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昭和は遠くなりにけり

プログはいくつも作ってるのです。だけど本音愚痴を書くプログが欲しかった。

カインの子孫はミュージシャン

2018-07-27 11:10:48 | ユダヤ民族

タルムードに結婚道具買いにいったユダヤ人ミュージシャンが途中で素敵な音楽と出会ったために何度もリクエストし忘れないように記憶した。当時はテープレコーダーもなくCDもなく何度もお金払ってリクエストしたのです。歩いてたらまたもや素晴らしい生演奏とであった。またしてもリクエストし結局結婚費用使い果たしてしまった。婚約破談となる。しかしそのミュージシャンは死ぬまでその音楽を演奏して生涯を終えた。



しかし結婚するよりも素敵なミュージックと出会うほうが幸せなんですね。



ユダヤ人にとって死ぬほど好きなもの。学問、音楽、芸術、、これを作り出すために命を懸けてたのですね。カインの子孫は鍛冶屋になりミュージシャンになり演劇人になった。
アダムとイヴの子カインの6代目トバルカインは刃物を鍛える鍛冶の祖となりユバルは琴と笛の名手となりミュージシャンおよび芸能人の祖となった。

↓ヤッシャ・ハイフェッツ



アルツール・ルービンシュタイン



ウクライナ出身のユダヤ系音楽家ってすごく多い。
バイオリニストにアイザック・スターン、ダビド・オイストラフ、ヤッシャ・ハイフェッツ、ユーディ・メニューヒン、ピアニストにもウラジーミル・ホロビッツ、作曲家レナードバーンステイン.

映画「真昼の決闘」や「ジャイアンツ」のテーマソング作ったデイミトリ・テイオムキンもウクライナ生まれ。




ボブ・デイランもウクライナだった。
映画ジャイアンツhttp://www.youtube.com/watch?v=hAmiVntsLjk

映画シェーンhttps://www.youtube.com/watch?v=WWL6KDjJuhU

スワニーhttps://www.youtube.com/watch?v=PWkSLp45c1I



とかラプソデイーインブルー作曲したジョルジュ・ガーシュインはベラルーシ生まれのユダヤ人。本名はジェイコブ・ゲルショヴィチ。
ガーシュインはスワニーを21歳の時たった一晩で書き上げた。私はこういうロシア風名前に弱いのだ。

↓ガーシュイン
レナート・バーンステイン
1200px-Joan_Baez_Bob_Dylan.jpg

↑ボブ・デイランとジョーン・バエズ

http://www.youtube.com/watch?v=j2GUQCQ_Fis

imagesHK0HJCE0.jpg

夢見るシャンソン人形作ったセルジュ・ギンズブールはウクライナユダヤ人
この辺りに天才が集中して生まれてる理由はユダヤの歴史を研究してたらわかってくることなんでしょう。

あの辺りの封建領主がおそらく宮廷音楽のレベルアップを図ってベネチアみたいな音楽の都からミュージシャンを集めてきたんだと思う。楽器製造者も集めたと思う。

ユダヤ人はカインとアベルの時代からミュージシャンして生きてきた。カインの子孫トバルカインは鍛冶屋となりユバルは琴と笛の名手だった。

神代の昔からカインの子孫は技術職、ミュージシャンをしながら流転を繰り返してきたのです。
https://www.youtube.com/watch?v=UWZtD7IUNr4&list=RDUWZtD7IUNr4#t=20


https://www.youtube.com/watch?v=9jgInqv4pgE&feature=player_embedded




スピルバーグの名前は芝居山だし戦場のピアニストのウワデイスラフ・スピルマンは芝居男。二人ともカインの子孫だったんですね。

1290年から1540年までの英国に入国を許可されたユダヤ人と言うのは
国王の特別許可を得て入国したユダヤ人と改宗ユダヤ人だった。

1540年ごろロンドンには2つの隠れユダヤ教徒のコミュニテイが存在していた。ポルトガル系とイタリア系。
ポルトガル系は外国貿易と医師職に従事し、イタリア系は音楽演奏と楽器製造に従事していた。

