽やかな雰囲気」と一線を画した・・・

「正月らしからぬ」

「おめでたい雰囲気」をぶち壊す

「二発目の記事♡」

・・・を書き綴っていきたいと思いま~~~す。。。(= ̄∇ ̄=) ニヤニヤ~♪

 

 

えっと。。。

 

「2022年 二発目のテーマ」は・・・

【浄土真宗親鸞会(親鸞学徒)のお正月】

についてです!!( ̄ー ̄)ゞ-☆ ビシッ!

 

まず最初に!!

わたくし「れおん」は「1995年~2020年の8月末」まで「浄土真宗親鸞会」に在籍していました。。。

で!!

そこでは「絶対に言ってはならない言葉」っつ~のがいくつかありまして。。。

そのうちの1つに・・・

「親鸞学徒」は・・・

「お正月」に「明けましておめでとう」と言ってはならない!!

というモノがあるのですが。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

まぁ、「明けましておめでとう」がダメなら「HAPPY NEW YEAR」も当然「NGワード」になるワケで・・・。

「親鸞学徒」は必ず「謹賀新年」かもしくは「賀正」を使うように!!(`・д・´)ノ

・・・と、

そのように「学生時代」から「学生部の講師の方」やら「高森M氏の座談会あたり」で、

めっちゃくちゃ「指導」を受けてきました。。。(´・ω・`)ショボーン

 

工エー=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)!? なんで?

 

・・・って、理由はカンタン!!

 

「後生は一大事」だからさ。。。(ー∀ー;)アセアセ・・・

 

「浄土真宗親鸞会」では、

「善因善果(善因楽果)」「悪因悪果(悪因苦果)」

そして、上述プラス「自因自果」と教えられ・・・

 

「今生で罪悪を造りどおしの私たちは、一息切れれば、死後に大変な苦しみを受けることになる!!」

 

というコトで!!

「ご法話」のときには「臨済宗大徳寺禅僧 一休宗純」の「短歌」を出されて!!

「門松や(は) 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

・・・と「高森会長」から畳みかけられ。。。

↓↓↓↓↓

世間では、新年を迎えると「お祝いムード」で、

「明けましておめでとう♡(≧∇≦)ノ」

・・・とは、言ってはいるけれど。。。

「元旦の門松」ってのは、

「一年」そして「また一年」・・・と、着々と「死に近づく」

「冥土の旅(死後の世界)」への「道程の目印」

なんだから!!

アンタたちは、ソレわかって言ってんの?

アンタたちは、ソレのどこがおめでたいの?

・・・という「キョーレツな皮肉だよ!」

・・・と説明をした後に。。。(´・ω・`)ショボーン

 

((・・・ここからは「高森会長」お決まりの。。。))

「だから君たちはダメなんだー!!Σ(`△´#)コリャ!」

・・・と、壇上から参詣者を見下ろして叱咤するパターンに入るんですよねぇ。。。(-ω-;)

 

( ^ω^)・・・。

 

そんでもって!!

ここからは、さらにエスカレートしちゃってさ。。。((((;゚Д゚))))ガクブル

なぜか「信心決定」したヒト以外は「おめでとうございます」と言ってはならない!!

「会員さん」には「極端な言論統制」を強いて。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

逆に!!

「元旦や おめでたいとは 金剛の 信を獲たる 人にこそあれ」

と言えるのは、「唯一無二の善知識」の「高森会長」だけだ~ぁ!!

「高森会長」には「極端な賛美」をして。。(lll-ω-)ズーン

 

そうやって「親鸞会」で叱られ続けた「親鸞会」の「会員さん」は?・・・というと、

↓↓↓↓↓

「お正月」という日は!!

「まだ信心決定できない」「この身を懺悔」する「一里塚」とし、

とにかく「信心決定」するために!!

さらに「無常」と「罪悪」を取り詰めて「自身の機を責めて救われよう!」

と、常に悲壮感漂う「切羽詰まった人たちの集団」となっていったんだよなぁ。。。

 

 

・・・ってな感じで。。。

過去の「れおん」自身を振り返ってみると・・・

まぁ、だいたいの会員さんは、そんな似たような心境だったと記憶しています。。。(´・ω・`)ショボーン

 

・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・。

( ^ω^)・・・。って、やべっ!

 

ついつい「昔を思い出して」話が脱線してしまいました。。。

えっと・・・。

「高森会長」の「壇上からの叱咤」はとりあえず置いておいて・・・。

 

ここからが「本題」です!!(`・ω・́)ゞ

 

「一休宗純の短歌」そして「高森会長のご法話」・・・の、

「門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

は、正しいのか正しくないのか? と言えば・・・

もちろん!!

・・・ってか当然のコトながら!!

 

そのとおり!!

