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昭和は遠くなりにけり

プログはいくつも作ってるのです。だけど本音愚痴を書くプログが欲しかった。

八木重吉の息子の詩

2019-01-18 14:12:35 | 文学





詩人八木重吉が29歳で亡くなったあと
登美子夫人は長女桃子長男陽二を女手一つで育てました。

それなのに二人の子供さんは夫と同じ病気におかされ
重吉の死後10年目に桃子が14歳で、2年後陽二が15歳で昇天してしまった。


陽二が姉桃子が死んだ時に作った詩。この子も成人してたらすぐれた詩人になった気がする。

「陽二の詩」

ねえさん僕はうれしいよ
病気の中でもしたがきを書いてくれた心持。
ふだんもやさしいねえさんが
どうしてくるしみ死ねましょう。
ねえさんみんなにかわいがられ
死んだ後にもほめられて
ねえさんほんもうわれうれし。
くる人くる人ねえさんの
てがらばなしでうずもれる
かげにききいるわたくしは
うれしさあまり泣きました。
ねえさん死んだ其の顔は
信仰もって居たせいか
ほほえみ顔でありました。
ねえさんごめんねゆるしてよ
かそうばの中へいれちゃって
さぞかしあつうでございましょう。
ねえさんいつもにこやかに
きもちのよい時わらってた
かあさんよろこびゃ、ねえさんも
いっしょにえがおをしていたね。
ねえさんえらいよ世界一
やさしいきれいなねえさんよ。font>


八木重吉が、、天国で、、、息子のこの詩を読んでるシーンを、想像しただけでどっと涙があふれてしまった。

たった独り取り残された登美子夫人は、
歌人の吉野秀雄さんと再婚なさった。吉野秀雄さんの長男は東京芸大の美術家に首席で合格したのに、絵のコンクールに何回か落選したあと、
気が狂い、絵に火をつけて燃やしてしまった。登美子さんはこの息子さんの世話をし続けた。

登美子夫人は重吉の残した数々の作品を抱えて戦火をくぐり抜け1999年に94歳で亡くなった。




「冬」八木重吉

妻は陽二を抱いて
私は桃子の手をひっぱって外に出た
だれも見ていない森はずれの日だまりへきて
みんなして踊ってあそんだ

青柳 ラフカデイオ・ハーン

2017-11-01 22:59:09 | 文学

南禅寺の西側に細川別邸がある。今は家主が変わって野村別邸になっている。
ここの枝垂桜は究極の美しさでこの世のものと思えない。夏になると桜の葉が旺盛に繁って昼間も暗い。緑蔭でひっそりと咲く花菖蒲がまた美しい。
ここのしだれ桜と花菖蒲を見ているとその昔、細川公が憧れた青柳という女性に思えてくる。
ラフカデイオハーンの怪談に青柳という話がある。ここに細川公が登場する。

1470頃能登の守、畠山氏の家臣に友忠という若侍がいた。20の頃京都の大名細川政元のもとへ内密の使者として使わされた。 越前ルートで旅していたが猛烈な吹雪に襲われた。宿もなく困惑していると思いがけなくも柳の生えている丘の頂に一軒の藁屋根を見つけた。 戸を開けてくれた老婆に一夜の宿を乞うた。炉で暖まらせてもらっていたら目の前に酒や手料理を並べてくれた。娘が出てきてお酌を始めた。

青柳と呼ばれるその娘を一目見た瞬間、息を呑んだ。かつてこれほどまでに美しく気品ある女性を見たこともなかった。これほどの人がなぜこんな淋しい所に住んでいるのだろう。
和歌で問い掛けるとすかさず返歌してきた。 自分の前にいるこの青柳よりも美しく聡明な娘にこの世で会えるわけもなく、まして手に入れることなど望めない事ははっきりしていた。
心の中の声が 「お前の目の前に神様が置いてくれたこの幸運をとれ」 としきりに叫ぶのが聴こえた。いきなり老夫婦に向かって娘御を妻に頂きたいと叫んでしまった。この願いはすんなり聞き入れられた。
老夫婦は「お武家さまと私どもとでは身分の開きが大きすぎますゆえ、せめてはしためにしてやって下さいませ」

