・・・ってコトで!!
予告通り!!
「元旦」の「一応!爽やかな雰囲気」と一線を画した・・・
「正月らしからぬ」
「おめでたい雰囲気」をぶち壊す
「二発目の記事♡」
・・・を書き綴っていきたいと思いま~~~す。。。(= ̄∇ ̄=) ニヤニヤ~♪
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えっと。。。
「2022年 二発目のテーマ」は・・・
【浄土真宗親鸞会(親鸞学徒)のお正月】
についてです!!( ̄ー ̄)ゞ-☆ ビシッ!
まず最初に!!
わたくし「れおん」は「1995年~2020年の8月末」まで「浄土真宗親鸞会」に在籍していました。。。
で!!
そこでは「絶対に言ってはならない言葉」っつ~のがいくつかありまして。。。
そのうちの1つに・・・
「親鸞学徒」は・・・
「お正月」に「明けましておめでとう」と言ってはならない!!
というモノがあるのですが。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
まぁ、「明けましておめでとう」がダメなら「HAPPY NEW YEAR」も当然「NGワード」になるワケで・・・。
「親鸞学徒」は必ず「謹賀新年」かもしくは「賀正」を使うように!!(`・д・´)ノ
・・・と、
そのように「学生時代」から「学生部の講師の方」やら「高森M氏の座談会あたり」で、
めっちゃくちゃ「指導」を受けてきました。。。(´・ω・`)ショボーン
工エー=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)!? なんで?
・・・って、理由はカンタン!!
「後生は一大事」だからさ。。。(ー∀ー;)アセアセ・・・
「浄土真宗親鸞会」では、
「善因善果(善因楽果)」「悪因悪果(悪因苦果)」
そして、上述プラス「自因自果」と教えられ・・・
「今生で罪悪を造りどおしの私たちは、一息切れれば、死後に大変な苦しみを受けることになる!!」
というコトで!!
「ご法話」のときには「臨済宗大徳寺禅僧 一休宗純」の「短歌」を出されて!!
「門松や(は) 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
・・・と「高森会長」から畳みかけられ。。。
↓↓↓↓↓
世間では、新年を迎えると「お祝いムード」で、
「明けましておめでとう♡(≧∇≦)ノ」
・・・とは、言ってはいるけれど。。。
「元旦の門松」ってのは、
「一年」そして「また一年」・・・と、着々と「死に近づく」
「冥土の旅(死後の世界)」への「道程の目印」
なんだから!!
アンタたちは、ソレわかって言ってんの?
アンタたちは、ソレのどこがおめでたいの?
・・・という「キョーレツな皮肉だよ!」
・・・と説明をした後に。。。(´・ω・`)ショボーン
((・・・ここからは「高森会長」お決まりの。。。))
「だから君たちはダメなんだー!!Σ(`△´#)コリャ!」
・・・と、壇上から参詣者を見下ろして叱咤するパターンに入るんですよねぇ。。。(-ω-;)
( ^ω^)・・・。
そんでもって!!
ここからは、さらにエスカレートしちゃってさ。。。((((;゚Д゚))))ガクブル
なぜか「信心決定」したヒト以外は「おめでとうございます」と言ってはならない!!
と「会員さん」には「極端な言論統制」を強いて。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
逆に!!
「元旦や おめでたいとは 金剛の 信を獲たる 人にこそあれ」
と言えるのは、「唯一無二の善知識」の「高森会長」だけだ~ぁ!!
と「高森会長」には「極端な賛美」をして。。(lll-ω-)ズーン
そうやって「親鸞会」で叱られ続けた「親鸞会」の「会員さん」は?・・・というと、
↓↓↓↓↓
「お正月」という日は!!
「まだ信心決定できない」「この身を懺悔」する「一里塚」とし、
とにかく「信心決定」するために!!
さらに「無常」と「罪悪」を取り詰めて「自身の機を責めて救われよう!」
と、常に悲壮感漂う「切羽詰まった人たちの集団」となっていったんだよなぁ。。。
・・・ってな感じで。。。
過去の「れおん」自身を振り返ってみると・・・
まぁ、だいたいの会員さんは、そんな似たような心境だったと記憶しています。。。(´・ω・`)ショボーン
・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・。
( ^ω^)・・・。って、やべっ!
ついつい「昔を思い出して」話が脱線してしまいました。。。
えっと・・・。
「高森会長」の「壇上からの叱咤」はとりあえず置いておいて・・・。
ここからが「本題」です!!(`・ω・́)ゞ
「一休宗純の短歌」そして「高森会長のご法話」・・・の、
「門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
は、正しいのか正しくないのか? と言えば・・・
もちろん!!
・・・ってか当然のコトながら!!
そのとおり!!
でございますよ・・・。,,,( ̄^ ̄゜)
そして、ぐうの音も出ないっす・・・。( ;∀;)ノ
そんな、どうしようもない「わたし自身」ですよ。。。|||(-_-;)||||||どよ~ん
|||_| ̄|○i|||| ズーン…
じゃぁ!!
