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浄土真宗・他力信心の境地

「他力信心のお味わい」を「お聖教の引用」ではなく「私の言葉」で書き連ねています。

獲信までの道のり(1/5)

2021-05-20 21:15:06 | 【獲信までの道のり】

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◆◆  はじめに  ◆◆

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 ちょうど去年の9月ごろに、別のブログにも投稿しました「先月辞めた元会員」です。「先月」がだいぶ遠い過去になってしまったので改めてハンドルネームを「れおん」にさせていただきます。

(「れおん」の由来?は、私が他力に出遇うキッカケ(一念)が、「私の正体(阿頼耶識)」を阿弥陀様の光明でむき出しにされてしまったからです。「私」という人間には本当は実体がなかった、カメレオンのような存在だったから「れおん」です。(笑))

 私「れおん」は、2020年の8月末で親鸞会を脱会し、それから各地の勉強会巡りをして、最終的には浄土真宗本願寺派西福寺の阿部信幾先生のお話を聞くようになり、2021年2月初旬に阿弥陀仏のご本願を喜ぶ身とさせて頂きました。

 私は元々のキャラが「自由人」で、本当に自分の好きな事だけをやって生きてきた、お気楽ご気楽人間です。今まで真面目に何かに取り組んだことは、う~ん、あんまりなかったかなぁ。その場のノリだけで生きてきた人間だったので、まさかまさかの展開に、救われた本人が1番驚いています。「えっ?助かるのちょっと早すぎじゃね?」「なんで私なワケ!?」「阿弥陀様、助ける人違えたんちゃう?」ってな感じです。

 多分これを読まれた皆さんも【早く「信心決定」出来そうな人はこんな人!】(←真面目で人間性に優れている人!)というイメージを心の中でな~んとなく持っていると思います。私も救われる前はそう思っていました。でもそんなのはまやかしでした。阿弥陀様は、年齢、性別、人種、国籍、職業、職制、才能、などなど。そういうものは、まったく問いませんでした。【いつでも、どこでも、どんな人でも救う!】それが阿弥陀様のお救いです。

 今回私が、自身の「獲信までの道のり」と「他力信心の境地」を投稿しようと思ったのは、そもそも、私の他力との出遇いが、【途中でお聴聞が惰性になり、仏法そっちのけで「別の調べもの」に明け暮れていたのに、なぜか「仏法と全く関係ないところで出遇ってしまった!」】ということで、(←こんなノリですんまへん。)きっと「ご信心を頂こう!」と頑張ってお聴聞している皆さんが必ず思うこと。

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「常に阿弥陀様のことを思い浮かべてお念仏をしていないと、救われないのではないか?」とか

「お勤めやお聴聞をサボってしまったら、救われないのではないか?」とか

「私はお聖教のご文をまったく知らないから、救われないのではないか?」とか

「労力も時間もお金も、すべて投げ捨てて求道しなければ、救われないのではないか?」(←親鸞会的発想)」とか

「実際、他力の世界を生きるってどんな感じよ?」とか

「で、結局、私は何をすれば救われるのよ?」(←これが一番難解で厄介だったわ)とか。

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 このあたりの素朴な疑問に「経典、七高僧、祖師聖人のお言葉の引用」ではない「平成令和の現代の日本語」で書かれているものが見当たらなかったので、「絶対に、み~んなコレ知りたいだろうなぁ。」と思い、筆を執った(マウスだろ!)次第です。

 …ってか実は私…。漢文とか古文とかがめちゃくちゃ苦手です。色んな人が「経典」や「七高僧、親鸞聖人のお言葉」を引用、抜粋して説明してくれても、頭の中は「???」状態。まず言葉が分からないと、その時点で身体が拒否反応を起こして思考が停止してしまいます。でも、よくよく考えてみれば世の中の人の大半は、私のような「難しい古文なんてイヤ!」っていう人ばかりだと思うんですよ。なので、私のこの投稿文については、お読みいただいたみなさんが「こんな教学に無頓着な自由人でも、ところかまわず救われる。それが阿弥陀仏の本願なんだ!阿弥陀様ってスゴイ!!」…ということを、少しでも分かっていただけたら幸いです。まぁ早い話、「こんなのでも救われる!っていうイロモノ案件の見本市」だと思って見てみてください。(笑)

 

 さて。前置きは長くなりましたが、さっそく本題に入ります。

 

