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昭和は遠くなりにけり

プログはいくつも作ってるのです。だけど本音愚痴を書くプログが欲しかった。

アンネの日記が出版されるまで

2018-12-19 21:13:18 | アンネの日記

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/40/9615912c257ec13e5d4307f5327e3d5a.jpg" border="0">1945年3月ごろアンネとマルゴットはベルゲンベルゼン収容所で相次いで亡くなった。
姉のマルゴットはベッドから落ちて亡くなり
アンネはバラックの外の汚物だらけの水たまりに顔を突っ込んだ状態で死が確認された。アンネは渇きに耐えられず汚物だらけの水を飲もうとしたのだろうか。もう一月英軍が到着するのが早ければアンネは助かってたかもしれない。

アンネとマルゴットの死体を穴に運んだブランデス・ヤニー



彼女からアンネが汚物にまみれた水たまりに顔つけて死んでしまったと聞かされた時、オットー・フランクはどう感じただろう?


ヤニーは赤十字に行って死亡を確認してる人にはバツ印をつけた。
オットーはヤニーの家にアンネとマルゴットの最後について聞きにきたという。

ヤニーは本当のことを彼に全部は告げられなかった。

オットーはヤニーのとこに来る前にヤニーの姉のとこへも聴きに行っている。

ヤニーの姉は戦後東独に行き歌手になり日本にも来た。テレビに出てアンネの思い出を喋っていた。アウシュビッツの子守歌と言う歌を歌ったので私は記憶している。

オットーが日記を保管してたミープ・ヒースからアンネの日記を渡された時

日記の抜粋をスイスに住むオットーの母にタイプして送っていた。スイスで評判になった。

また悲しみをまぎらわすために日記を知人に読み聞かせしてたところ

その内容が口コミで広がりアムステルダム大学のヤン・ロメイン教授の耳に入ることとなる。

教授は日記を一気に読み終えるとレジスタンス機関紙の1つであるヘットパトロール紙にコラムとして書き日記の内容を紹介。これがきっかけになって

1947年6月出版されることとなった。
ヤニー・ブランデスはアウシュビッツで共産主義指導者カール・カウツキーの妻のルイーゼ・カウツキーと同じブロックだった。

84歳になるルイーゼは最初にガス室送りになったという。
レフ・トロツキーがルイーゼ・カウツキーのことを「あんな頭のいい女見たことない」
と絶賛してたが84でガス室行きとは!!


ローザルクセンブルグとルイーゼカウツキー

My Grandfather's Clock(大きな古時計)

2018-03-14 19:25:07 | アンネの日記
1945年3月ごろアンネとマルゴットは相次いで亡くなった。
姉のマルゴットはベッドから落ちて亡くなり
アンネはバラックの外の汚物だらけの水たまりに顔を突っ込んだ状態で死が確認された。アンネは渇きに耐えられず汚物だらけの水を飲もうとしたのだろうか。もう一月英軍が到着するのが早ければアンネは助かってたかもしれない。アンネとマルゴットの死体を穴に運んだブランデス・ヤニー
href="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/97/3c454bab498d9bc59d77081a3a35ef3c.jpg">
My Grandfather's Clock(大きな古時計)



大きなのっぽの古時計を歌ってたら聴いてた夫が突然叫んだ。この箇所で。

真夜中に ベルがなった
おじいさんの 時計 お別れのときがきたのをみなにおしえたのさ天国へ昇る おじいさん
時計とも お別れ


「冗談じゃないよ!!俺にもその時が近づいてる。」

私だってそうだ。どっちが先に行くのか?