ポルトガル系隠れユダヤはロンドンの前はベルギーのアントワープに住んでたがこの地まで異端審問所が設置され隠れユダヤがいないか追求してきたためロンドンまで逃げたのである。

ポルトガル系隠れユダヤ人はユダヤ教信奉度が強くて同族同士結婚したけど
イタリア系は多くは英国人と結婚するようになり急速に英国に同化していった。

ヘンリー八世は英国の宮廷音楽のレベルアップを図ろうと音楽の都ベネチアにスカウトを派遣させた。

ベネチアから優秀な音楽家をスカウトしてロンドンに連れてきたがその音楽家たちが隠れユダヤ人であることを知っていた。このベネチアからのユダヤ人たちがルネッサンス期英国の宮廷音楽家として重要な役割を果たした。しかしこのユダヤ人たちは英国貴族社会に同化してしまって隠れユダヤだったことを忘れてしまった。
ユダヤ人でもセファラデイムのほうが信心深くない。

イギリスやドイツみたいな優れた文化を持つ国に入ると英国紳士、ドイツ紳士をめざし簡単に棄教して英国人ドイツ人と結婚してユダヤ人でなくなってしまう。ユダヤ人は顎鬚はやすのが戒律で決められてたけどさっさと髭をそってパリパリの英国紳士になろうとした。

セファルデイムが次々に棄教するのでアデュケナージのラビは危機感を持った。このままじゃあユダヤ教徒が絶滅する。
ユダヤ教を忘れないために厳しい戒律のハシデイーム派が出来た。ハシッド派の拠点がリトワニアのカウナスだった。
超正統派ユダヤ人は
聖書をヘブライ語とアラム語で丸暗記しユダヤ人同士結婚する。おそろしくユダヤ教の造詣が深い。
子供たちは朝8時から夜8時までシナゴーグでユダヤ教の勉強させられた。

男は暇さえあれば学問する。そのため最小限しか働かないので極貧である。アメリカでも超正統派のお父ちゃんは
稼ぎが少ないため子供たちは進学もできない。
それで億万長者のユダヤ人は遺産を超正統派ユダヤ人の子供の学資に使ってくださいと遺言するらしい。
https://www.youtube.com/watch?v=9otBXBYvBgM


↓1790年ごろ描かれた英国のユダヤ人像


↑ワルシャワの正統派ユダヤ人アブラム・ランクマン。彼の祖父は聖書をヘブライ語とアラム語で丸暗記していて誰よりも詳しく知っていた。ランクマンはワルシャワゲットーから逃走して一家でただ一人

ホロコーストを生き延びた。


モーゼ、イエス、パウロ

2018-07-05 21:47:38 | ユダヤ民族





ユダヤ人がヘブライ語アラム語を学ぶのは。モーゼやヨシュアが考えてたことを正確に理解するためです。ヘブライ語で祈ったならモーゼが答えてくれないか?と期待するそうです。

トーラーの日というのがあって。ユダヤ人はワルソーゲットーでも死ぬまでトーラーを胸に抱いて歌い踊りヤコブより生まれし者という連帯感をかみしめたのです。


旧約聖書を支配するのはモーゼの物語である。
メソポタミア地方の古代遺跡からモーゼの律法より古いハムラビ法典なども発見されてるがモーゼの律法が人間の生命を尊重する初めての信念体系だった。

古代政府のほとんどが人民よりも財産に価値をおいた。
財産に対する犯罪は死を持って罰せられた。ところが人殺しした人間も被害者の家族に金を払ったり貴重な奴隷を提供したら死刑にならなかった。