こうして友忠は青柳を伴って京に上ったのである。しかし京都に着いた日から友忠は悩まないといけなかった。当時武士は主君の許可なく内縁関係を結ぶことは禁じられていた。まして美女好みの細川公に青柳の存在を悟られたら?友忠は青柳を周囲から隠すことに苦心した。けれどもある日。仕事を終えて帰ってみると、青柳がいない。細川公の家来が青柳を連れ去ったのである。
細川公に内縁関係を知られたら手打ちになる恐れがある。しかし青柳なしの生活など考えられようか。お手打ち覚悟で友忠は青柳に漢詩の手紙を送ったのである。翌日、細川公に呼び出された。 細川公は友忠が作った漢詩を口ずさんでいる。その目は涙ぐんでいた。そして
「そのほう達がひどく慕いあってるゆえ、余がそのほう達の婚姻を許すことにした。式はこれから執り行う。引き出物の用意もできている」

襖が開かれると花嫁衣装の青柳が待っていた。こうして青柳は友忠に返されたのである。
それから5年、2人は幸せにすごした。 ある日、突然青柳が苦しみだした。喘ぎあえぎ、言うには。
「前世の浅からぬ因縁でこうして貴方さまとめぐり合いましたがこの世での縁はもう切れかかっております。実は私は人間ではございません。柳の精でございます。 今誰かが私の原木を切り倒しております。私は死なねばなりません。どうかどうか南無妙法蓮華経を唱えて下さいませ」
倒れたと思うと畳の上にむなしい着物とかんざしが残るばかりだった。

友忠は出家して、青柳の霊を慰めるため行脚層になって諸国を巡礼した。 越前のいとしい人の家のあった峠に来てみると。そこには家もなくて、ただ3本の柳の切り株があるのみであった。2本は老木で1本は若かった。


秋夕 杜牧

2017-11-01 22:51:12 | 文学



山行  
遠く寒山に上れば石径斜なり
白雲生ずる処 人家有り
車を停めてそぞろに愛す楓林の晩
霜葉は二月の花よりも紅なり

晩唐の詩人杜牧の詩である。白雲生ずる処人家あり、て箇所が好きだった。杜牧は楓林を散歩しながら散りゆくもみじに狂おしい感情を抱いていた。何故彼は春の花より霜葉を愛すのだろう。それには理由があった。

名門出で美貌の杜牧は若い頃歓楽街で浮名を流していた。
34の時湖州で非常な美少女とめぐり合う。年は十余歳。

将来絶世の美女まちがいなし。杜牧は母親にかけあった。結納金を渡し「十年待って下さい。10年経てば私は湖州刺史としてこの地に戻って来ます。十年です」と交渉した。
  「でも 十年をすぎたなら」母親は不安がった。
「十年すぎれば 仕方ありません。きっと十年以内に戻ります」  
杜牧は約束した。

しかし約束を果たせなかった。杜牧は失明した弟一家のために働かないといけなかった。中央に居れば出世コースなのにサラリーのいい地方勤務を選んだのである。
弟一家を伴って地方に下り14年後ようやく湖州に戻ってきた。 四十八歳になっていた。あの美少女と巡り合ってから 十四年たっている。喜び勇んであの少女の家を訪れたが。母が言うには

「十年のお約束でございました。もう一年待つて 十一年目に結婚いたしました。娘を是非にと所望された方がおられまして。三年前です。それから一年に一人ずつ子を生んで、いま三児の母となっています」

例の美少女は人妻となり3児の母になっていたのである。杜牧はこみあげるため息と涙をこらえて叫んだ。「一首出来ました。筆と硯を貸して下さい」


   自から是れ 春を尋ね 去ってしらぶること遅し
   もちいず 惆悵 芳時を怨むを
   狂風 落ち尽くす 深紅色  緑葉 陰を成して 子枝に満つ

(2年後杜牧は亡くなった。享年50。一生独身だったが隠し子が一人いる。)

杜牧は風に飛ばされる色葉を見るたびにあの美女を思い出し悲しかった。
七夕の晩天の川を仰ぎ見て一首詠んだ。アルタイルとベガの逢瀬を一晩中見つめていたにちがいない。

秋夕 杜牧

銀燭秋光 畫屏冷ややかなり 
輕羅の小扇 流螢を撃つ 
天階の夜色  涼水の如し 
臥して看る 牽牛織女星