◆私「れおん」:年齢40代半ば、性別女性、配偶者子供あり。職業会社員。

 

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◆1.学生時代(2年間在籍)◆

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 私の仏法との出会いは、大学3年生の初夏でした。同じ学部にカッコイイ人がいて話しかけたところ「親鸞会会員でした!」というオチで、飛び込みの夏合宿をへて、そのまま入会致しました。(笑)

 ここでもその場のノリノリ人間パワーが発揮されていますが、でも、仏法を聞こうと思ったきっかけは「後生は一大事!」「死んだらどうなるか?」。これがなかったら、いくら誘った彼がイケメンでも入会は致しません。その当時、彼が私に話してくれた「高森会長の飛行機の譬え」はめちゃくちゃコワくて、ショックで夜も眠れませんでした。一週間くらい落ち込みました。私は生まれて物心がついた頃から、「私はいったい何処から来たのか?これから何処へ向かうのか?そして私は何者か?」と、常に心に問いかけてきたので、この譬えが、ド・ストレートに心に刺さりました。そしてその答えが知りたくて、急きょ飛び入りで夏合宿に参加致しました。

 夏合宿では、突然降って沸いてきた「新人ちゃん」の担当として、めちゃくちゃ博識なXXX大学博士課程のK先輩の個人レッスン?を受けました。そこでは「一般的な新入生勧誘合宿の内容」ではなく、なぜかK先輩が個人的に学んでいた「唯識論」をバンバン私に披露してくれて。でもその内容が、当時大学で学んでいた「化学理論」を超えた壮大なスケールで、あまりの奥深さに圧倒された私は、「これこそ、私が追い求めていた科学だ!」と感銘を受けたのです。お釈迦様がお説きくださった「仏教」、それこそが真の科学だ!…と。

 私はその「唯識論」を含む「仏教の教え」の、無限に広がる荘厳な教えに大変共感し、「これは絶対に聞いて聞きぬかなきゃ!!」と心に決めたのを今でも覚えています。で、その時に教えてもらった彼の言葉は、今振り返れば、このたび私が今生で阿弥陀様のお救いに出遇えた重要なワードとなりました。なのでK先輩にはもう感謝しかありません!!

 

(彼は机に指をさして)

「ここに机がある。これをあなたは机だと思っているが、それは本当は机ではない。これはあなたの阿頼耶識があなたの脳や眼を通して生み出した「机なるもの」である。それと同じで、あなたが見ているこの世界というものは、ここに存在しているのではなく、あなたの阿頼耶識があなたの身体を通して生み出している世界に過ぎない。だからこの机は、あなたは「あなたが生み出した机」を見て、私は「私が生み出した机」を見ている。同じようで同じでない。」と。

 

 そして私は、【後生の一大事】の解決と、心の奥底にいる【私なるものの正体】を知るために、卒業後は、親鸞会の親友部(教団職員)に身を置くことにしました。

 

 …って、これもねぇ。親友部に行くキッカケも、まぁ不純と言えば不純で、大学4年の時に高森X晴講師のご法話が地元であって、私は接待に抜擢されたんですよ。で、その時に、高森講師が私のことをとても気に入ってくれて「親友部に来ないか?」って誘われて、そのまま「ラッキー♪」ってな感じで進路を決めてしまったのがキッカケでした。(笑)(←って、本当に超重要な進路もその場のノリで決めちゃっていますね。(汗))

 

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◆2.親友部(教団職員)時代(2年間在籍)◆

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 はい、ここは真っ黒黒の黒歴史です。色々ありましたが忘れてしまったので省略します。(笑)

 とにかくアニメアニメアニメアニメ、カネカネカネカネ。(←ただひたすらにアニメ頒布と財施の活動。)しかも常に講師部の捌け口にされて執拗に叱られたものですから。もうめちゃくちゃ過酷だったー!!1年半で追い詰められて精神をやられて、2年ちょっとでサッサと実家に戻りました。そしてその後は21年間幽霊会員でした。

 で、この親友部時代にはものすご~く「間違った真宗教義・親鸞会的おかしな感覚」を植え付けられてしまいました。詳細は以下の通りです。脱会後は、まず、これらを払しょくするのに一苦労でした。

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・「仏教を聞く目的(人生の目的)」は「絶対の幸福」になること。そのためには「宿善」を厚くしなければならない。