しかしモーゼの律法は道徳性と社会的価値の重視で終始する。

モーゼはユダヤ人奴隷を絶えず抑圧し生きる道をせばめてくる権力に立ち向かう反乱の指導者だった。

現代でもソビエト体制で出国を許されなかった反体制知識人にとって決起の言葉となったのがモーゼの言葉だった。
「わが民をしてエジプトの支配から去らしめよ!!」

新約聖書においては多くの出来事がモーゼの生涯や業績をモデルにしてると言われてるのです。
モーゼもイエスも生まれた時殺されかけた。

幼児虐殺は新約聖書の『マタイ伝』新しい王(イエス・キリストのこと)がベツレヘムに生まれたと聞いて怯えたユダヤの支配者ヘロデ大王がベツレヘムで2歳以下の男児を全て殺害させたとされる出来事。

モーセが生まれた当時、ヘブライ人が増えすぎることを懸念したファラオはヘブライ人の男児を殺すよう命令した。出生後しばらく隠して育てられたが、やがて隠し切れなくなり、パピルスのかごに乗せてナイル川に流された。

イエスの山上の垂訓と呼ばれる説教をおこなうが
モーゼのシナイ山での契約[律法)の強化発展を意図したものであった。




イエスはメシアであるとしたのはパウロでありイエスは神なりとしたのは4世紀のニカイア公会議だった。




原始キリスト教団の指導者の多くがガリラヤの大工や漁夫といった階層の人たちで日常語はアラム語を使ってました。イエスはアラム語で布教してた。
一方パウロはシリア、タルソスのローマ市民権を遣う家に育ちギリシャ語を自由に使いました。パウロはギリシャ語で布教したのです。
パウロはトーラーの規定を異邦人には課さず、割礼もしなかったので異邦人には入りやすかった。異邦人の信者を確実に増やしていきました。

ローマ帝国ではキリスト教信者が前皇帝を神格化する慣例にしたがわないこと、闘いを否定することを理由に迫害を重ねてきたが
どんなに残酷な処刑をしてもキリスト教に改宗する者があとを絶たない。
アジアアフリカに領土を獲得して以来さまざまな信仰が流入したがキリスト教が一番増えた。最も多くの信者を持つキリスト教を迫害することはローマ帝国の解体につながりかねなかった。

380年にローマ帝国がキリスト教の国教科を謀ったのも政治的動機によります。ローマ帝国の安泰を思ったからです。
圧倒的プロレタリアートのハートをつかんだ者の勝ちです。


カリギュラだの暴君ネロが自分はビーナスの子孫だ神である自分を拝めといったってユダヤ教徒は拝まなかった。
ソクラテスもゼウスを拝まずゼウスより影響力があったので処刑されました。
ユダヤ人は迫害に遭い続けたために自分の民族を守るために戒律を作りユダヤ教を作ったのです。
もしユダヤ教が出来てなかったらキリスト教もイスラム教もできてません。ミトラス教がローマに広がったかもしれません。

キリスト教は貧者に天国を説き救いを与えるというので圧倒的多数の貧困層は信じました。殉教すれば天国に行けるというから。
圧倒的多数のハートをつかんで支配するのにうってつけの宗教と感じたでしょう。




パウロが非ユダヤ人に布教しなかったら歴史は全く変わっていた。パウロが出なかったらキリスト教の中心はローマに置かれなかったしギリシャ文化がユダヤ、キリスト教的倫理に染まらなかった。十字軍も起らなかった。

ヨーロッパに吹き荒れたカトリックプロテスタントの宗教戦争も起らなかった。
イエスが十字架に架けられたため信者の間で動揺が広がった。


イエスがキリストとして人類の罪を償うために十字架に架けられたというのはイエスと会ったことも無いパウロが言い出したことでイエス死後20年もたってからです。

イエスはメシアであるとしたのはパウロでありイエスは神なりとしたのは4世紀のニカイア公会議だった。

バチカンがユダヤ人罪人説を撤回したのが1962年、イスラエルと外交関係を樹立したのが1993年。
過去のユダヤ人迫害について公式に謝罪したのが1998年のことだった。
バチカンがガリレオの有罪判決をとりけしたのが1965年だった。