アンネフランクさんのお母さんは大きなgrandfather's clockを嫁入り道具に持ってフランクフルトの家に嫁いできたという。
アンネもフランクフルトにいる間はgrandfather's clockを聴きながら育ったんだった。

「大きな古時計」
保富康午 作詞作曲ヘンリー・クレイ・ワーク作曲

1.
おおきなのっぽの古時計
おじいさんの時計
百年 いつも動いていた
ご自慢の時計さ
おじいさんの 生れた朝に
買ってきた時計さ
いまは もう動かない その時計
百年 休まずに
チク タク チク タク
おじいさんと いっしょに
チク タク チク タク
いまは もう動かない その時計

2.
何でも知ってる 古時計
おじいさんの 時計
きれいな花嫁やってきた
その日も動いてた
うれしいことも 悲しいことも
みな知ってる 時計さ
いまは もう動かない その時計
百年 休まずに
チク タク チク タク
おじいさんと いっしょに
チク タク チク タク
いまは もう動かない その時計

3.
真夜中に ベルがなった
おじいさんの 時計
お別れのときがきたのを
みなにおしえたのさ
天国へのぼる おじいさん
時計とも お別れ
いまは もう動かない その時計
百年 休まずに
チク タク チク タク
おじいさんと いっしょに
チク タク チク タク
いまは もう動かない その時計


オットーフランクの後妻

2017-10-07 08:40:06 | アンネの日記


アンネ・フランクの父オットーフランクは1945年 1月27日ソビエト赤軍 により解放された。
1953年11月10日にはエルフリーデ・ガイリンガー=マルコヴィッツ というウイーン生まれのユダヤ人女性と再婚している。彼女もアウシュヴィッツ生き残りのユダヤ人だった。彼女はそこで夫と息子を失いエヴァという娘と二人でオランダに帰国してきた。アウシュヴィッツから解放された後、アムステルダムまでの帰路にオットーと知り会った。オットーは妻の死亡を聞いてショックを受けていた。


オランダでどちらも家族の死の通知を同じころ受け取った。オットーはマルゴットとアンネの死を。エルフリーデは夫と息子の死を。 エルフリーデとオットーは何日間も泣き明かした。

エヴァはアンネやマルゴットと似てなくてものすごい勉強嫌いだった.
アムステルダムの小学校の記念撮影エヴァ11歳

「エヴァは勉強大嫌いだから高校に進学させずに就職させようと思う」というと

オットーは「女でも高校は出てないと駄目だよ。」と言って高校に進学させた。

エヴァは高校卒業後オットーの知り合いのロンドンの写真店で働く。イスラエル人と結婚して結婚後

骨董品店を経営した。オットーはエヴァとエヴァの子供たちをわが子のように可愛がってくれたそうです。
エルフリーデはアウシュビッツ からオデッサまでの移動中変わった体験をした。

貨物列車がウクライナの奥深く走ってた時一時停止したので

その間に用を足そうと列車外に出て用を足してたら列車が出発してしまった。
呆然としながら次の駅コロムイヤまで歩き駅長に事情を話したら「シャローム。次のロシア行の列車が来るまで私の家に泊まりなさい」と言ってくれた。駅長は駅の地下室で暮らしていた。

強制収容所から出てきた話をすると駅長は驚き


「実は自分もユダヤ人だ。ロシアの奥地の避難先から最近戻ってきたばかりなのです。貴女の話を聞かせてください。」

そしてユダヤ人が数家族で共同生活してる家に連れて行ってくれた。なんと大勢のユダヤ人が話を聞きに集まっていた。
アウシュビッツでの体験を話し出すと全員震え上がり、ガス室や焼却炉の話に進むとわんわん泣き出した。噂は流れててもそこまでくわしく知らなかった。

ウクライナのユダヤ人達は餞別のお金や食べ物を持ち寄って翌朝駅まで見送ってくれたのだった。

母と娘はオデッサで無事再会できた。オデッサでテント貼ったシャワー室でユダヤ人の女たちはシャワーを浴びた。それからソ連兵は一人一人のおっぱいを念入りに触って「大!」「中!」「小!」と叫ぶのだった。大のおっぱいの人には大のブラジャーを。小のおっぱいの人には小のブラジャーをくれた。それから鎌とハンマーのアップリケのついたオリーブ色のTシャツをタイトスカートをくれた。

これを着るとまるで女ソ連兵になたような気分になった。母は「オデッサ見たいの」と言い出し母娘はオデッサ観光に出かけた。

エヴァの子供たちとオットー



前夫と。恋愛時代のエルフリーデと夫(夫18歳妻15歳)

エヴァの兄ハインツこの家ではこの兄一人ユダヤっぽい顔してたために父と二人で隠れ家に隠れてた。