「「親鸞会」の「後生の一大事」は間違ってないじゃん?」
「「親鸞会」の「教義」は、ゼンゼン問題ないよね?」
・・・って、言われると。。。
う~~~ん・・・。
そこは、また、ビミョーなところでさ。。。(´・ω・`)ショボーン
じつは、「この件の論点」は【教義の内容】じゃなくってさ。。。
「親鸞会」の「高森会長」の間違いの「本質」は!!
「後生の一大事」が「正しいか?正しくないか?」
ではなく
「後生の一大事」を「誰に説くか?」
・・・が「ずれているところ」なんですよ。。。(´・ω・`)ショボーン
なので、結論は。。。
「高森会長」は「後生の一大事」を説く相手がわかっていない!
すなわち
「高森会長」は「対機説法」のけじめがついていない!
ってコトなんだよねぇ。。。(´・ω・`)ショボーン
だってさ。。。
「重要」だから「れおん」は何度も言うけれど・・・
「仏教全般に通じる大前提」として!!
すべての人に
「後生に大変な一大事がある」のは「まぎれもない事実」
なのよ。。。(´・ω・`)ショボーン
「死ぬ」原因は「病気」や「事故」じゃないのよ。。。
「死ぬ」原因は「生まれたコト」なのよ。。。
それって「全生物」が対象じゃん!!
もう、これは、どうしようもないコトなのよ。。。( ;∀;)ノ
だから・・・
「門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
・・・もそのとおりだし。。。
「元旦や おめでたいとは 金剛の 信を獲たる 人にこそあれ」
・・・もそのとおり。。。
でも・・・。
「じゃぁ、やみくもに「後生の一大事」説けばよいのか?」
・・・って言われると、やっぱり、そうじゃないんだよなぁ。。。(´・ω・`)ショボーン
・・・って言うのはさ。。。
「浄土真宗親鸞会」の「熱心な」「会員さん」ってのはさ。。。
もう「後生の一大事」が「我がゴト」となって!!
「なんとか助かりたくて」「必死になっているヒトたち」だからさ。。。
そういうヒトには・・・
【助からない私の姿】「後生の一大事」(機)
じゃなくって、
【必ず助ける弥陀の本願成就】「弥陀のお救い」(法)
を説かなきゃならない! んだよ。。。
「後生の一大事」が「我がゴト」となって「苦しんでいるヒト」に、
門松は冥土の旅の一里塚だー!!
めでたくもありめでたくもなしだー!!(`・д・´)ノ
・・・って、お説教を繰り返すのは。。。
もうこの先は「堂々巡り」だよ。。。
それは「ただの迷走」そして「ただの機責め」。。。
「機責めの延長線上」に「弥陀のお救い」はないし・・・
それにはもう・・・意味がない・・・。( ;∀;)ノ
だから!!「親鸞会教義」は!!
「入口」はあっても「出口」がないんだよ!!( ;∀;)ノ
それは「親鸞聖人の説かれる弥陀のお救い」じゃないんだよ。。。(´・ω・`)ショボーン
((「ファミコン」の「スーパーマリオブラザーズ」「7-4面」の「無限ループ」っす。。。( ;∀;)ノ))
だからさ。。。
「門松や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」
・・・の「短歌」はさ。。。
「誰が対象か?」ってコトが重要なんだ。。。
これはさ。。。
「この世さえ楽しければ、ど~なってもいいよ~♡」
・・・っつー「快楽主義」の「闡提の機」に言っているんだよ。。。(´・ω・`)ショボーン
だから「仏教を聞き初め」の「ご縁の浅いヒト」には、
「後生の一大事」を大いに説けばイイ!んだよ。。。
そこは「浄土真宗親鸞会」は「正しい」んだよ。。。
まぁ、「浄土真宗親鸞会」の「大学でのステルス布教」は「詐欺行為」だから「NG」なんだけれど・・・。
でも・・・。
「浄土真宗親鸞会」の「新入生勧誘合宿の内容」は、もう、仏法を聞く導入部としてはカンペキだよ。。。
「れおん」は・・・
「浄土真宗親鸞会」の「大学のサークル勧誘のマニュアル」はさ、
今でも、あれは「カンペキな布教プログラム」だったと思っているよ。。。
あれがなかったら、今ごろ・・・
「後生の一大事を気にしない」で!
「こ~んなノリ♡」のまま「遊び惚けていた♡」
からさ。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
そんでもって!!
「本願寺」の「お坊さん」も、ここだけは「親鸞会」を見習ったほうがイイと思うぞ!!
(๑•̀ㅂ•́)و✧✧< 葬式・法事仏教だけじゃダメだぞ~!!
でも!!
もう「後生の一大事」が「我がゴト」で!!