アブラハム小辻教授、秦氏、下賀茂神社

2018-06-24 20:27:45 | ユダヤ民族
アブラハム小辻教授は京都の下鴨神社の宮司

秦氏と天皇家との深い関わりについてはアブラハム小辻教授が興味深いことを述べている。

小辻教授は出身が京都であり、彼の家柄は代々、京都の下鴨神社の宮司であった。下鴨神社は8世紀に、秦氏の一族を記念して建てられたものである。小辻教授は、自分の先祖はおそらく秦氏に属していたと考えている。

日本人なのにユダヤ教に改宗した人に神道の神官が多いという。
秦氏と皇室の関係

皇居は昔、京都にあった。そして京都の下鴨神社は、皇室と最も深い関わりのある神社であった。そこでは年間に71もの、皇室ゆかりの儀式が執り行われていた。これを見ても、秦氏と皇室は、非常に深い関わりの中にあったことがわかる。



小辻教授は旧約聖書の学者で、セム語に関する学者であった。彼は、秦氏はユダヤ人であったと考えていた。小辻教授はのちにユダヤ教に改宗した。

小辻は、1939年に松岡洋右の要請で満鉄のブレーンとして就任していたが、そののち第二次世界大戦が始まった頃、日本に戻った。彼は、杉原千畝のビザ発行のおかげでヨーロッパから神戸に逃げてきたユダヤ人たちを助けた、中心人物の一人となった。

ゾラフ・バルハフテイク氏が「日本に来たユダヤ難民」で書いてます。杉原ビザで沢山ポーランド、リトワニアから日本にユダヤ難民が逃げてきた時。日本でユダヤ教探究してる日本人はユダヤ教知るチャンスなんで大歓迎した。
日本人なのにユダヤ教に改宗したアブラハム小辻氏。
小辻節三氏は京都の下賀茂神社の神官の家の人です。方丈記書いた鴨長明も下鴨神社神官の家の人だった。

小辻氏は家に宗教書はいっぱいあるのだけどユダヤ教への関心がおさまらず何とか知りたいと願った。そこへ杉原ビザのユダヤ人が到着した。
ユダヤ教を学ぶチャンスと大喜びだった。氏はラビと神学生に特に心打たれた。
ゾラフ氏は日本のインテリが精神的・知的危機に直面してることを感じた。二人は日本史ユダヤ史について語り合った。

ゾラフ・バルハフティク氏と小辻氏がユダヤ教研究グループを作ってたがそこへ三笠宮殿下も討議に参加に来られた。

小辻氏はイスラエルに渡りユダヤ教に改宗した。ゾラフ氏は改宗に助力した。
アブラハム小辻氏はユダヤ難民の日本滞在期間を延長するよう助力してくれた。



1970年、イザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」が出版されたが

日本人に愛読されてるこの本についてサイモン・ウイゼンタールが書いてました。
この本は偶然生まれたものではない。もうずっと以前から日本の研究者たちはイスラエルの失われた10支族とのつながりを探し求めていた。
その研究者たちは日本の神官層出身者たちで彼らのうちの幾人かはユダヤ教に改宗している。
日本とイスラエルの類似性は中世には今日よりはるかによく話題にされた。


米軍兵士の中にラビがいて三笠宮と親交をむすび
古代パレスチナの第一神殿時代のものだといわれる古代ヘブライ語の銘文が背面に刻まれた「聖なる鏡」を見るという許可を得たという。
米軍ラビが第一神殿時代のヘブライ語の銘文刻んだ鏡を見れたとは!
失われたと思われてた兄弟たちとコンタクトをとれたとは!第一神殿時代とはソロモン神殿時代です。



こんな記事見つけた。なるほどねーと思います。



ではユダヤ人とは?

