転載: richardkoshimizu’s blog
「北鮮王朝の国王は最初から偽物」: これを北鮮シンパに知られたくない裏社会 作成日時 : 2011/12/02 21:47
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201112/article_13.html
北鮮の大王様が実は高貴な家柄でもなんでもなく、「そのへんの卑しい馬の骨である」「背後にユダ金のカスがいる」ことを書くと、話を逸らそうと湧いてくるセンセイ方がおられます。で、別件に振ろうとされますので、余計に挑発したくなる今日このごろでございます。では、挑発します。
(1)北鮮を間接支配するために、スターリンが配下のソ連極東方面軍の将校の中から、見栄えがよくて言いなりの金成柱とかいう小僧(当時)を、テキトーに選んで傀儡にしたわけだが、そのチンピラが生まれてから、95年たったそうだ。その息子のロシア名、ユーリとか言う、朝鮮語の下手なロシア生まれの朝鮮デブは、元気か?
●故金日成主席の生誕95年=市民が冥福祈る―北朝鮮
http://www.jiji.com/jc/a?g=afp_int&p=011960_01&k=20070415011960a&rel=y
(2)国際派日本人養成講座 ■■■
地球史探訪: 金日成 ~ スターリンのあやつり人形
スターリンは、朝鮮人のソ連軍大尉を伝説の英雄・金日成に仕立て上げ、朝鮮戦争を仕掛けた。
■1.「にせものだ!」■
1945年10月14日、平壌市北部の牡丹峰のふもとの運動場。よく晴れて澄み切った青空の下に、7万人の群衆が集まっていた。この日開かれる朝鮮解放祝賀会に伝説の老将軍・金日成が帰ってくるという噂に、人びとはつめかけたのだった。
日本の朝鮮統治が始まると、愛国的な軍人達の一部は満洲やシベリアに根拠地を移して独立の戦いを続けた。やがて1920年代から、一人の勇敢な抗日闘士の名が国内にまで聞こえてきた。金日成将軍である。「いつか金日成将軍が日本軍を打ち破って凱旋してくる」という伝説が生まれた。
伝説が生まれてからすでに20年。人びとは白髪の老将軍の姿を心に描いていた。やがてその金日成将軍が登場すると、人びとは唖然とした。老将軍とは似ても似つかぬ若者だったのだ。この集会に参加していた呉泳鎮はこう書き記している。にせものだ!
広い場内に集まった群衆のあいだにまたたくまに不信と失望と不満と怒りの感情が電流のように伝わった。短い時間ではあるがざわめきが場内をおおった。
金日成の演説が始まると、その朝鮮語はたどたどしかった。「ありゃ子どもじゃないか。なにが金日成将軍なもんか」「ロスケ(露助、ロシア人の蔑称)の手先だ」と人びとは口々に言い出した。そのまま会場から出て行く人もいた。
■2.ソ連軍大尉キム・ソンジュ■
金日成役を演じたキム・ソンジュは、1912年に朝鮮北部の比較的裕福な漢方医の家に生まれ、7歳の時、父の仕事の都合で満洲に渡り、中国人の学校に通った。そのため、朝鮮語より中国語の方が堪能であった。1931年、19歳の時に中国共産党に入党、抗日遊撃隊に所属して、ゲリラの一隊を率いて戦った。
1941年には日本の討伐部隊に追われて満洲からソ連領に逃げ込み、ハバロフスクでソ連軍の大尉となった。
1945年8月9日、ソ連は降伏間際の日本に宣戦布告し、そのわずか1週間後に終戦、キム・ソンジュの出番は一度もないまま、対日戦争は終わってしまった。8月26日にはソ連軍は平壌を占拠し、軍政を敷いた。その上でソ連軍司令部はキム・ソンジュを新生朝鮮の首班に選び、伝説の英雄・金日成役を演じさせたのである。
朝鮮労働党が1983年に出した「金日成主席革命活動史」では、金日成将軍は満洲に踏みとどまって、日本軍と10万回の戦闘を続け、1945年8月9日にはついに日本に対して最終攻撃命令を下し、無敵の関東軍を撃破して祖国を解放し、民衆の歓呼の中を凱旋した、と伝えている。また息子の金正日は1942年にハバロフスクで生まれたが、それでは辻褄が合わないため、中国と朝鮮の国境にそびえる白頭山に金日成が密営を作った時に生まれたとされ、その一角を「正日峰」と命名し、わざわざ金正日が生まれたという丸太小屋まで作られた。北朝鮮はそもそものはじめから虚偽を固めて作られた国家だった。(以下、バカバカしいので略)