・「宿善」を厚くするために「廃悪修善」「六度万行」を実践。特に厚くなるのは「破邪顕正」「アニメ頒布」「多額の財施」。

・「三願転入の縦の線と横の線」があり、横の線(19、20願)の道を進んでいくと、その先に決勝点の縦の線(18願)があり、そこで「絶対の幸福」になる。

・全てを投げうって求道しないと信心決定できない。

・「善知識高森会長」とのご縁を一座でも多く持たなければ救われない。

・「善知識高森会長」>「講師部員」>「上司」の言うことには無条件服従。

・聞いて聞いて善をして善をして、善ができない地獄一定の人間だと知らされて救われる。知らされないのは求道が足りないから。

・名号以外のご本尊(木像・絵像の阿弥陀如来像)は気味が悪いもので排除しなければならない。

・毎日活動(アニメ頒布・破邪顕正)をしなければこの道は進めない。

・頑張って求道した人には臨終に「観音菩薩の臨終説法」があってワンチャン救われるかも。

・「平成業成」とは言っていても周りに救われた人がいないのでおそらく今生の獲信は無理だろう。

・「平生業成」とは言っても「人生の目的」は「多生曠劫の目的」なのだからおそらく今生の獲信は無理だろう。

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 思いついたものをパパっと書き出してみましたが、上記のものは全て間違いでした。浄土真宗は「誰もが、今聞いて、今救われる教えですから!」みなさん安心してくださいね。

 ただ親鸞会では「後生の一大事の解決のためには、命がけで仏法を聞かなければならない」と教えられましたが、それは本当でした。酷い目には遭ったけれど、仏法を聞く基礎(後生の一大事)を教えて貰った親鸞会にはとても感謝しています。

 

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◆3.幽霊会員時代(21年間)◆

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 親友部時代があまりにも過酷だった分、その反動で地元では「幽霊会員リア充組」を満喫していました。とは言っても「後生の一大事」の解決はやっぱり諦められず、選んだ道が「若いうちは遊びながらも、せめて「宿善」だけは厚くしよう!」ということで、「報恩講」「降誕会」「大型財施」には参加し、あとは全てを老後に賭けて「ワンチャン観音菩薩様の臨終説で絶対の幸福に!」…と思い、ダラダラと21年間を過ごしてしまいました。

 

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◆4.親鸞会脱会(半月間)◆

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 今この文章を書いているのが2021年5月なのですが、阿弥陀様のお救いに出遇ってしまうと、その当時の高森会長に騙された辛く悔しい気持ちが、心の逆転換で、楽しくて嬉しくて懐かしいキラキラした思い出に変わってしまって、正直、まったく昔の出来事が思い出せなくなっています。困った困った。もうね!「高森会長に騙されたー!!マジ死にそう…。」だったのが「高森会長に騙されてラッキー♪♪やったね♪♪」ってな感じで、感謝カンゲキ雨嵐です。(笑)

…ということで仕方がないので、親鸞会の実態を知ってしまった直後のメールのやり取りを一部掲載しながら話を進めます。(相手方の内容の掲載はご本人の了承を取っています。)キッカケは2020年8月、コロナ禍で行われたオンライン降誕会の2日目。「高森会長の座談会」にて、会長の様子が既におかしかったことと、運営側が予告していた「ライブ」ではなく「録画」だったことから、そこはかとない不安に襲われ、何を思ったのかふとインターネットを検索して【親鸞会の実態】を知ってしまった次第です。検索して一番衝撃だったのは「嶋田講師」の書かれた【あなたの白道】でした。迫真の内容に、一気に最後まで読みました。

 

((えぇー!?これって本当なの?…し、信じられない。信じたくない。考えられない…。もしかして、私は今まで高森会長に…騙されていたの…?!))

 

 あまりの衝撃的な内容に、ご飯も喉を通らず家でグダグダと「五体投地」していました。でも、いつまでもそうしていられず、数日後、気力を振り絞って嶋田さんの奥様にメールを書きました。

 

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件名:今更ながら「私の白道」「あなたの白道」を拝見しました。

2020/08/15

 

嶋田講師とは光戦の北海道作戦の報告等、XXXXでご縁がありました。

 

今更ながら「私の白道」と「あなたの白道」を読ませていただきました。

嶋田さんが「私の白道」を書かれた2008年から12年後にこんなことを知らされるなんて。

何と言うか。何と言うか。

何故今まで気が付かなかったんだろう。お恥ずかしい限りです。

しかも嶋田さんがお浄土に旅立たれてから既に数年が経過していて。後の祭りですね。

ほんとにバカだなぁと。

余りの間の悪さに情けなくて情けなくて涙が出てきます。

 