でございますよ・・・。,,,( ̄^ ̄゜)

そして、ぐうの音も出ないっす・・・。( ;∀;)ノ

そんな、どうしようもない「わたし自身」ですよ。。。|||(-_-;)||||||どよ~ん

 

 |||_| ̄|○i|||| ズーン…

 

 

じゃぁ!!

 

「「親鸞会」の「後生の一大事」は間違ってないじゃん?」

「「親鸞会」の「教義」は、ゼンゼン問題ないよね?」

・・・って、言われると。。。

う~~~ん・・・。

そこは、また、ビミョーなところでさ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

じつは、「この件の論点」は【教義の内容】じゃなくってさ。。。

 

「親鸞会」の「高森会長」の間違いの「本質」は!!

「後生の一大事」が「正しいか?正しくないか?」

ではなく

「後生の一大事」を「誰に説くか?」

・・・が「ずれているところ」なんですよ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

なので、結論は。。。

「高森会長」は「後生の一大事」を説く相手がわかっていない!

すなわち

「高森会長」は「対機説法」のけじめがついていない!

ってコトなんだよねぇ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

だってさ。。。

 

「重要」だから「れおん」は何度も言うけれど・・・

「仏教全般に通じる大前提」として!!

すべての人に

「後生に大変な一大事がある」のは「まぎれもない事実」

なのよ。。。(´・ω・`)ショボーン

「死ぬ」原因は「病気」や「事故」じゃないのよ。。。

「死ぬ」原因は「生まれたコト」なのよ。。。

それって「全生物」が対象じゃん!!

もう、これは、どうしようもないコトなのよ。。。( ;∀;)ノ

 

だから・・・

「門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

・・・もそのとおりだし。。。

「元旦や おめでたいとは 金剛の 信を獲たる 人にこそあれ」

・・・もそのとおり。。。

 

でも・・・。

「じゃぁ、やみくもに「後生の一大事」説けばよいのか?」

・・・って言われると、やっぱり、そうじゃないんだよなぁ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

・・・って言うのはさ。。。

 

「浄土真宗親鸞会」の「熱心な」「会員さん」ってのはさ。。。

もう「後生の一大事」が「我がゴト」となって!!

「なんとか助かりたくて」「必死になっているヒトたち」だからさ。。。

そういうヒトには・・・

【助からない私の姿】「後生の一大事」(機)

じゃなくって、

【必ず助ける弥陀の本願成就】「弥陀のお救い」(法)

を説かなきゃならない! んだよ。。。

 

「後生の一大事」が「我がゴト」となって「苦しんでいるヒト」に、

門松は冥土の旅の一里塚だー!!

めでたくもありめでたくもなしだー!!(`・д・´)ノ

・・・って、お説教を繰り返すのは。。。

もうこの先は「堂々巡り」だよ。。。

それは「ただの迷走」そして「ただの機責め」。。。

「機責めの延長線上」に「弥陀のお救い」はないし・・・

それにはもう・・・意味がない・・・。( ;∀;)ノ

 

だから!!「親鸞会教義」は!!

「入口」はあっても「出口」がないんだよ!!( ;∀;)ノ

それは「親鸞聖人の説かれる弥陀のお救い」じゃないんだよ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

((「ファミコン」の「スーパーマリオブラザーズ」「7-4面」の「無限ループ」っす。。。( ;∀;)ノ))

 

だからさ。。。

「門松や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」

・・・の「短歌」はさ。。。

「誰が対象か?」ってコトが重要なんだ。。。

 

これはさ。。。

「この世さえ楽しければ、ど~なってもいいよ~♡」

・・・っつー「快楽主義」の「闡提の機」に言っているんだよ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

だから「仏教を聞き初め」の「ご縁の浅いヒト」には、

「後生の一大事」を大いに説けばイイ!んだよ。。。

そこは「浄土真宗親鸞会」は「正しい」んだよ。。。

 

まぁ、「浄土真宗親鸞会」の「大学でのステルス布教」は「詐欺行為」だから「NG」なんだけれど・・・。

でも・・・。

「浄土真宗親鸞会」の「新入生勧誘合宿の内容」は、もう、仏法を聞く導入部としてはカンペキだよ。。。

 

「れおん」は・・・

「浄土真宗親鸞会」の「大学のサークル勧誘のマニュアル」はさ、

今でも、あれは「カンペキな布教プログラム」だったと思っているよ。。。

あれがなかったら、今ごろ・・・

「後生の一大事を気にしない」で!

「こ~んなノリ♡」のまま「遊び惚けていた♡」

からさ。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

そんでもって!!

「本願寺」の「お坊さん」も、ここだけは「親鸞会」を見習ったほうがイイと思うぞ!!

(๑•̀ㅂ•́)و✧✧ 葬式・法事仏教だけじゃダメだぞ~!!

 

でも!!

もう「後生の一大事」が「我がゴト」で!!

