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転載: 剱岳  

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剱岳       作成日時 : 2009/10/18 11:34   

 

 

 

 

 

 

 



映画「剱岳」が公開されてちょっとばかり、この富山の峻嶮な山岳に注目が集まっています。映画の原作は、新田次郎の小説であり、私は映画は見ていませんが、小説の方は読みました。

奈良時代から信仰の山として、入山が許されず前人未到の山とされていたわけですが.....

明治40年に発足したばかりの「山岳会」が登頂を計画し、それを察知した陸軍測量部が「遊びで山に登る奴らに負けるな」と、測量官、柴崎らを派遣して先に初登頂をしてしまおうとした。当時の測量部は、上層部が陸軍軍人で、現場に出る測量官たちは、50-60倍の競争率を突破して任官した文官だったわけで、柴崎も陸軍の下士官からの抜擢でした。



 



地元では、立山曼荼羅に見られる「地獄の針の山・剱岳」といった山岳信仰が根強くて、登頂を試みると災難にあう、命を落とすと信じられていた。実際、ほとんど登頂が不可能なほど峻嶮な山であるし、測量部としては登るだけでなく、測量をして三角点を設置しないと意味がない。また、事故で死者でも出れば、測量部の汚点となる。だから、極端に危険な真似もできない。

測量部のトップの陸軍少将は、初登頂を成し遂げて、金持ち連中のお遊びサークルの類の山岳会のはなを明かしたいし、ニュースになれば測量部が評価されることにもなると考えたわけです。

そして、柴崎らは一年のうち梅雨時期の一瞬の晴れ間に唯一登頂可能な条件が整うことを発見して、一気に山頂を攻略する。そして、ついに登頂に成功する。だが、柴崎たちは、山頂で「奈良時代のものと思われる剣,や錫杖頭」を発見してしまう。つまり、奈良時代に修験者が登頂を達成していたことが判明した。そうなると、測量部の少将としては、「奈良時代に上れていたのに、測量部は今まで何をぐずぐずしていたのか?」と非難されるのを恐れて、登頂成功を外部に喧伝することを躊躇う。かくして、柴崎らの快挙は、歴史の中に埋もれてしまったのです。

だが、登れない筈の剣岳に上った柴崎たちは、現地では神様扱いです。次々と訪れてくる信仰者たちは、登れないはずの山に登った柴崎の前にひれ伏し、お賽銭を投げてよこす。生き神様になってしまったのである。

近代登山技術を駆使してもやっと登頂できるほどの難しい山に、ろくに防寒着もなかった時代、修験者が登頂していたという事実に私は驚愕を覚えます。信仰という強い力が不可能を可能たらしめたでしょうか?八百万の神が修験者を山頂に押し上げたのでしょうか?今の時代、登頂不能と見える峻嶮な山々を目の前にして、我々は、登頂のための準備段階にいます。最初から諦めていれば、登頂はできっこない。柴崎のようにこつこつと、条件を固めて外堀を埋めて、一気に登頂を仕掛ける。そんな手法をわれわれも取るべき時です。みんなの力を結集して!

リチャード・コシミズでした。

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