親鸞会の内部のことはあの親友部時代の2年で嫌ってほど分かっていたのに。

その後の親鸞会の「無駄に箱モノ(会館)ばかりを建てまくる法戦」も

「親鸞聖人の御教えとさほど関係のない弁当屋」も

「親鸞聖人750回忌のよくわからない同朋の里の散策」も

「芸能人を呼んでのディナーショーのような報恩講」も。

ここ10年は普通に考えれば色々と可笑しなことは多々あったのに。。。

思考が停止していて「全て高森先生の深い御心」で済ませてきてしまいました。

 

時間と体力とお金を消耗しボロ雑巾のようになって親友部から逃れたあの日からは、

財施と降誕会・報恩講・追悼法要しかご縁のない幽霊会員でしたが、

それでも求道歴は25年、主人は30年。

財施だけはそこそこ頑張っていたので掛けた金額はざっとX千万~X千万。

交通費や宿泊代を含むともっといっていると思います。

人生の半分以上を親鸞会と共に過ごしてきた身としては、

親鸞会にかけた時間と体力とお金が余りにも大きすぎて。

ショックを通り越して苦しくて無気力状態です。(幽霊会員の私ですらそんなだから、頑張っていた会員さんはそれどころじゃないですね。)

 

こんなことを知らされて一刻も早く親鸞会と縁を切らないといけない。

…と思いながらも、自分でもよくわからない罪悪感で出ていくのが怖いし。

今までお世話になった講師の方々や会員さんのことが思い浮かんで。

辞めるって言えば悲しむ人の顔が浮かんだり。

辞めるなんて言おうものなら私自身が謗法罪で罵られ嫌がらせをされる気もして。

(実際に親友部から出ていくときはそんな感じでした。)

それに。そんな謗法罪を強調した罵声や嫌がらせを自分が受けたせいか、

担当講師や幹部会員さんが当時の私と同じ目に遭うのではないかと思うと現在は踏み出せずにいます。

 

ど、どうしよう。

とりあえず会費は半年先まで納めているのでその間に考えます。

 

主人は、嶋田さんのブログを読んでも。

それでも「組織は狂っているかもしれないけれど教えは正しい!」と思っています。

高森会長の教えをつらつらソックリそのまま言ってくるのでたちが悪いです。

「六度万行」が宿善になると身体にしみこんでいます。

そういう私も何故か常に「財施しなきゃ!」って気持ちに駆られています。

親友部在籍の際、先輩会員さんに「この世の中のものは全て仏法領です。

必要最低限のもの以外は全て財施に使いなさい!」と強く言われました。

「しのごの言わずに出しなさい!」みたいなことも言われました。

富山にいたときの会合の大半は財施の会合でした。

市場のセリのような激しい金額の争いがコワくてコワくて今でもトラウマです。

財施の金額が少額だと「こんな近くで聞かせていただいて祖師聖人・高森先生に申し訳ないと思わないのか!」と罵られ、「そんなこと言われてもないものはない!」って泣き泣き暮らしていました。

なので幽霊会員になった今でもトラウマは抜けません。

親鸞会は「仏法が大事。ご縁が大事。後生が大事。」と言いながら

財施の大小で差をつける差別主義だよなぁと思いました。

で、結局「それなら財施がたくさん出来る会員になってやる!」となり、

一般会員になったあとは資産のある今の主人と結婚して、

私自身も子育てをしながら仕事を持ち現在に至ります。

なので私の心の中は「親鸞会から文句を言われない程度の財施さえしていればなんとかなるだろう!」って気持ちが全く抜けません。

親鸞会は財施さえしていれば普段の会合に出なくても何も言われません。

お金さえ出していれば楽な求道ですよ。

って。。。この気持ちは本当にねじ曲がっています。

でもそう思いながらも、親鸞会から縁が遠のいて別の所で親鸞聖人の御教えを求めても、このねじ曲がった気持ちは抜ける気がしない。

親友部にいたときに植え付けてしまったこの気持ちは常に私の根底にあります。

死ぬまで抜けないのかなぁ。かなり重症です。

 