「地獄に堕ちるコトが苦しくて苦しくて、なんとか助かりたいヒト」にはさ、

もう「後生の一大事」は「説く必要がない」んだよ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

だってさ。。。

極端な話でさ・・・

今、臨終を迎えるヒトに!

あなたは「後生の一大事」を説きますかねー?

今、死んでいくヒトに!

「アンタは罪悪造って地獄だよ!」って言いますかねー?

 

・・・・・・・・・・・。

 

・・・って、そんなコト言うワケないよね。。。(´・ω・`)ショボーン

 

 

・・・・・・・・・・・。

 

うん。。。

だから、まぁ、そういうコトなんですよ。。。

そこが「高森会長」の間違いなんですよ。。。

 

・・・・・・・・・・・。

 

ってか、「「間違い」っていう言い方」は、ちょっとニュアンスが違うかなぁ。。。( ̄▽ ̄;)ノ

 

「れおん」が思うには。。。

あのヒト(高森会長)って・・・おそらく。。。

結局は「本当の弥陀のお救い」がわからなかったから、

「後生は一大事!」しか言えなかったんだよなぁ。。。

・・・と、確信しております!!(* ̄◇ ̄)b グッ♪

 

なぜなら。。。( ̄∇ ̄+) キラ~ン♪

本当の「他力信心のヒト」ってのはさ。。。

「機」と「法」のけじめがついているからさ。。。

こういう「間違い」は、まずしないんだよねぇ。。。( ̄▽ ̄)v

( ^ω^)・・・・・。

 

・・・ってコトで!!

 

((最後にすこ~し脱線します。。。(^▽^;)ノ))

 

「親鸞会」を脱会したヒトの中には・・・

「全ての人間が「極悪人」というわけではありません。」

「善人もいれば悪人もいるというのが人間の世界です。」

「そのため全ての人が等しく地獄へ落ちるとは説かれていません。」

・・・という

「後生の一大事」は「誰のコトを言われた」のか?

・・・が、まったくわからず救われてしまった

「素っ頓狂な他力信心のヒト」

・・・もいらっしゃるみたいですが・・・。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

「弥陀五思惟の願」(法)も!!

「それほどの業をもちける身(後生の一大事)」(機)も!!

「わたし一人」がためなりけり!!

ですぞ!!(*`・ω・)ゞ

 

なので、これがわかっていない「素っ頓狂な他力信心の行者さん」にとっては、

「全ての人間が「極悪人」というわけではありません。」

・・・って言っちゃう時点で、「後生の一大事」が「すでに他人事」で。。。(´・ω・`)ショボーン

「善人もいれば悪人もいるというのが人間の世界です。」

・・・の、「善悪の判断基準」が「すでに自力目線」で。。。(´・ω・`)ショボーン

「そのため全ての人が等しく地獄へ落ちるとは説かれていません。」

・・・の「他力信心のお味わい」が「すでに完全な自己都合」になっている・・・んですよねぇ。。。( ;∀;)ノ

 

╮(︶﹏︶")╭ ハァ…

 

・・・ってコトで、「後生の一大事」も「他人事」なら

「弥陀のお救い」も「他人事」。。。( ;∀;)ノ

 

た~くさんの「お聖教」を読んで、いろ~んな「お言葉」を知っていても。。。

その「お言葉」を「他人事」で読んだり聞いたりしているから、

「れおん」には、や~っぱり、こんな感じ見えてしまうんですよねぇ。。。(^▽^;)ノ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

・・・・・・・・・・。

 

シーー( ̄、 ̄*)ーーン・・・。

 

なんつーか・・・

「経・論・釈」の「お言葉」に「似せて」はいるんだけれど。。。

結局は「自分」→「他人」で物事を捉えているから。。。

「他力信心」に見せかけた「自力信心」で。。。

なんつーか・・・

「れおん」にとっては、それは・・・

「かげろう信心」とか「蜃気楼信心」

・・・のように見えてしまうんですよねぇ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

やっぱり・・・「阿弥陀様のお救い」に出遇うまでには、

「親鸞会の中」も!「親鸞会の外」も!

いろ~んなトラップがあるなぁ・・・と、しみじみ感じてしまいましたとさ。。。

 

『ああ弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。

たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。』(親鸞聖人 教行信証総序)

 

・・・・・・・・・・・。

 

じつは・・・。

「縁」って、すっごく大事!なんだよね~。。。( ;∀;)ノ

今まで・・・「紆余曲折」あったけれど・・・。

「れおん」は、なんの「縁」あってか、

いろ~んな方々のお導きで、本当の「阿弥陀様のお救い」出遇うコトができて、

マジで良かったっす。。。( ;∀;)ノ

 

 

・・・ってか、今思うと、

すげぇ「障害物競走」だったよなぁ。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

・・・としみじみ感じましたとさ。。。(^▽^;)ノ

 

 

なもあみだぶつ ⤵ ;;(∩´~`∩);;