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転載: 1947年の台湾の大量虐殺事件

2016-01-12 22:04:29 | 情報拡散希望

転載: richardkoshimizu’s blog

1947年の台湾の大量虐殺事件      作成日時 : 2014/03/31 12:04

http://richardkoshimizu.at.webry.info/201403/article_245.html


 



1947年の台湾の大量虐殺事件

これを知らない人が多いのです。2.28事件といいます。1945年8月に日本が敗戦し同時に中国国民党が台湾に入り統治を引き継いだ。

日本統治時代の「安全で平和な台湾」に慣れていた台湾人は大陸から来た国民党政府・軍の質の悪さにびっくりした。汚職、暴力、略奪。

一方で、中国大陸では国共内戦が吹き荒れていた。1947年2月、台湾人女性に対する暴行から非武装のデモ隊が抗議の行進を始めた。一人が射殺されたことでデモは拡大し、国民党の憲兵隊は市庁舎の屋上から機関銃でデモ隊を掃討した。在台湾行政長官兼警備総司令陳儀の要請に基づき、大陸にあった紹介石は国民党正規軍と憲兵隊を台湾に送った。

 


裁判官、医師、役人など日本統治時代のエリートが逮捕され多くが処刑された。少なくとも28000人が殺害・処刑されたと言われているが、実数ははるかに多いとする説がある。1988年に李登輝が総統に就任するまで2.28事件を語ることはタブーだった。現在では、2.28事件に対して国民党は謝罪をし、記念堂のたぐいが台北の中心にある。RKも前回の台北講演の際に訪れています。

当時の国民党は台湾独立の動きを恐れていた。それがゆえに過敏に反応して同胞をたくさん殺してしまったわけです。

ちなみに、今でも台湾の高齢者の中には日本統治時代を懐かしむ人たちがいます。台湾に行くと日本人は厚遇されます。

↓こんな史実も知っておくに越したことはないと思います。

注)戦後の台湾の工業を作ったのは、神奈川の高座郡にあった海軍工廠に研修のため派遣された台湾少年たちだった。

注)大陸から来た国民党兵士は水道の存在を知らなかった。蛇口から水が出るのに驚いて金物屋に蛇口を買いに行き、自分の部屋の壁につけたが水が出なかった。怒って金物屋の主人を殴りに行った。それほど民度が低かった。・

注)実は日清戦争後の台湾併合の際にも「戦争」があった。1895年の乙末戦争である。進駐する日本軍に対して清朝の残党などが組織的抵抗をした。多くが殺害された。

注)台湾人は純粋な意味での中国人ではない。清朝時代、大陸から台湾への女性の渡航は許されなかった。台湾にわたった福建省出身の男性たちは、台湾の原住民の女性を嫁にした。平野部に棲む平蒲族である。太古の昔に大陸から台湾に渡った種族。よって、台湾人とは福建人と台湾原住民の混血である。姿かたちも福建人とは明らかな違いがある。彼らの一部が中国人ではなく台湾人だと主張するのも理解できる所以である。ちなみに平蒲族は民族同化してしまい現在は別個には存在しない。言語も消滅している。中国の満人同様である。




 

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