親鸞会でのあの日々はなんだったんでしょうねぇ。

悔しいけれど「高森会長の野望の歯車」だったのかなぁ。

高森会長はご法話の最初に「あわれあわれ存命のうちにみなみな信心決定あれかし」って言われるけれど、そんなことこれっぽっちも思ってないんですね。

会員の(後生)のことをバカにしていますよね。

…と怒る気にもなれないくらい

「高森会長から聞く親鸞聖人のみ教えが間違っていたこと」には凹んでいます。

 

とりあえず今は親鸞会でご縁を求めて良かったことだけを見つけて納得することにします。

もともと見た目は派手なネーチャンだったので、まぁ親鸞会と出会わなかったら仏法を聞くご縁はなかっただろうし。

親鸞会がご縁で主人と結婚して子供もできて普通に生活できているし。

まだ40代だし。お金も体力もある、子育てもほぼ終わって一番頑張れる年代だし。

 

…と長くなりましたが、

この先どうしてよいのか分からないので(すみません。長々書いてやっと結論です。)

「あなたの白道」を2冊頂きたく思います。

嶋田さんの魂の叫び・遺言を読みながら今後のことを考えます。

お浄土の嶋田さん、ご教導よろしくお願いいたします。

 

追伸。。。

 

私は本当に財施がメインの幽霊会員でした。

親鸞会がどのような状態なのか気が付かないくらいの幽霊会員です。

なのに当時の担当講師が私の家を訪問して、結構長い間(1,2時間くらい玄関先で)

嶋田さんの誹謗中傷を聞かされました。

めっちゃ熱が入っていましたが、

今思うと当時親友部にいてご縁があったので私から嶋田さんを遠ざけたかったのですね。

何かそういう「嶋田さんと縁があったリスト」があったのかな?(←私の勝手な想像です)

おかげで「謗法罪の嶋田さん」のイメージがついてしまい、まったくインターネット情報に触れずに過ごしてしまいました。

 

今回嶋田さんのブログに出会うキッカケになったのは、

ここ最近、遂に親鸞会がインターネット布教に力を入れる!とかでメディア財施?とネット配信の聴聞が本格的になりました。

「L大学」なるものがYouTubeで配信されています!とのことだったので、

「幽霊会員の私達でもこれなら仏法を聞けるよなぁ。」と思って繋げたら関連動画で清森講師の配信動画が出てきて

「懐かしいなぁ。なんで辞めちゃったんだろう。」と思い、さらにネット検索して嶋田さんまでたどり着きました。

 

読んで衝撃!!

 

そりゃ、あの時は罵声でしか縁を遠ざける方法はなかったよなぁ。

親鸞聖人の御教えを正しくお話していると思うから会員を続けるのであって、

「浄土真宗」でも「親鸞」聖人の御教えでもない「浄土真宗親鸞会」はただのカルト教団じゃないかい!!

今頃ですが気づけて良かったです。

本当にありがとうございました。

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 いやぁ、9ヶ月前の私はこんなことを思っていたのですね。自分で言うのもなんですが、めっちゃ鬼気迫る内容にビックリです。今じゃとてもこんな文章書けないわ~。「変わり果てたる我が心かな」をつくづく実感しています。

 …で、このメールの返信が以下の通りです。2通ありますので一部カットしてまとめています。以下の通りです。

 

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件名:ありがとうございます

2020/08/15

 

メール有難うございました。

主人とご縁のあった方がまたお一人連絡下さった事に心から嬉しく有り難く思っております。

よく気が付かれましたね。

 

私も主人も通った道なので痛い程よく分かります。

私達も会を辞める時は大変な勇気と覚悟が要りました。

でも最終的な決め手はここにいても助からないとはっきり分かったからです。

後生の解決をしたくて求めているのにそれができないのでは何の意味もないと腹をくくりました。

どんな非難攻撃があるかと構えていましたが誰も破邪顕正に来る人はありませんでした。

まだ決心が着き兼ねておられる様ですが当然です。

不安一杯でしょうね。

主人はそんな人を思って何とか気付いてくれよ、分かってくれよと亡くなる10日前にこの本を完成させました。

主人の思いが届く事を信じています。

私でお役に立てる事がありましたら連絡下さい。

 

親鸞会はもはや宗教団体ではなく企業に成り下がっていると思います。

次々と箱物を建てるのはどうしてだと思いますか?