「地獄に堕ちるコトが苦しくて苦しくて、なんとか助かりたいヒト」にはさ、
もう「後生の一大事」は「説く必要がない」んだよ。。。(´・ω・`)ショボーン
だってさ。。。
極端な話でさ・・・
今、臨終を迎えるヒトに!
あなたは「後生の一大事」を説きますかねー?
今、死んでいくヒトに!
「アンタは罪悪造って地獄だよ!」って言いますかねー?
・・・・・・・・・・・。
・・・って、そんなコト言うワケないよね。。。(´・ω・`)ショボーン
・・・・・・・・・・・。
うん。。。
だから、まぁ、そういうコトなんですよ。。。
そこが「高森会長」の間違いなんですよ。。。
・・・・・・・・・・・。
ってか、「「間違い」っていう言い方」は、ちょっとニュアンスが違うかなぁ。。。( ̄▽ ̄;)ノ
「れおん」が思うには。。。
あのヒト(高森会長)って・・・おそらく。。。
結局は「本当の弥陀のお救い」がわからなかったから、
「後生は一大事!」しか言えなかったんだよなぁ。。。
・・・と、確信しております!!(* ̄◇ ̄)b グッ♪
なぜなら。。。( ̄∇ ̄+) キラ~ン♪
本当の「他力信心のヒト」ってのはさ。。。
「機」と「法」のけじめがついているからさ。。。
こういう「間違い」は、まずしないんだよねぇ。。。( ̄▽ ̄)v
( ^ω^)・・・・・。
・・・ってコトで!!
((最後にすこ~し脱線します。。。(^▽^;)ノ))
「親鸞会」を脱会したヒトの中には・・・
「全ての人間が「極悪人」というわけではありません。」
「善人もいれば悪人もいるというのが人間の世界です。」
「そのため全ての人が等しく地獄へ落ちるとは説かれていません。」
・・・という
「後生の一大事」は「誰のコトを言われた」のか?
・・・が、まったくわからず救われてしまった
「素っ頓狂な他力信心のヒト」
・・・もいらっしゃるみたいですが・・・。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
「弥陀五思惟の願」(法)も!!
「それほどの業をもちける身(後生の一大事)」(機)も!!
「わたし一人」がためなりけり!!
ですぞ!!(*`・ω・)ゞ
なので、これがわかっていない「素っ頓狂な他力信心の行者さん」にとっては、
「全ての人間が「極悪人」というわけではありません。」
・・・って言っちゃう時点で、「後生の一大事」が「すでに他人事」で。。。(´・ω・`)ショボーン
「善人もいれば悪人もいるというのが人間の世界です。」
・・・の、「善悪の判断基準」が「すでに自力目線」で。。。(´・ω・`)ショボーン
「そのため全ての人が等しく地獄へ落ちるとは説かれていません。」
・・・の「他力信心のお味わい」が「すでに完全な自己都合」になっている・・・んですよねぇ。。。( ;∀;)ノ
╮(︶﹏︶")╭ ハァ…
・・・ってコトで、「後生の一大事」も「他人事」なら
「弥陀のお救い」も「他人事」。。。( ;∀;)ノ
た~くさんの「お聖教」を読んで、いろ~んな「お言葉」を知っていても。。。
その「お言葉」を「他人事」で読んだり聞いたりしているから、
「れおん」には、や~っぱり、こんな感じ見えてしまうんですよねぇ。。。(^▽^;)ノ
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
・・・・・・・・・・。
シーー( ̄、 ̄*)ーーン・・・。
なんつーか・・・
「経・論・釈」の「お言葉」に「似せて」はいるんだけれど。。。
結局は「自分」→「他人」で物事を捉えているから。。。
「他力信心」に見せかけた「自力信心」で。。。
なんつーか・・・
「れおん」にとっては、それは・・・
「かげろう信心」とか「蜃気楼信心」
・・・のように見えてしまうんですよねぇ。。。(´・ω・`)ショボーン
やっぱり・・・「阿弥陀様のお救い」に出遇うまでには、
「親鸞会の中」も!「親鸞会の外」も!
いろ~んなトラップがあるなぁ・・・と、しみじみ感じてしまいましたとさ。。。
『ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。
たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。』(親鸞聖人 教行信証総序)
・・・・・・・・・・・。
じつは・・・。
「縁」って、すっごく大事!なんだよね~。。。( ;∀;)ノ
今まで・・・「紆余曲折」あったけれど・・・。
「れおん」は、なんの「縁」あってか、
いろ~んな方々のお導きで、本当の「阿弥陀様のお救い」出遇うコトができて、
マジで良かったっす。。。( ;∀;)ノ
・・・ってか、今思うと、
すげぇ「障害物競走」だったよなぁ。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
・・・としみじみ感じましたとさ。。。(^▽^;)ノ
なもあみだぶつ ⤵ ;;(∩´~`∩);;