杉原がたすけたユダヤ人の多くはポーランドやリトアニア人でした

そして杉原はスパイマスターでもありました

なのであくまで一説なんですが、ポーランド政府から「独ソの情報の見返りに(ユダヤ系)ポーランド人を助けてくれ」という取引があったとされます



ぶっちゃけた話

天皇が独ソを「不信の国」と呼んだように、また独ソ戦を内緒にしていたように、日本は独ソをそこまで信用していませんでした

信用できないなら独自で情報を集める必要があります

その能力がないならなんらかの対価を払って情報を友好国から買う形になります

その対価が、ユダヤ系ポーランド人の保護、ってわけです




ロシアとユダヤの関係

2018-05-09 09:16:00 | ユダヤ民族

茂木誠さんの本より抜粋

1853年ロシア帝国はクリミア戦争でイギリスに完敗します。

英軍の蒸気船にショックを受けます。日本の江戸幕府がペリーの黒船見てショックを受けたのと同じ年です。


以後ロシアも近代化を謀るが鉄道敷いて蒸気船所有したいけど技術も資金もない。ロシアはロスチャイルドから外資導入したのです。
ロシアの皇帝貴族はロスチャイルドの資本と結びつき私腹を肥やしたが独裁国家だったから民衆は貧困のままで貧富の格差が広がるばかりだった。
民衆の不満が爆発するのをおそれてロシア秘密警察がでっちあげたユダヤ陰謀本をばらまいた。ロシア全土でポグロムが起き、ロシアのユダヤ人はアメリカに逃げた。


ユダヤ人にとってロシア帝国はユダヤ人を迫害してきた憎い相手。
ロシア革命のボリシェビキに革命資金提供してきたのが国外のユダヤ資本だった。
こうしてロシア革命が成功するが共産党内部でユダヤ人がのさばりすぎてるという反発が起きる。スターリンは秘密警察に反対派を捕えさせて大粛清する。
多くのユダヤ人が殺された。


スターリンはユダヤ資本で開発した
鉄道や油田を次々に接収し国有化する。それを国外から見ていたユダヤ系資本は怒りに震えた。
スターリンめ!!恩を仇で返したな!!戦後東西冷戦に突入する対立の根っこにもユダヤ人のロシアに対する怒りがあった。
冷戦時、アメリカはソ連と軍事競争に突入した。軍事競争にはとかくお金がかかる。ユダヤ人の金融資本をバックに持つアメリカは豊富な資金源で金欠になったソ連をねじ伏せた。

オールドボリシェビキレフ・トロツキー、
バクー油田を開発したアルフレッド・ノーベル
バクー油田


ヨシフ・スターリン

バベルの塔はなぜ崩れたか。ユダヤ教徒になる試験

2017-11-14 06:34:40 | ユダヤ民族

国際弁護士の石角完爾さんが書いておられた。

ニューヨークにある北米最古のシナゴーグ、シェリルイスラエルは1654年建立された。ここの名誉ラビであるマーク・エンジェル氏から聞いた話だという。

バベルの塔の物語には一般に知られた解釈と別の解釈がある。

ノアの洪水の後人間が天にも届く高い塔を築き始めたのを見た神様が人間の思い上がりに怒り人々の言葉を混乱させて建築を中止させた。これが一般的な解釈。



これに対して別の解釈は。神が人々の言葉を混乱させた点を強調する。

塔が建設される頃の社会は誰もが1つの言葉を話し1つの価値観に統一されてた。誰もが中央集権にひれ伏した全体主義で中央集権的世の中だった。

神はそのような人間を嫌い言語を混乱させることによって人々の考えや価値観に多様性をもたらし、人をして個の尊厳と議論の大切さに目覚めさせた。

疑うことも考えることも議論することもなしに権力者の命令に盲従してバベルの塔の建設にいそしむ人々。神様はこういう傾向を嫌った。というのである。

私流に考えれば、バベルの塔を築くくらい建築技術が発達した世の中になれば多様な価値観が生まれてくるだろうし 人と同じ生き方などしないだろう。



石角完爾さんは60過ぎてユダヤ教の試験受けてパスしユダヤ教徒になられました。その後奥様もユダヤ教に改宗されました。
日本人でユダヤ教の試験にパスする人は10年に一人いるかいないかです。外国人も同じだそうです。