箱物はお金を集める手段です。

実際の建設費用に上乗せして募りプラスの分は真生会病院に流れているという情報があります。

病院の経営が悪化しその補てんに使われているらしいです。

宿善の為、後生の解決の為

とんでもないです。

皆高森の欲の為に動かされているのです。

何も知らないのは善良な会員さんだけです。

高森は会員の後生など全く心配していません。

自分さえ良ければそれでいいのです。

これが高森会長の実態です。

主人は会員さんの後生を思い高森会長に毎月正しい教えを説いてほしいとたよりを出して訴え続けましたがただの一度も返事はありませんでした。

真実を知った主人に反論など出来るはずはありません。

私の思いとしては一分一秒でも早く退会して正しい教えを聞いてほしいという気持ちですが「れおん」さんが納得されて退会するのが一番いいですからよく考えて決められたらいいと思います。

今年はコロナ禍で世界じゅうが翻弄されています。

今日あって明日ない命だと教えられているようですね。

気をつけましょうね。

南無阿弥陀仏

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 そして数日後「あなたの白道」が届き、本と一緒にお手紙が入っていました。以下の通りです。

 

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前略

 阿弥陀仏に救われるにはまず自分から宿善を求め阿弥陀仏に近づいていかなければならないと教えられてきましたよね。いわゆる横の線です。

会を離れて正しい教えを聞いた時、それが全く正反対だった事に驚きとショックを受けました。

 私が近づくのではなく阿弥陀様の方が私に近づいて来て下さっていると聞いたからです。どうしてか?そもそも私には近づく力もなければ智恵もありません。その事を阿弥陀様は法蔵菩薩の時に既に私の罪業を調べ上げられ突きとめられたのです。

 微尽の善もできず罪を造ることしか知らなかった私、そんな私の為に私に代わって兆載永劫の御修行をして下さった、その功徳の全てを南無阿弥陀仏に封じ込め私に与えて救ってやろうとして下さったのです。

何という教えか、こんな教えが浄土真宗だったのか、知らなかった知らなかった。でも私にはその南無阿弥陀仏を受け取る力がないこともご存知でした。

ですから「この弥陀にまかせよ、必ず救う」と誓われたのです。「まかせよ」と言われてもまかせられない、そのまま救うと言われても信じられない。

必ずこの疑いが起こってきます。これが「疑情」です。

この疑情が晴れるまで聴聞を重ねるのです。必ず南無阿弥陀仏のお力で晴れる時が来ます。

自力が破れる時がきます。

正しい教えを聞かなければ疑いも起きてきません。

 それでは宿善とは何か?

それは阿弥陀様のお育てのことです。

過去世から今に至るまで後生も気にかけず欲に明け暮れ、六道輪廻している私に聞けよ聞けよと働きかけて下さった阿弥陀様の善です。そのお陰で今私は聞かせて頂ける身になったのです。私の力など微尽もありません。

まだまだ言いたいことは尽きません。まずこの本を読んで疑問なりありましたら遠慮なく連絡下さい。お役に立てれば嬉しいです。

 毎日猛暑が続いています。コロナもあります。どうぞ御自愛下さいませ。

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 そして、お手紙を何度も何度も読みました。でも親鸞会の教えの根幹である「三願転入」で頭の中が一杯だった私は、この内容が全く理解できませんでした。そこで書いたメールがこちらです。

 

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件名:「あなたの白道」が届きました。

2020/08/17

 

こんばんは。

この度は「あなたの白道」を送っていただきありがとうございました。

取り急ぎご連絡致しました。

 

それとご丁寧なお手紙をありがとうございます。

読んでいて涙が出てきました。

生前の嶋田講師にお会い出来なかったことが本当に悔やまれます。

 

あと私自身、親鸞会の教えにどっぷり浸かっているため、嶋田さんのお手紙の最初の3行しか理解できませんでした。何回か読み返しましたが本当の阿弥陀様のお働きが全くわかりません。

ど、どうしよう…です。

本当の宿善の意味とか、阿弥陀様のお育てとかお働きとか…。意味不明で全然わかりません。一応親鸞会でも「うわべ」だけはそう教えられましたが、実際はそうではなく、自分で宿善を厚くする様に教えられてきたため、そう言われても全く理解できません。大真面目に困ったなぁ…です。(>_<)

 

この先どうやってご縁を求めたら良いのか、どうやって善知識を求めたら良いのか、それも不安です。とりあえず親鸞会とは今月中に縁を切って、身を綺麗にして親鸞会の教えから脱却したいと思っています。

 

あと、もしよろしければ、辞めて自由になった?その際には、一度、ご信心を頂いた後の嶋田講師のことを知りたいです。福井にお邪魔してもよろしいでしょうか?

