


姉のマルゴットはベッドから落ちて亡くなり
アンネはバラックの外の汚物だらけの水たまりに顔を突っ込んだ状態で死が確認された。アンネは渇きに耐えられず汚物だらけの水を飲もうとしたのだろうか。もう一月英軍が到着するのが早ければアンネは助かってたかもしれない。
アンネとマルゴットの死体を穴に運んだブランデス・ヤニー

彼女からアンネが汚物にまみれた水たまりに顔つけて死んでしまったと聞かされた時、オットー・フランクはどう感じただろう?
ヤニーは赤十字に行って死亡を確認してる人にはバツ印をつけた。
オットーはヤニーの家にアンネとマルゴットの最後について聞きにきたという。
ヤニーは本当のことを彼に全部は告げられなかった。
オットーはヤニーのとこに来る前にヤニーの姉のとこへも聴きに行っている。
ヤニーの姉は戦後東独に行き歌手になり日本にも来た。テレビに出てアンネの思い出を喋っていた。アウシュビッツの子守歌と言う歌を歌ったので私は記憶している。
オットーが日記を保管してたミープ・ヒースからアンネの日記を渡された時
日記の抜粋をスイスに住むオットーの母にタイプして送っていた。スイスで評判になった。
また悲しみをまぎらわすために日記を知人に読み聞かせしてたところ
その内容が口コミで広がりアムステルダム大学のヤン・ロメイン教授の耳に入ることとなる。
教授は日記を一気に読み終えるとレジスタンス機関紙の1つであるヘットパトロール紙にコラムとして書き日記の内容を紹介。これがきっかけになって
1947年6月出版されることとなった。
ヤニー・ブランデスはアウシュビッツで共産主義指導者カール・カウツキーの妻のルイーゼ・カウツキーと同じブロックだった。
84歳になるルイーゼは最初にガス室送りになったという。
レフ・トロツキーがルイーゼ・カウツキーのことを「あんな頭のいい女見たことない」
と絶賛してたが84でガス室行きとは!!

ローザルクセンブルグとルイーゼカウツキー