石角さんの苦労も大変だったけどつきあったラビのヘンリー・ノア氏の苦労も大変だっただろな。


病院についていって医師が割礼の手術するのまでずっとつきあうんですからね。

試験は論述試験、口述試験、最終試験と3回あります。20問の問題を一か月に1,2問づつ出されA4の紙に回答書いて提出してラビの評価を受ける。その後ラビと議論する。ヘブライ聖書の内容やユダヤ人の歴史などきかれます。
イスラエル憲法における国籍法について述べよ。
とか専門的なことを聞かれます。
日本の国家一種や司法試験よりよっぽど難関菜試験を受けたあと割礼の激痛を乗り越えないといけません。
その後「バスジャックに遭った。ユダヤ人から殺す手をあげろと言われたらあなたはどうしますか、、というような質問をえんえんとされ全部パスしないといけません。
最後にミクベーと呼ばれる水浴の儀式があります。
男女とも一糸まとわぬ全裸になります。生まれた状態になり羊水から出てくるんですからね。

石角さんは東京に近い海岸でミクベーを行いラビのノアさんも海に入りました。完全水没を2度行ったが真冬だったので大変な思いだった。
女性の場合は室内で行う場合は男性ラビはドアの外に立ち
海でおこなう場合は後ろ向きになって全裸を見ません

石角さんのあと奥様も改宗されたのですが。ニューヨークでラビの教授から個人教授を2,3日に一回受け半年かけてユダヤ教に改宗されました。
奥様も海に飛び込んで大変だった。
その後ユダヤ教の結婚式をされたそうです。


ユダヤ教徒の試験にパスすると世界中のシナゴーグへ行って「ユダヤ人」と言うだけで入れてくれるそうです。


相手がユダヤ人だと配偶者は比較的ユダヤ教徒に改宗しやすいのですが
今日、ユダヤ人同士結婚するカップルは半分もいなくて
配偶者がユダヤ教徒になる例は5%だそうです。
日本人でユダヤ教に改宗した人はアブラハム小辻博士のほか神道の神官の出の人が何人かいるという。アブラハム小辻博士は下賀茂神社の神官の出だった。
ユダヤ教徒になる試験2

悪いのは誰?今まで真面目に勉強してきた学生が、ふと通りかかった家に鍵がかかっておらず
ドアが少し開いてたのでつい出来心が生じて物を盗んでしまった。
この学生は警察に捕まり裁判にかけられたが「つい出来心で」という弁解は裁判で通らない。学生は有罪になり大学退学処分になって就職もできず心がすさんで今度は本気で盗みに走るようになった。この学生の犯罪で沢山の人が物を盗られる被害に遭った。もし最初の家の人が鍵をかけていればこの学生は道を踏みはずすことなくまっとうな人生を歩んでいたかもしれない。
一体誰が悪いのか。「神の目から見たら誰でしょう?」ラビから聞かれた。



ヘブライ聖書のノアの方舟の話

ノアの方舟には男と女。動物も雄と雌一匹づつを乗せられた。

最後に善が方舟に乗ろうとしたとき神は「カップルでしか乗せない」と善の乗船を拒否された。そこで善はもう一人の善を連れてきたが神は「善と善はカップルでない。」と言われ乗船を拒否された。
やむなく善は大嫌いな悪と手をつないでやってきたところ神は乗船を許可された。

善と悪は別々にいない。いつも一緒にいる。

ノアの方舟にはカップルでしか乗船できなかった。

善と悪、苦と楽、福と禍。富と貧、矛盾する2つが常に一緒にいた。

善人と悪人が同じ顔してることもある。悪魔が善人の顔をし善人が悪魔の顔をしてる場合もある。