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 そして、まずは「早く親鸞会と決別しなければならない!」と思い、どうやって辞めようか考えました。私のモットーは「思い立ったら即実行!」です。なので、色々な人のお話を聞く前に、まずは、「退会して1日でも早く間違った教えから離れる」ことを最優先としました。

 そこで思いついたのは、嶋田講師の「あなたの白道」にも書かれている退会方法(ハガキに署名捺印をして本部会館住所に送る)でしたが、私自身の思いとしては、どうしても「離れられないダメ男と決別」する心の線引きが欲しかったので、そのまま近くの弁護士事務所に駆け込み、相談料5万円を支払い、弁護士さんを代理人として退会の内容証明郵便を送りました。(あとで「そこまでしなくて良かったのに。」って笑われましたが、私としては手切れ金ですので大変充実した投資でした!(笑))

 そして晴れて2020年8月末日をもって浄土真宗親鸞会を退会致しました。退会の期日までは、まだ多少の時間がありましたが、自分としては、もうやることはやったので、次は「真実の教えを知るための勉強会巡りと先生探しをしよう!」と思いました。そして、早速、嶋田さんにメールを書きました。その内容がこちらです。

 

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件名:退会しました。

2020/08/26

 

私事ですが弁護士さんを代理人に立てて

今月末で退会する旨の内容証明郵便を送りました。

退会理由に嶋田講師の「私の白道」と「あなたの白道」を読んで決意しました と書きましたので多分大丈夫かと思います。

 

きっと私も親鸞会にとっては接触禁止の危険人物になっちゃうのかなぁ。(-ω-;)

人生を懸けて親鸞会でご縁を求めている友人の顔が思い浮かび、何とも言えない気持ちになってしまいます。私の支部の支部長は、私が学生時代に勧誘した新入生だったので、な~んか「あの時誘って良かったのか悪かったのか?」複雑な気持ちです。

 

最初に私を誘った彼はまだ講師部にいますし。

親友部時代に大変なお世話になったXX講師とかX課長とか。個人的に好きだったXX講師とかXX講師とか。なんか…自分のこともそうですが皆さんの後生を願わずにはいられません。

 

こうなると…会員全員が高森会長の被害者になっちゃうのかなぁ。

せっかく後生の一大事の解決の方角まではあっていたのに。何故高森会長は世俗的な組織拡大と拝金主義に走っちゃったのかなぁ。

みんな飲まず食わずの生活を送っていたのに。

高森会長は自分の駒として扱ってきた会員さんの後生を一体どう思っていたんだろう。

私はとてもあの壇上でそんな大ウソはつけない…というかつく度胸がないので。胸が痛まなかったのかなぁと思います。

 

今思えば言っていることとやっている事が真逆のおかしな集団だったなぁと思います。

私が親友部にいた時も法律違反で普通は捕まるようなことも「真実開顕の方便だから善だ!」と言っていましたし。

 

高森会長には、せめて親鸞聖人のみ教えを、解釈入れずに正しく教えて欲しかったです。誰だって間違えはあるんだし自分を立派な先生だと良く見せようとする心はあるし。

でもせめて教えの間違いや過去の事は隠さないで、正直に言って欲しかったです。残念です。

 

さて。

私は学生時代に「人生の目的がある」と言われ、学生部の講師や先輩に言われるがまま、

「他人の意志」でここまで来ましたが、

ここからは「自分の意志」で善知識を探してご縁を求めなければなりません。

よくよく考えてみれば、後生の大変な一大事を

「他人から言われて求める」

というのもおかしな話だったと思います。

そんな大層な目的なら

何故自分で本当のみ教えを調べなかったのか?

何故高森会長だけを唯一無二の善知識だと思い込んでしまったのか?

…あとになって気づかされます。

 

…と前置きが長くなりましたが、晴れて親鸞会とも縁が切れて自由になりましたので、一度福井に伺ってもよろしいでしょうか?

9月X日、X日、X日の日でご都合の良い日はありますでしょうか?

御教導をよろしくお願い致します。

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 そして私は2ヶ月間、「本当に救われる教えを説く先生」を探すため、各地を飛び回りました。

 

((続く))