


詩人八木重吉が29歳で亡くなったあと
登美子夫人は長女桃子長男陽二を女手一つで育てました。
それなのに二人の子供さんは夫と同じ病気におかされ
重吉の死後10年目に桃子が14歳で、2年後陽二が15歳で昇天してしまった。
陽二が姉桃子が死んだ時に作った詩。この子も成人してたらすぐれた詩人になった気がする。
「陽二の詩」
ねえさん僕はうれしいよ
病気の中でもしたがきを書いてくれた心持。
ふだんもやさしいねえさんが
どうしてくるしみ死ねましょう。
ねえさんみんなにかわいがられ
死んだ後にもほめられて
ねえさんほんもうわれうれし。
くる人くる人ねえさんの
てがらばなしでうずもれる
かげにききいるわたくしは
うれしさあまり泣きました。
ねえさん死んだ其の顔は
信仰もって居たせいか
ほほえみ顔でありました。
ねえさんごめんねゆるしてよ
かそうばの中へいれちゃって
さぞかしあつうでございましょう。
ねえさんいつもにこやかに
きもちのよい時わらってた
かあさんよろこびゃ、ねえさんも
いっしょにえがおをしていたね。
ねえさんえらいよ世界一
やさしいきれいなねえさんよ。font>
八木重吉が、、天国で、、、息子のこの詩を読んでるシーンを、想像しただけでどっと涙があふれてしまった。
たった独り取り残された登美子夫人は、
歌人の吉野秀雄さんと再婚なさった。吉野秀雄さんの長男は東京芸大の美術家に首席で合格したのに、絵のコンクールに何回か落選したあと、
気が狂い、絵に火をつけて燃やしてしまった。登美子さんはこの息子さんの世話をし続けた。
登美子夫人は重吉の残した数々の作品を抱えて戦火をくぐり抜け1999年に94歳で亡くなった。
「冬」八木重吉
妻は陽二を抱いて
私は桃子の手をひっぱって外に出た
だれも見ていない森はずれの日だまりへきて
みんなして踊ってあそんだ
